第6楽章 猟奇殺人鬼の交響曲5番
重低音の三重奏。
醜いアヒルの仔、長靴を履いた猫、青髭公の舞踏曲。
「まったく、付き合っていられないな」
ジルは、風にまじる土の臭いに辟易しながら、呟いた。
今、彼は6号車から8号車にまたがる、展望テラスを歩いている。
新しく現れたお客さんとしばらく遊んでいたのだが、いい加減疲れてきたので、あとは赤頭巾たちに任せ、キオを探しに行こうと退散したのだ。
赤頭巾の話によれば、グランたちは9号車にいるらしい。
自分ひとりで野蛮人の相手をするのは、もう遠慮したかったので、ひとまずグランたちと合流するまでは、人目を避けてテラスを通っているわけだ。
「銃相手に大鎌やら鉤爪やらで立ち向かうなんて、やはりあいつらはマトモじゃない」などと考えながら、足を進めていたジルは、ふと違和感を覚え、立ち止まった。
通り抜けている車両の室内が、やけに静かであることに気付いたのだ。
車両の乗降口にかけられた真鍮プレートには、「7」と刻まれている。
ゆったりとしたカーテン越しに見えるのは、バー特有の暗い光。
木製のカウンターはえぐれ、作りつけの小さなテーブルには銃弾の痕も生々しい。売店の商品が一切合財ひっくり返されて、床中に散らばっている。
だが、盗賊らしい姿はなく、車両の隅で乗客が怯えて固まっているだけ。
「もう、グランたちが片付けたあとか……?」
7号車に入ろうとしたところで、隣の車両から人間が数人まとめて外に放り出された。
――8号車 一般客車
テラスから8号車内をうかがうと、なんとも非現実的なことに、怪物じみた二人組が人間達をぶん投げたり、切り刻んだりしていた。
まるで大衆向けに作られた冒険活劇だ。それも悪役側の侵攻を描くシーンだろう。
いうまでもなく、その怪物たちは顔馴染みである。
ジルに気付いたグランが、パタパタと手を振ってきた。
撃たれようが刺されようが不死身で、人間の頭を握りつぶせるほどの巨漢で、包帯だらけのうえ大鉈をぶら下げた怪物だが、愛想はいいのだ。
ジルも、にこやかに手を振り返した。
それを隙と見込んだのか、へっぴり腰になりながら銃を乱射する、勇敢な盗賊たち。
が、次の一瞬には、けたたましい音をたてて、ジルの立っている隣の窓に叩きつけられた。
白眼をむいた血まみれの顔が、ヒビの入った窓に血痕を残しながら、ずるりと滑り落ちていく。
うんうんと笑顔で頷いたジルは、少し寒かったが、もうしばらく外にいることに決めた。
今入ったら、仲間の攻撃に巻き込まれて死ぬ恐れがある。
ジルが、のんびりと爪にこびりついた血を落としていると、ペーズリーがこつんと窓をノックした。もう済んだ、という合図のようだ。
「南に来たといっても夜は冷えるな」なんて、平和な挨拶をして室内に入ったジルは、車内をぐるりと見回した。一般客はいなかった。荷物や上着がそこいらへんに丸められているのを見るに、後続車へ避難したのかもしれない。賢い選択だ。
ふいに、シュルシュルと衣擦れのような音が耳に届き、ジルは振り返りがてら、仕込杖で背後を払った。
切れた数本の金髪が、深紅の絨毯に落ちる。
ペーズリーの鉄線が、まだ車内に残っていたらしい。
「…………ペーズリー」
じっとりとした半眼でペーズリーを見ると、猫耳殺人鬼は媚びるように「にゃーん」と鳴いた。
あいにく中身の正体を知っているため、ジルは全く可愛いとは思わない。
「ゴメンナサイ シッパイ」
片言と仮面のせいで申し訳なさが全く伝わってこない。
「……気をつけてくれ。もうちょっとで私の耳がもっていかれるところだぞ」
「ウウン クビ ネラッタノ シッパイ」
「狙ったの!?首を!?なんで!?」
「ジョーク ジョーク オモシロイ」
「ジョーク!?そんな言葉どこで覚えたんだ、赤頭巾か!赤頭巾だな!」
