第6楽章 猟奇殺人鬼の交響曲3番
笛吹き男と青髭公による、調子はずれな二重奏。
――4号車 2等客車
ディーンは、彼らしからぬ大人びた仕草で、うんざりと肩を落とした。
よっぽど放っておこうかとも思ったが、そのまま客室に置いておいて、うっかり死なれても困るし、うっかり殺しまくられても困る。
なんの話か。もちろん、青髭公こと、ジル・ヴィクトール・F・ド・ブルノーのことである。
ご機嫌の青髭公は、盗賊相手に容赦なく割れたボトルをブッ刺そうとしたり、もう気絶している相手を短銃で試し撃とうとしたりするため、ディーンは目が離せないのだ。
「もう、ジル!さっきから言ってるじゃん!死んじゃうようなことはやめてよ!」
ディーンから何度目かの注意をうけたジルは、悪びれる様子もなく、ひらひらと手を振る。
「そんなに繰り返さなくても分かってる。なんだかキオに似てきているな、笛吹き男」
笛吹き男。
久しぶりに聞いた名前だ。
ディーンは、一瞬目を見開き、次いで苦しげに眉を寄せた。
「……その呼ばれ方は、やだ」
憮然としたディーンの口調に、ジルは首を傾げる。
「さみしいことを言うじゃないか。本当の名前より、よほど有名なのに」
「でも、やだ。そーゆーこと言うなら、おいてくから」
ずんずんと扉へ向かうディーンに対し、ジルの声音は無邪気なものだ。
「別に怒らなくてもいいだろう。私は、その通称が気に入ってるだけなんだから」
「オイラはいやだ」
「どうして?」
「どうしてって……」
ディーンは、口の中で慎重に言葉を転がした。
「それは、悪い名前だからだよ」
ディーンは、ジルの視線から逃げるように、帽子を深く被りなおす。
自分が今どんな顔をしているのかなんて、誰にも見てほしくない。
「……変なこと言ってないで、早くキオを探しにいこう」
4号車は、ひとつの車両につき、2つの区分客室しかない。
右側に客室の扉が並び、左側には窓が据え付けられているだけの決して広くない通路は、今は気絶者で埋まっていた。
それらを踏み越え、ディーンは5号車の扉を開こうと、ハンドルに手を伸ばす。
「まあ、待てよ、笛吹き男」
その手を、ごく自然に、ジルが抑えた。
「この名前の、なにが、どう悪いんだ」
ディーンの前に立った青髭公が、さっきと変わらない様子で笑っている。
車窓からは、薄闇がじんわりと滲んでおり、天井の電気式ランプが眩しいほどだ。
その光が、扉を塞ぐジルの金髪や、床に散乱した瓶の破片に反射して、ちらちらと視界を踊る。
しばし固まっていたディーンは、ジルの手を払いのけて、ハンドルから注意深く離れた。
「そんな話、どうだっていいよ」
「よくないな」
ジルは、メンバーのなかでも感情表現が豊かな方だ。
言葉数も多いし、当初冷たいくらいだった無関心さも薄れている。
でも、やはりディーンとって、寡黙なグランや片言のペーズリーのほうが、なにを考えているのか分かりやすい。今のような状況なら、余計に。
「私は、今聞きたい。教えてほしい。『笛吹き男』という名前のどこが悪いのか」
リジーなら上手く返すだろうし、グランなら力ずくで退かしそうだが、ディーンにはどちらもできそうにない。いや、できるかもしれないが、なにしろジルはちょっとアルコールも入っているのだし、こういうおふざけをしたくなっただけかもしれない。
ディーンは、わずかに感じた本能的な警戒を、あわてて打ち消した。
だって、ジルとチョコレートの話をして嬉しかったのは、本当についさっきのことなのだから。
「別に、そんなむずかしい意味で言ったわけじゃないよ……ただ、その、『笛吹き男』っていうのは殺人鬼の名前だから、そう名乗るのはやめたいんだ。ゼンコウして呪いが消えた後でもね。だって、ほら、殺人鬼は悪いから」
観念したディーンは、身振り手振りを交え説明するが、話すうちに自分でもなにが言いたいのか、よく分からなくなってくる。
「悪いのじゃなくて、いいのになりたいんだよ。だから、その名前はいやなんだ」
リジーの半分でも賢ければ、もっと上手に話が出来るのに。
生まれて初めて、ディーンは自分の学の無さを、恥ずかしく、悲しく思った。
「いいものになりたいって……なんだ、本気で言ってるのか?」
黙って聞いている様子だったジルは、目を丸くした。
「まあ、神様とやらが見ている以上、『反省のパフォーマンス』は必要だ。善行を続けることで、このバカバカしい呪いが解けるなら、それに越したことはない。だが、演出以上にイイ子になったところで、過去が清算されるわけでもない。つまり、聖典の言葉を借りるのも癪だが、本当に千の善行をしたところで、たったひとつの悪事がなかったことになるわけじゃない。いまさら『いいもの』になんてなれないと思うがね」
子どもに新しい言葉でも教えるような、当たり前のルールを学ばせるような、そんな噛んで含める口調だ。
いい?男の子はピンクのチュチュなんか着てはいけないの。なぜかって、そのお洋服は女の子が着るものだからよ、分かるでしょう?そんな感じだ。
ディーンはなんとか反論を探してみたけれど、見つからなかった。
ジルは、なにを言いたいのだろう。
なにをディーンに言わせたいのだろう。
