BC1992 【松崎仁と芹沢火門】
警視庁民営化から一年。
多くの警備会社が設立され、それぞれが東京都民から税金ではなく料金という形で予算を募る。
プランごとに異なるサービスを受けられ、カネの有無が安全の有無へと繋がる腐敗的安寧の中でも、表面上は平和を保っていた。
「護ってもらうのにお金を払う、当たり前でしょ?」
「犯罪件数が減ったっていうのは良いわよね」
「汚職ばっかりだった前の警察より良いんじゃないですかね。東京都以外も早く民営化すべきだと思いますよ」
他国からも注目され、是非が問われる渦中。
警察庁から新鮮組へと転身した松崎は、変わり続ける時代の中、変わらないはずの正義のために必死の戦いを繰り広げていた。物理的にも。
イケダ・ビルディング。
一見すればただの雑居ビルの一角で、カクニと呼ばれる密輸入無音拳銃が群れを成して火を噴く。
他の新鮮組隊員と同じく松崎は走り抜ける。警察が無くなっても法律は変わっていない。
もちろんカクニは銃刀法違反と銃器密輸違反だが、元々松崎たちがここに出動した理由は銃を乱射する男たちの足元に散乱している薬品群に対してだった。
「暴れるんじゃない! 無駄だ」
無音拳銃のカクニは、松崎の威圧めいた言葉をほとんど掻き消しはしなかったというのに、銃撃は止むむ気配が無かった。
そんな中、松崎の背後に備えていた沖田が颯爽と走り出した。彼も去年までは高校生であり、もちろん未成年。でありながらこんな状況に連れてきているのも民営警察の特徴であるのだがそんなことは犯罪者には関係ない。
沖田や松崎から生じる戦慄と恐怖は更なる発砲を助長したが、その加速に比例するように射撃の精度を落としていく。
結果、新鮮組たちの防弾ジャケットに一発も着弾せず、ただの通気性が悪いジャケットと変わらないまま男たちは制圧されていった。
ある者は木刀で殴打され、ある者は自分の着ていたトレーナーをロープ代わりに捕縛され、ある者は降伏し――最も不幸なある者は、松崎に馬乗りされたまま尋問されていた。
「……お前たちには黙秘権が有るが……喋って貰うぞ」
「なんだよ、なに云ってん……ですか、弁護士呼んでくださいよ、新鮮組の旦那よ」
「俺が警察の内に自首しとくべきだったな。新鮮組にそんな言い訳は通じないんだ」
松崎が無造作に男の右耳をつまんで力を入れると男の耳の形と色が変わった。
薄く伸びた皮の中に内出血が広がる。耳の軟骨部分をすり潰したのだ。
鈍い激痛。絶叫はするが意識を失う種類のものでもない。
松崎は手慣れた様子で左耳に手を伸ばそうとするが、男はいとも容易に仲間を売って自分の安全を買おうとした。
「俺じゃなんだ! 沼田だ! 沼田が麻薬を作ろうと云いだしたんだ! 俺じゃない、俺じゃないんだ!」
「っ、ふざけるな、小宮山ァ! 刑事さん、そいつだ! 小宮山が販売をやってたんだ!」
――今喋ったのが沼田に間違いなさそうだな、そう松崎は解釈していた。全員の顔と名前を覚えきっていたわけではない松崎にとって、麻薬密造組織の仲違いは都合がよかった。
麻薬の密造。
多くの薬品は水が氷になるように、ブドウがワインになるように変化を起こす。
化学変化を利用して麻薬を密造していた組織だが、恐らく旧来的な警視庁ではここまでの強硬策は取れなかっただろうと松崎は思う。法的には彼らは“風邪薬を分解して煮込んだり茹でて売っていただけ”だからだ。人の涙の量に応えられるほど法律は完璧にできてはいない。
「俺はあいつらが欲しいっていうから、売ってただけだ! 薬を分解するのだって大変だったんだぜ? ただ、ただ手間賃を取ってただけだよ!」
「……この拳銃は?」
「カクニくらい誰だって持ってるって……あんたたちが襲ってきたから使っただけだよぉ、護身用……」
「……襲われる心当たりは有ったわけだ」
「ご時世だろぉ……」
「ふざけるな! お前たちの売りさばいている麻薬でどれだっ…けの……!」
身勝手としか思えない言葉に、横で聞いていた沖田が激昂の直後、血を吐いた。