ペーズリーは適当な相槌を打ちながら、列車のあちこちに張り巡らせた糸を、せっせと巻きなおす作業に戻った。
糸は、とても丈夫で細く、肉に食い込むよう無数のささくれがあるため、巻き取るのに手間がかかるし、錆びやすい。絡んだら解けないから、切り離さなくてはいけない。
お気に入りのオトモダチの顔を作るときや、オトモダチの格好をステキに飾るための道具なのに、こんなもったいない使い方をすることになるなんて久しぶりだった。
ペーズリーは、不満げに鼻息を吹き出す。
「なんなんだ、その溜息は……まさか本気で私の首を狙ったんじゃ……ん、どうしたグラン?」
床を滑る物騒な鉄線を見ていたジルの袖が、つんつんとグランに引っ張られた。
「?」
グランが、自分の腹のあたりを示し、首を傾げている。
これは、グランの腹部までしか背丈のないリジーを表すときのジェスチャーだ。
「ああ、リジーなら、ディーンといっしょに6号車の破壊活動に勤しんでいる」
ちなみに、その他のメンバーを指すとき、ペーズリーなら猫耳を、ディーンならおしゃべりな口を、アイリーンなら豊満な胸を、ジルなら長い髪を振り払う仕草を、手だけでうまく表現する。
人差し指を交差させ、十字架を作るときは、キオだ。
今度は、十字架をつくって、再び首を傾げるグラン。
ペーズリーも同意するように隣で頷いた。
「ジル キオ ミタ?」
「やっぱりいないのか」
「カモツシャ イナイ 10ニモ 9ニモ イナイ」
「3号車から6号車にもいなかったんだ。あとは1号車と2号車――」
ジルは、はたとペーズリーに向き直った。
「うん?なら、7号車は、まだ誰も通ってないのか」
妙だな。さっきは、もう盗賊らしい連中はいなかったが。
それに、ひと騒動終えたあとのように見えたけれど。
ジルは、顎をひと撫ですると、きょとんとしているグランたちを放って、7号車へ向かった。
扉を開く音に、取り残されていた乗客が悲鳴を上げる。
多分ジルの後ろにいる二人も、悲鳴の原因だ。
「キオ?いるのか?」
ざっと見て回るが、やはりいない。
「ジル」
しゃがみこんで床の臭いを嗅いでいたペーズリーが、心なしか硬い声で名を呼ぶ。
ややあって、潜り込んだテーブルの下から引きずり出してきたのは、飴色に鈍く輝いている小さなもの。
開いた花を象った、銅製の――ギルシアン花十字架だ。
元々はペンダントだったのか、切れた鎖が絡みついている。
受け取ったジルは、苦いものでも噛んだように顔をしかめた。
キオのものだろうか。
いつも胸にぶら下げているのは知っていたが、『これがキオ・コッローディのものか?』と問われたら、そうだともそうでないとも答えられない。
グウウ、と唸り声を漏らすグランの腕を、ジルは軽く叩いた。
「……グラン、落ち着け。まだ車内でキオの死体は見てない」
外に放りだされていなければ、死んでない、はずだ。
「なんだ?あまり愉快な話は聞けなそうにない雰囲気だね」
6号車を片付けた赤頭巾とディーンが、入り口から現れた。
ジルが、無言で十字架を掲げると、赤頭巾は「おやまあ」と眉を吊り上げる。
「そうか……なら……そうだな、まずは、そこに転がってる隣人に話を聞いたらどうかな」
入り口付近にあるバーカウンターの影で、何者かが小さく悲鳴をあげた。
どうやら、この車両を見張っていた盗賊が隠れていたようだ。
のしのしと進み出たグランが、カウンターを片手で剥がし、小さくなっていた男を見つけ出した。そのまま怯える暇も与えず、子猫のように摘み上げ、壁際に押さえつけてしまった。
もがいた足元を、ペーズリーの袖口から伸びた鉄線が封じる。
その間に、ディーンが残っていた乗客を後続車に追い出した。
グランに片手で掴み上げられている男は、あまりよいとはいえない人相を泣きそうに歪めている。
「さ、ささ殺人鬼って……あ、あのアナウンスの殺人鬼って……」
男の両目がせわしなく動き、震える喉が生唾を飲む。