ディーンの困惑が伝わっているのかいないのか、ジルは挑発的で残酷な内容をのんびり話し続けている。
「『いいもの』に憧れる気持ちは分かる。でも、名前を捨てたって、『いいもの』にはなれない。だって、つまるところ世間で憎まれているのは、名前ではなくて、お前自身だからな。呼び方が違うだけで同じ存在だ」
ふいに大きく列車が揺れ、ランプの光が瞬いた。
森の中で、なにかに驚いた野鳥が、甲高い鳴き声を上げる。
「『笛吹き男』だったという事実から、逃げたいということか?」
だめだと思う前に、先に手が出た。
逃げる、という言葉に身体が反応してしまったのだ。
5本指の鉤爪が、ジルの喉元を捉えて、背後の扉に突き刺さる。
細かく散った木屑が、音も立てずに、ジルの肩や髪に舞い落ちた。
口論で手を挙げたのは、はじめてのことだ。
ディーンは自分の行動に気持ちが追いつかないまま、大きく震える息を吸った。
「……なにが言いたいのさ、青髭」
ディーンの反応に、ジルは意外にも、少し傷ついたような表情を浮かべている。
『傷ついたような』と表現していいのだろうか。少なくともディーンが自分の行動を省みて「申し訳なかった」と思うくらいには、悲しげな顔をしたのだ。
「私は、ただ……逃げる必要はないと……どちらも悪くないと思っているだけだ。『笛吹き男』という名前も、お前のことも」
ディーンは、いぶかしげに目を細める。
「どういう意味?」
「言葉がよくなかった。つまり、ラトゥールの件も、お前にとっては相手を殺すだけの理由があったんだろう?だったら別に悪くない、仕方のないことじゃないか。物事を『悪い』とする判断は、何故だかいつも他者のものさしだ。それを真に受けて、お前だけが自分を責める必要はない」
逃げる必要がない?悪くないから?
なにかが決定的におかしいと分かっているのに、ディーンはなにも言えなかった。
「殺された相手は、お前にとって『いいもの』じゃなかったんだから、殺されて当然だ。連中は、結局まとめて『いいもの』じゃなかったということさ。『いいもの』だったら、殺されたりしないだろうからな」
なぜ、こんな話になったのだろう。
ディーンは、『いいもの』になりたいし、自分では気付いていないが『いいもの』の意識に近づいているから、悪い人殺しの名前を名乗り続けることに罪悪感を覚えたのだ。
なのに、ジルは、まったく違う話をしている。
そもそも、彼は、ディーンが悪くないという。
なぜなら、関わった全ての人間が『いいもの』ではない――つまり、ディーンに殺された側も、ディーンを「悪い」と判断した側も、『悪いもの』だから、ディーンも悪くないという。
だから、『笛吹き男』の名前だって悪くない。だから捨てる必要がない。
ディーン自身もそんなことを気にしなくていいと、ジルは言っている。
なにかが変だ。破綻している。
ジルは本気で思っているのだろうか。
自分達は悪くない、と。
本当に、なぜ、こんな話になったのだろう。
ディーンは、全身から力が抜けていくような気がした。
「……ディーン、誤解しないでほしい」
鉤爪に捕らわれたままのジルが、かすかに身じろいだ。
呼びかけられた声は、驚くほど耳に心地よい。
「お前を責めているわけではないし、不愉快にさせるつもりもなかった。最近、思いつめているようだったから、そんなに急いで笛吹き男を捨てて、マトモになろうとしなくてもいいんじゃないかと言いたかったんだ。私は、『笛吹き男』のお前も気に入っていたから」
それは本当に心の底からすまなそうな様子で、ディーンのことを想って口にした言葉のように聞こえた。
言っていることは、おそらく正反対なのに、その甘美で優しげな響きは、恐ろしいことに少しキオに似ているのだ。
ディーンは、無言で鉤爪を引き抜いた。
はらわたを無遠慮に掻き回され、傷口に欲しくもない花束を詰めて、縫い合わせられた気分だ。
目の前の青髭公は、それを見て「綺麗だ」と賞賛するのかもしれない。
「なんて言っていいか分からないけど……オイラ、こんな話はしたくない」
ディーンは、せいいっぱい平静を装い、息を整えた。
「うん、そうだな。他の車両も騒がしいし、様子を見に行こうか」
ジルが、ディーンを気遣うように頷き、扉のハンドルに手をかける。
今度は、ディーンがそれを制した。
「……待って、オイラが先に入るよ。ジルは、なんにも武器持ってないんだから、後ろにいて」
そう言ってジルの隣を擦りぬけ、振り返ったディーンは、再びなんともいえない不可解な気持ちを味わった。
「ありがとう、ディーン」
帽子の影で、知らず生唾を呑む。
列車の中は十分に明るく、客室の空調のおかげで十分に暖かい。
なのに、真冬の湧き水でも飲まされたように、食道が冷たく焼けていく。
ディーンは、扉の先の盗賊なんてちっとも怖くない。彼らの持っている銃も怖くない。
怖いのは、ディーンを信頼しきっているように笑う、後ろの仲間だ。
そして、その信頼を複雑に疑い始めている自分自身だ。
もっともっと時間がたてば、いつかジルの言葉も、分かるようになるのだろうか。
「ジル」って打つと、高確率で「汁」と変換される!たすけて!