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BC1990 【沖田総治】


 沖田総治おきたそうじの鍛錬は、実家が剣道道場だからと幼少の頃から自然と始まっていた。


 沖田は歩くのを覚える頃、木刀を振ることも覚えた。

 言葉を覚えるより先に呼気が戦闘のために重要であることを認識し、他者の思いを考えるより先に戦略のウラを考えた。“強くなる”という動詞を口にするよりも早く、その現象が起きていた。


 女性以上に美しいと云われながら育つ中、女以上の激情を持ち合わせ、その激情は沖田を毎日の特訓へと掻き立てていく。

 直情的に強くなりたいという根源的な衝動は、中学生になる頃、師である父ですら息子の剣を負いきれなくなるほどだった。

 遅くできた子ではあったが、老いによる衰えではないことは誰の目にも明らかであり、ある日、道場主は息子に薄淋しそうな表情を見せた。


「親父よりは優秀なのかもな、師匠としては……」

「え?」

「俺くらいしか育てられなかった親父より……お前や近藤くんたちを育てたことが俺の一番の勲章になっちまったな」


 嬉しさの中に自嘲が覗く父親に、沖田は返す言葉を持たなかった。既に父親よりも自分が強いことは分かっていたからだ。

 元々言葉よりも剣で結びついていた親子は自らを鍛え続けた。

 冬が過ぎ、暖かくなり、暑くなり、また冬が来る。

 そうやって何年かが過ぎた頃、沖田の父親が――亡くなった。





 高校生になった沖田に代わって士衛館の館長を一番弟子・近藤が引き継いだ頃。

 葬式の直後、喪服のままで剣を振るうひとりの男の背を眺めながら、沖田は茫然と口にしていた。


「……不思議なんですよ、近藤さん」

「どうしたよ?」

「もう、父さんの顔も思い出せないんです。なんでですかね……。

 でも太刀筋や体捌きだけは覚えてて、僕の動きの中に父さんが居るな、って思えるんです」

「……そうだな、胸の中だけに生きているっていうんじゃないな、剣の中にも生きてるよな」

「でも、思うんです。父さんの剣は遅く軽かった。あの松崎さんより劣る形だった。多分、僕は……いつか忘れてしまうと思います。忘れてしまう……から」

「しょうがないだろ。親父さんはお前より弱かった。弱ければ忘れられる。そんなもんだ」

「そうなんですか?」

「お前、この前の中学の全国大会で戦った相手の顔と名前、全員覚えてるか?」


 時が流れていることが不思議だった。

 沖田は見開いて言葉を失った。

 その様子では、全員どころか誰一人思い出せないのだろうと近藤は察する。


「……誰もお前のことは忘れないよ、お前は強いんだからな。総治」


 生まれながらに剣士として育ち、人間として生きるよりも、剣士として生きてきた。

 父親との死別に際しても、多少の寂しさを感じていても、その寂しさが明日から打ち合う練習相手がひとり減ったということでしかないと沖田は理解していた。

 沖田は考える。戦うために鍛えていたわけではない。二〇世紀末で剣術が必要な技術とは云い難い。だが、自分は“士衛館の沖田”なのだ。剣術だけで生きてきた。自分を覚えている人間の多くは剣術とセットで覚えてくれているだろう、と。

 自分の存在意義は剣術だけなのか、剣術が自分の中を占めているのか、自分が剣術そのものなのか。人間としても剣士としても、自分を育んできた父親は既にもう居ない。


「寒いですね……」

「松崎と一緒に剣を振ってくるか? 温まるぞ。線香の火守りくらいやっとくよ」

「……すみません」


 喪服代わりの学ランのまま、沖田は素振りをしていた松崎に歩み寄った。

 他の流派とは少し異なる木刀を握る。松崎はその姿を認め、動きを止めた。


「素振りだけではどうにもな……相手をしてもらっても良いか、沖田?」

「良いんですか?」

「尋ねているのは俺の方だがな」


 先代館長ももちろん沖田だが、全員がそちらを館長としか呼ばず、松崎は沖田総治本人のことは他の門下生と同じく名字で呼び合っていた。

 防具も付けず、当然のように始まった松崎と沖田による高速の剣戟は、沖田前館長が亡くなる前とは変わらない速度、変わらない重さで繰り出される。沖田が士衛館の中で“一、二を争う剣士”である最大の理由が松崎に有った。

 いつでも沖田とぶつかり合って彼を育てると同時に、彼自身が沖田に並ぶ士衛館最強の剣士であったからだ。

 何合が打ち合った後、沖田は松崎と射程を広めにとり、そのまま腰を大きく沈めこんだ。


「……三連突き、だな」


 それは沖田にしかできない技だった。

 他の剣士では一発にしか見えない間に三度撃つという超絶技法。

 大概の剣士は避けるどころか認識すらできない無敵の技ではあるが、それ故に沖田はこの技を使いたがらない。こればかりで試合を終えてしまえば互いに修練にならないから。

 だがしかし、松崎に対しては用いる。云うまでもなく、松崎はこの技を受け止めることができるからだ。


「……辛いな、沖田よ」

「え?」

「すまんな、今日は……技がよく見えん、受け止めてやれんかもしれん」


 そこで初めて沖田は気が付いた。いつの間にか松崎は号泣しながら木刀を振るっていた。沖田は胸がうずいた。うねるような深く強いうずきだ。いつから松崎が泣いていたのか、なぜ気付けなかったのか。

 顔を見ていても視てはいなかった。松崎という人ではなく松崎という剣士だけしか見ていなかったのだ。

 そして一瞬考えなければ松崎が泣いている理由を感覚で理解できなかった。松崎が泣いている理由を一考した。ほんの数十秒ではあるが、そのたかだか数十秒剣を振るっている間に、沖田は父親の死を忘れていた。


「……? どうした? 沖田? 来ないのか?」

「松崎さんは、松崎さんは! 僕が死んだら、そうやって泣いてくれますか?」

「悲しいことを云うな。お前は俺よりも若い。俺より先に死ぬことなんて考えるな」


 沖田にとって、悲しいという言葉がとても瑞々しく、初めて触れる言葉のようだった。

 悲しいと思いたかった。最強の剣士であるよりも、当たり前の息子でありたいと思った、というより、思うべきだと感じていた。

 こんな状況でも強さを求めてしまっている自分を嫌悪し、そして自分と互角の剣力であるはずの松崎という人間が全てを持っているということが歯痒かった。


「僕、松崎さんみたいになりたいです」

「……なれるさ。好きなように。理心流を極めるより全然簡単だ」


 涙を袖口でグイッと拭い、松崎はニヤリと笑って見せた。

 父を失って目標を得て、人間性を持っていないことに気が付いた男は人間性のありかを見出した。若き最強剣士は、間もなく高校生である。

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