第6楽章 猟奇殺人鬼の交響曲4番
飛んだり、跳ねたり、三重奏。
赤頭巾、青髭公、笛吹き男の舞踏曲。
今夜の月は、随分と大きく見える。
広大な森の中では、鳥の鳴き声と風の揺らす葉擦れ、小さな獣が地面に落ちた木枝を踏み折る音が、ときおり耳をかすめるのみ。
そんな静かな夜、膨らみ始めた木の芽をかじっていた一匹の雌鹿が、ふいにぴくりと耳を澄ます。
黒い目が、闇を透かすように見つめる方向から、なにか小さな音が聞こえる。
しばらく、聞き入っていた鹿は、ぱっと森の奥へ駆け込んでいった。
やがて、はるか向こうから、現れたのは大きな光。
光の照らす先には、森を切り裂くように鉄を組み合わせた道が伸びており、その道が光の動きに合わせて振動している。
音の正体は、この振動だ。
それはどんどん大きくなっていく。
あれは、たびたび森を通り抜ける、一つ目の怪物だ。
あの怪物には、我が子をバラバラに食いちぎられたことがある。
雌鹿は、十分に距離をとった森のなかから、じっと光を見守った。
怪物は鉄の道を、足元から火花を飛ばしながら、わき目もふらず駆け抜けていく。
鹿は気付かなかったけれど、その恐ろしい怪物の上に、今夜はもっと恐ろしい怪物が立っていた。
「夜の部開幕といったところかな」
赤頭巾は、月を見上げ、低く呟く。
その赤い影に向かって、同じく屋根に立つ男が笑いかけた。
「ふふん、このナイフ使いの達人ロック・ポーフィリーを前に、夜空を見上げる余裕があるなんて、さすが噂に名高い赤頭巾ちゃんだゼ」
だゼ、のあたりでウィンクをかます盗賊の男。
……なんか、うっとうしいの出てきたな。
赤頭巾は、じっとりとした目で相手を眺めている。
頼まれてもいないのに名乗りを上げたポーフィリーは、びしっとナイフを構え、ポーズをつけた。
「月下のダンスパートナーとして不足なしだゼ!」
あああああああほらーもー、こういう人こそ、青髭のとこ行ってほしーわー。
ぜったい意気投合できるはずだわー。
硬い表情のまま、心の中でぼやく赤頭巾。
ただし、「ナイフ使いの達人」という異名は一応他称であるのか、ポーズは変だが隙はない。
思ったよりも厄介な相手かもしれなかった。
そもそも、赤頭巾の大鎌は、武器としては弱点だらけだ。
ナイフ相手のような接近戦になると、リーチが長すぎてジャマ。
刃が重いため、動作が大振りになりがち。
つまり、ぶん回している間は防御できない。
また、赤頭巾自体が未成年であるため、持久力がもたない。
……おまけに、今は背中に余計な荷物もある。
ふたたび、バラを背負った変態を思い出し、赤頭巾はますますイラついた。
なんにせよ、こういう相手は、早めに片付けるにかぎる。
赤頭巾は、一足飛びに距離を詰め、下からすくい上げるように、鎌を振るった。
巻き上げられた風が相手の髪を乱すも、胸を掠めるギリギリでかわされ、肉を削ぐには足りない。
思わず舌打ち。
屋根を蹴って、相手のみぞおちに膝を沈める。
だめだ、うまく払われた。
逆手持ちのナイフが視界に入ったところで、赤頭巾は空中で回転し、列車の端へ降り立った。
「……ッ!」
間髪いれず飛んできたのは、2本の小型ナイフ。
「せっかく可愛いお顔なんだから、隠してちゃもったいないゼ」
赤頭巾の顔にかかったフードの一部が、数秒の間をおいて大きく裂ける。
避けていなければ、目のひとつやふたつは持っていかれていただろう。
ただし赤頭巾は、大して狼狽もしていなかった。
……ふうん、ダンスかあ。
と、胸中でひとりごちただけだ。
飛び掛ってきたポーフィリーのナイフを柄で受けた赤頭巾は、その重さに目を細めた。
…………ダンスねぇ?