松崎は心配そうに沖田に駆け寄った。馬乗りになっていた小宮山という男を流れ作業で殴って昏倒させてから。
この一年は激動だった。警察の民営化に伴う様々な変化、跳ねあがった給料、合理的で効率的な違法捜査によるスピード解決、そして沖田の気管支炎の発病。病院で責任を持って下されるはずの診断は原因不明の奇病と云うのは無責任そのものではないのか。
治療法すらない。松崎が病院に担ぎこむことも珍しくもなくなった。
医者からは入院を勧められるどころか、【悔いのない時間を過ごした方がいい】とさえ云われる沖田の病状。
病院の待合室で松崎は溜息をついていた。深呼吸のような、身体の底から捻りだすような溜息だった。無法地帯のようにどんどん東京は荒んでいく。四年前に後楽園球場から立て直されたばかりの東京ドームはまたも改修作業を行って今度はカジノまで設営するという話まである。
カクニと呼ばれる消音拳銃、九二式アマゾニス産拳銃ナハトヴィントの台頭……そして、それでもなお、東京が中心であり続ける日本。見えない芹沢社長の意図、そしてそれに同門の盟友であるはずの近藤が付き従っている事態。
沈殿している不安は刺激によってのみ掻き混ぜられて見えなくなる。夢中に戦いだけを求めているような自分に松崎は苛立ちすら覚えていた。
「……誰か……助けてくれ……」
言葉とは裏腹に、語調には覇気が満ちていた。自らの救済を願うのではなく第三者を救えない自らを呪っていた。
「ご苦労だったな! 隊員諸兄! 良い物を手に入れてきたぜ!」
何日かが過ぎ、新鮮組の社員寮にやってきた芹沢社長は、喜々として社員である面々の前で段ボールを広げた。中には懐中電灯のような細長い金属製の器具が詰まっていた。
「……なんですか、これ」
「フォトンエッジ。火星で開発された……“逮捕具”だ」
芹沢はダンボール箱から無造作に懐中電灯のようなそれを一本を取り出し、スイッチを入れた。
やはりそれは懐中電灯ではないか。新鮮組職員たちは一堂にそう思った。それは先端から光を放つだけだったのだから。
しかしながらその光は拡散していかず、細長い棒のような形状で定着した。光であるようで物質のようで。淡いようでとても硬質な印象を与えた。
「……なんですかい? そいつは?」
「フォトンエッジだと云っただろう? 細かい話を省くが、やって見せよう」
芹沢はその光の棒を下にして手を放した。
するとどうだろう。そのまま懐中電灯を伏せて置いたように光は見えなくなった。
そして芹沢はフォトンエッジをヒョイと持ち上げて見せると、床には深々と穴が開いていた。
力を入れた様子もなくただ落としただけで光の刃はフローリングを貫通したのである。
「ビームサーベルやライトセーバー、レーザーブレード、なんでも良いが、その類だ。防刃ジャケットでも防げない、なんでも切れる刀だ」
「なんでも……ですか?」
「そう、なんでもだ。もちろんフォトンエッジだけは切れないがな」
「危険な道具、ですね」
「危険? どこが? キサマらは士衛館やそれに比肩する剣士だろう? 相手のフォトンエッジは自分のフォトンエッジで受け止める。それが剣術だ」
「我々は構いません。しかし一般まで浸透するとなれば……拳銃よりも脅威となります。完全無音でどんな壁でも貫ける上、鞄にスルリと入る大きさ。殺傷力も十二分です」
「確かに。危険だ。だからこそ我々新鮮組が目を光らせなければならないというもの……諸君らには期待している。扱いに注意しつつ、早く扱えるようになれよ」
刀剣の扱いならば新鮮組は一日、いや、それ以上の月日を注ぎ込んでいたいたという自負が有る。フォトンエッジが流行すれば、それを容易く制圧できる士衛館の評価は更に上がり、他の民営警察とは異なるアピールを行うこともできるだろう。しかしながら、松崎をはじめ数人の社員の心中には疑惑がまたも深まる物であった。
――芹沢という男は、初めからこのフォトンエッジのことを知っていて、それを踏まえて自分たちを集めたのではないか?――
と。