「……こ、殺さないでくれ」
ジルは、軽い冗談でも聞かされたように、やんわり微笑んだ。
久しぶりに聞いた真摯な命乞いなのに、全く心が躍らなかった。
「それは君の返答次第で、こちらが決めることだ。ここで何があったのか聞かせてもらおう」
「な、何って……そんな、き、気絶したから、よく……」
「なるほど、よく分からないか」
直後、赤頭巾の大鎌が、顔の真横に突き刺さり、男は哀れなほど縮み上がった。
「舌の滑りがよくなるように、唇でも削いでやろうか?」
どうやら、6号車のダンスも、あまり赤頭巾を慰めるものではなかったらしい。
今にも気を失いそうな男は、しきりに唇をなめ、どうにか殺人鬼たちの厚意を得ようと頭を働かせている。
「やっぱ殺そうか」
赤頭巾が、面倒くさそうにぼやいた。混乱した生き残りに聞くより、列車の乗客を皆殺しにしながら探すほうが早いと思っているようだ。
今にもイライラメーターが振り切れそうな赤頭巾をなだめたのは、ディーンだった。
「待ってよ、リジー。ねぇ、アンタ本当になにか知らない?気絶する前のことは?ここに男の子がいなかった?」
ディーンの落ち着きようには、赤頭巾も面食らったようだ。
舌打ちはしたが、おとなしく大鎌の柄を地面に下ろす。
ようやく与えられた脅しの混じらないマトモな問いかけに、男は必死で縋りついた。
「お、男の子……い、いたよ、ふたりいた。そいつらにぶん殴られて、気絶したんだ!だから、そのあとどうなったかは知らないんだ!俺はここを見張れって言われただけで……だから、なんにも知らない!本当だ!」
ここにいた男の子とやらが、キオである可能性は高かった。売店に(パンツ買いに)行ったわけだから、7号車にいるのが自然だ。キオが用事もなく一等客車に行くとは思えない。
つまり、ついさっきまでここにいたはずなのだ、この連中が余計なことをしていなければ。
「なあ、助けてくれ!これ以上は、本当になにも知らない……!」
男の履いているズボンの付け根が濡れてきたのを見て、青髭公は蔑むように鼻を鳴らす。
「……ディーン、もういいな?」
もう殺していいな?という意味だ。
悪い形で、キオ・コッローディの消息に関わったらしい相手を、このままにしておくわけにはいかない。
ディーンは賛成しかねていたが、諦めたように引き下がった。
男が、いよいよおしまいかと絶望したとき、
「コレ キオ チガウ」
無感情な片言が割って入ってきた。
「なんだって?」
ジルから十字架をひったくったペーズリーは、念入りに見つめたすえ、うんうんと頷いた。
「キオ ジュウジカ チガウ」
「ほんとう?ペーズリー、なんでそう思うの?」
「キオ ジュウジカ モットオオキイ モットカルイ モットキタナイ」
ペーズリーの記憶は確かだ。
猟奇殺人鬼たちは、ペーズリーの描く写実的で観察力に優れた絵を見ているため、ペーズリーの記憶にはある程度信頼を置いている。
いまにも盗賊を刻みそうだったリジーは「やれやれ」と天を仰いだ。
「ゼッタイ キオ チガウ ニオイモ チガウ」
「なんだ、まぎらわしい……他にも修道士が乗ってたとでもいうのか?」
安心半分不愉快半分といった口調のジルが、長い指で額を押さえる。
確かにまぎらわしかった。
問題のギルシアン花十字架は、装飾品として身につけるには古臭いし、教会関係者が持つには安っぽい。敬虔な一般信者の物なら、酒を飲む車両にあることが不自然だ。
というか、もっと単純に、こんな(料金の高い)列車の、こんな(信者に不似合いな)車両で、こんな(野暮ったい)十字架を落としそうな(間抜けな)人間は、キオ以外にいないと思っていたのだが……。
突然、勢いよく7号車への扉が開いた。
「そ、その十字架から、手を離しなさいケダモノオオォォ!」
どうやら、キオ以外にもそんな人間はいるらしい。