受けきれず、体重を移動し、外に負荷を払う。
相手の背中が、ほんのわずか無防備になった。
でも、鎌の刃を食い込ませるには、距離が近すぎる。
多分それを分かっていて、向こうも懐に飛び込んできたのだろう。
「せっかくだけど、おしゃべりな男は嫌いなんだ」
風上に立つ相手に、大鎌を使うのは骨が折れる。
大きな刃が風を受け、せっかくのスピードを殺してしまうからだ。
逆に相手は追い風のため、投げ技が使いやすそうである。
やっぱり、大きな鎌は使いにくい――ただし、それは「大きな鎌のまま」であればの話だ。
次の瞬間、ポーフィリーの体勢が崩れ、背中から鮮血が迸った。
ポーフィリーの目が見開かれる。
ちょうど、大きく湾曲した刃が空中を舞って、赤頭巾の手に戻るところだった。
刃は、大鎌の柄から伸びた鎖につながっている。
男も女も、老人も子どもも、強い者も弱い者も、区別なく平等に殺してあげられる、とってもおてんばなもうひとつの顔――鎖鎌の登場だ。
「ひとりで踊ってろ、狼さん」
足首をもぐ勢いで飛んできた刃を、かろうじてかわすポーフィリー。
南の大陸にも聞き及ぶ死神の登場に、つい血が上ってしまったが、気付くべきだった。
あの大鎌には、薔薇の彫金が施されているじゃないか。
忌々しいギルシアン・ブリジットの国花だ。
でも、そんな大層な彫り物のある『大鎌』なんて武器は、大戦中にだって存在していない。そんなふざけた武器が、戦争に使えるわけがない。だったら、赤頭巾が独自に手入れしたものだってことだ。
――ラ・マーモットの殺人鬼が、何故ギルシア国印のものを持っているのかは分からないが、仕掛けがあると踏んでおくべきだったな……。
ポーフィリーは、軽く肩を動かしてみた。
右腕が重い。血がゆっくりと肘から滑り落ちてくる。
赤頭巾が再び刃を構えたのを見て、ポーフィリーはじりじりと後退した。
もうすぐ、森を抜ける。この列車にいる意味はなくなる。
「……照れ隠しにしても、男に『ひとりで踊れ』なんてひどいね」
ポーフィリーは、にっと笑うと、そのまま列車の屋根を蹴った。
「今度会うときは、そっちからダンスに誘いたくなるような男になって、も、もろ……戻ってく――」
最後のほうは、噛み気味だったためよく分からなかった。
多分、「戻ってくるゼ!」といいたかったのだろう。
そんな大変ポジティブなセリフを残し、ポーフィリーは森の中に消えていった。
「……新しいタイプの変態だな……」
今の列車の速度であれば、下手をしても両足骨折くらいですむだろう。
できれば、全身骨折してほしいのに、と赤頭巾は思った。
「さて……他の変態たちはどうなってるかな」
赤頭巾は、鎖を丁寧にしまいこみ(手で巻き取る面倒さが玉にキズだ)、近くの車両を覗き込む。
窓に顔を近づけた途端、ガラスが割れ、銀色の刃物が飛び出してきた。
食事用のナイフだ。
「やれやれ、こっちもナイフか」
赤頭巾は、ぶうと頬を膨らませると、窓から車内に入り込んだ。
「やあ、もうパーティーは終盤なの?」
――6号車 食堂車
簡易シャンデリアが、危なっかしく揺れている。
散乱した食器にカトラリー、テーブルクロスは血まみれ、あちこちに花がぶちまかれ、テーブルや椅子は窓に突っ込んだりと、なかなかの破壊ぶりである。
残念ながら食堂車にいた乗客のなかに、青髭公のお眼鏡にかなう女性はいなかったようだ。
中年の婦人が数人、涙で化粧の溶けた顔をそのままに気絶している。
「テーブルマナーがなってないんじゃない?それとも最近はナイフ遊びが流行ってるの?」
掌を食事用ナイフでテーブルに縫い付けられたまま、失禁している盗賊を、赤頭巾は面白くもなさそうに見やった。
「ふっ、お前にマナーについて、ご教示を受ける日がくるなんてな」
テーブルに腰掛けた青髭公が、優雅に首を振る。
赤頭巾は当然ムカついた。
「あ、これ返すよ、青髭!そぉおおおい!!」
仕返しに、コートの下に背負っていたステッキを、明後日の方向へ思いっきりぶんなげてやった。
「うわあああ!振りかぶって投げないでくれ!わりと気に入ってるんだから!」
蔓薔薇の絡む純銀のステッキを抱き締め、わめく青髭を、さらっと無視する赤頭巾。
「で?ディーン、ここより前の車両って、もう見た?」
「うーんと、オイラたちが泊まってる3号車と4号車と5号車は見たよ。1号車と2号車は、まだ。リジーは後ろから来たの?」
赤頭巾は、とんとんと大鎌で肩を叩き、頷いた。
「うん、グランといっしょに貨物車からね。ああ、そうだ。さっき9号車でペーズリーと会った」
「なあ、赤頭巾、キオを見かけなかったか?」
「ごめん、青髭公。今、ディーンと話してるところだから」
「別に話に混ぜてくれたっていいだろ!何その迷惑そうな顔!」
騒ぐふたりをよそに、ディーンは溜息をついた。
グランたちにも会ってないなんて。
キオは、どこ行っちゃったんだろう。
くだらない舌戦と、ディーンの物思いを破ったのは、どかどかと耳障りな足音だった。
6号車の入り口に近づいてくるようだ。
1、2号車に残っていた連中が、ようやく動き出したのだろう。
「ああん?まだお客さんがいるみたいだね」
「男の相手なんてそそられない。もう十分だ。お前が踊ってやるといい、赤頭巾」
いきなり赤頭巾の大鎌が、振り下ろされる。
青髭公は危なげなく、仕込み杖で刃を受け止めた。
「……赤頭巾、私は、あの連中と踊ってやれと言ったんだ」
「おいおい、淑女から行動を起こしたのに、断るなんて。恥をかかせる気なの?」
「血が見たりないからといって、私に当たるのはどうなんだろうな。グランに遊んでもらえ」
「そうしたいのは山々だけど、どうもわたしの片想いらしくてね。もう12回も誘いを断られてるよ」
「断られすぎだろ!そこは心折れとけよ!」
「ああもう!今は、そんなこと言ってる場合じゃないってば!」
ディーンは、手近にあったテーブルから花瓶を掴み、ふたりに投げつけた。
「ケンカするのとキオ探すのと、どっちが大事なのさ!」
青髭公のステッキと、赤頭巾の大鎌が、同時にそれを叩き落す。
「「キオに決まってるだろ」」
ペンネームを、「謝罪の伝道師・三月」に改名したほうがいいかもしれません!