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第6楽章 猟奇殺人鬼の交響曲2番

まずは、醜いアヒルの仔と赤頭巾による、目も覚める二重奏。




――10号車 一般客車


まったく、意味が分からなかった。

鼻血をぬぐうことも忘れて、少女ダイヤは立ち尽くしている。


ほんの少し前のことだ。

車内に居座っていた悪者たちが、いきなりルビー・エーデルシュタインの腕を掴み、10号車後方の個室まで引きずっていこうとしたことは、覚えている。


ルビーが目をつけられたのも、仕方なかった。

見るものの心を焼くような情熱的な赤毛に、紅玉(ルビー)のような瞳。ペドラ・プレシオーザ歌劇団一の人気を誇る彼女の美貌は、金髪碧眼が好まれる上流階級からでさえ声がかかるほど。

いくら質素な格好をしていようと、その美しさが目に留まらぬはずもない。


ルビーははじめ、恐ろしさに悲鳴を上げたが、乱暴を止めようとした老団長が殴られているのを見て、口をつぐんだ。

ふと、ルビーの視線が、幼い少女たちの集まっている、こちらに移った。

すると、怯えに潤んでいた彼女の瞳に、みるみる決意にも似た光が浮かんでいく。


ああいう目の色を、ダイヤは知っていた。


思わず立ち上がろうとしたダイヤに、ルビーの目が語る。

「わたしは大丈夫だから、じっとしていて」と。


だいじょうぶなもんか。

ダイヤは唇を噛み締めた。


ダイヤにとって、ルビーは恩人だ。

そんな大切な人が傷つけられるのを、黙って見ているなんていやだ。

犠牲も、争いも、もうたくさんだ。


ダイヤは、木靴の裏に仕込んでいた、小さなピンを引き抜いた。そのまま、止めるイヴァンナやサファイア姉妹の手を振りほどき、ルビーを捕らえる男に掴みかかる。


「だめよ!アーネスト!アーネスト!ダイヤを止めて!」


ルビーの制止を聞かず、ダイヤは男の土臭い足にしがみつき、思い切り噛み付いた。厚いブーツ越しに、子どもの歯が届くはずもない。ふくらはぎにピンを突き刺そうとしたところで、男は自由な足でダイヤの鼻面を蹴り飛ばした。

パッと鼻血が飛び、ダイヤのやせた身体が、車両扉にしたたか打ち付けられる。


「おいおい、グライゼン、こっちに蹴るなよ。血が飛ぶだろ」

「あぁ、悪い」


仲間に諌められても、グライゼンは涼しげな目元を崩しもしない。

リーダーに雇われているという、この傭兵は仲間にも何を考えているのだか分からないところがある。冷静沈着に殺しを遂行する姿を、戦略家アルコーズは「銃が人間になったよう」と、評するほどだ。

今も、子犬のように転がったダイヤを、グライゼンは冷たく眺めている。


「売れそうにないのは片付けていいんだったな」


ダイヤの髪は、肩まで短く刈られており、まるで煤でも被ったように汚らしい。そのくせ、肌は何年も日に当たっていないように青白かった。まだ幼く、胸も尻も薄い体型のため、ダイヤが少女だということに気付いていないようだ。


グライゼンは、愛用の回転式拳銃を無造作に取り出し、皮肉げに口の端を歪めた。


「ふっ、こんな至近距離じゃ、射撃の腕を見せられないのが残念だ」



さて、ダイヤが分からないのは、ここからだ。



まず、目の前にいた男(つまりグライゼン)が、2メートルくらい吹っ飛んだ。

吹っ飛び方は、ジャンプする蛙の姿に、ちょっと似ていた。

文字通り身体が宙を舞った彼は、木製の椅子に頭から突っ込んで、静かになった。


「あぁ、神様……」


ルビーの小さな声は、ダイヤの背後から響く獣の唸り声で、かき消される。



オォオオォオオオォ――――



肌がびりびりと震え、ダイヤの背中を冷たい汗が滑り落ちる。

開いた背後の扉から吹き込む風に、ルビーの赤毛が炎のように舞っているのが見えた。

しゃがみこんだまま、見上げたダイヤの背後に。

新しいふたりの演者(えんじゃ)がいた。


「悪いけど、どいてもらえるかな、可愛らしいお嬢さん方?」


暴力的な舞台を壊す、もっと暴力的な最高の演者(えんじゃ)が。



「ここは、わたしたちの舞台だ」



突然登場した化け物の進行を阻止しようした男たちも、速攻で跳ね飛ばされた。

人の頭蓋より大きく、木の瘤より硬そうな拳が、血に濡れた赤い放物線を描く。

くらりと気を失いそうになったルビーを、駆け寄った脚本家アーネストが抱きとめた。


そのアーネストを踏み台に飛び越え、赤い影が笑う。

可愛らしいシルエットに似合わない凶悪な大鎌を携えて。


「そ、それ以上、こっちに来ると人質を撃」

「はいはいはいわかったわかった」

「ぎゃあああああああああ」


全部言い切る前に、赤頭巾は腕を落とさない程度に優しく、相手の肩から胸を切り裂いた。

人の命を奪うとは思えない軽い音をたてて、短機関銃があちこちから発射される。

だが、弾の軌道は赤頭巾の動きを追うだけで、留めるには遅すぎた。


盗賊たちの弾丸は、そもそも銃器を使い慣れていないのか、それとも血も涙もない正義の味方の登場に動揺しているのか、赤頭巾にかすりもしない。

何発かはグランに当たったようだが、それは逆に相手を刺激しただけだった。


傷ついた野獣のように吼えたグラン・ジンジャー・ボーデンは、いくつか窓を破壊し、近くの盗賊に突進した挙句、その男の首をわし掴み、仲間に向かって叩き付けた。

そのまま転倒した連中に、今度は大鉈を振りかぶる。

赤頭巾は、慌てて声をかけた。


「あ、鉈はやめとけよ。死んじゃうから」


ペン落としましたよ並の軽い口調で呼びかけられ、グランはハッと両手で口を押さえた。

それから、改めて拳を使って、まだ元気そうな盗賊を片付けていく。


幸い、グランの殺人スイッチは、完全に入っていなかったようだ。

何人か乗客も巻き込まれていたようだが、別に死んでいないし、まあ及第点だろう。

赤頭巾は、やれやれと肩をすくめた。


それから、足元に転がる短機関銃を、鎌で引っ掛けて、車外に放り出した。


「なんで列車を襲うのに、あんな機動性ゼロの武器を持ってるのか聞きたいね。子どもの陣地取り遊びでもないんだし、もっと真面目にやらなくちゃ……まあ、無抵抗な人間しか殺したことがないんじゃ仕方ないのかね」


一番まともに受身を取ろうとしていた男(グライゼンのことだ)も、グランが2秒でのしてしまったので、がっかりだ。

ころりと飛んできた、誰かの前歯をブーツの先でもてあそびながら、赤頭巾は溜息を吐いた。


「さ、キオはここにはいないようだし、次の車両に――」


ぐるりと車内を見回し、そこで棒立ちのままのダイヤに目を留める。


「……あー、お嬢さん、鼻血出てるよ?」


まだ、初等学校に通う前くらいの年齢ではないだろうか。

ちょうどあれくらいのサイズの頭蓋骨、前からほしかったんだよなぁ、と赤頭巾は思った。


一方、鼻血を指摘されたダイヤは、袖でごしごしと顔をぬぐっている。


「いけないよ、ダイヤ、こっちへ来なさい……!」


その声で、赤頭巾は、震えるルビーを抱き締めたアーネストの姿にも気付いた。


ひょっとしたら、この少女の両親だろうか。

だとしたら幸せなことだ。

親子で乗った列車に強盗団が押しかけたのに、だれひとり命を落としていないんだから。


「…………」


ダイヤは、アーネストの声が聞こえているのかいないのか、赤頭巾から目をそらさない。

なにか喋ろうとしているようにも見える。色の薄い唇が、ふるふると動いている。

赤頭巾は彼女らしくもなく、相手の出方を少し待ってみたが、すぐに興味は他へと移ってしまった。


10号車と9号車をつなぐ扉の隙間から、猫耳が飛び出していたからだ。


「にゃーん」


「……あれ?ペーズリー?ひとりなの?」


ペーズリーは、赤頭巾の声に、そろりと顔を覗かせた。


今のペーズリーは、人皮の仮面の上に、骸骨をモチーフにしたキャラクターのお面をかぶっている。おどけた表情がイラッとくるが、ペーズリーはいくつか買ってもらったお面の中で、それが一番気に入っているようだ。

ペーズリーの死体愛好癖と、なにか通じるものがあるのかもしれない。


「キオ シラナイ?」


開いた扉の向こう――9号車に、逆さまにぶら下げられている人影が見えたけれど、それについて、赤頭巾はコメントしなかった。大体なにがどうなったのか聞かなくても分かる。


「貨物車に一度来たけど、それからは知らないんだよ。ね、グラン」


返事がないことに振り返れば、グランは逃げようとした男(一応説明するとグライゼン)を捕まえ、足で胸の辺りを踏み、じりじりと体重をかけているところだった。


「……グラン、そいつも、死んじゃうからよせよ」


赤頭巾が再びなだめる。

殺戮衝動が湧かない相手だと分かった以上、理性で人を殺す赤頭巾のほうがグランより冷静である。


「で、ペーズリーは9号車にずっといたの?」

こくりと頷く、猫耳付きのガイコツ。


「へぇ、じゃあ、それより前の車両はまだ手付かずか」


赤頭巾は、あくどい笑みを浮かべると、グランに抱えられる前に、ひらりと窓辺へ飛び乗った。


「ちょっと先の車両を見てくるよ。ペーズリーは、グランといっしょに8号車へ向かって」


再び頷くペーズリーに手を振り、赤頭巾は列車の屋根へと上っていった。


「あんなんじゃあ、物足りないよ、まったく……これ以上保護者が増えるのはごめんだね」


ひょこっと屋根へ顔を出すと、なにやら少し騒がしい。

2、3人の盗賊が、風にもみくちゃにされながら、なにか叫びあっている。


「おや?もう、だれかが上を通ったらしいな」


こういう場所を舞台に選ぶ愉快な奴には、心当たりがある。

羽飾りをふんだんにつけた道化師を思い浮かべ、赤頭巾はひとりごちた。


「いつものこととはいえ、拍手がないのが心底残念だね」

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