第6楽章 チューニングタイム
それっきり、マイクロフォンの電源は、落ちたようだった。
――7号車(バー&展望車) テーブルの下
修道士の少年は、テーブルの下で、ちんまりと膝を抱えていた。
同伴女性に、ここにいるよう言われてから、どれくらいたったろう。実際には、ほんの数分しかたっていなかったが、緊張しっぱなしの状況なだけに時間の感覚が分からない。
それに、さっきの放送……。
キオは、くらりと眩暈を覚える。
あれは間違いなく件の同伴女性であるアイリーンの仕業である。放送が始まったと同時に、強盗団(と思しき)一味の男たちは、物騒きわまりない銃器を手に、各々散らばっていった。
キオは、前後の扉に残った見張りに気を配り、しゃがみこんだ乗客たちをすかして、アイリーンの去った7号車口をそっと伺った。
本当は様子を見に行きたかったが、へたなことをすれば、自分が彼女の足を引っ張ってしまうのは目に見えている。
「うぅ……だいじょうぶかな……」
自分の身を心配した独り言ではない。
ただし、現段階では、もはや同伴女性の安否を指しているわけでもなかった。
だって、なんかさっきから、遠くで叫び声が聞こえる気がする。
その喧騒がどんどん大きくなっているのは、たぶん幻聴ではない。
少年は、祈った。
効果があるのかどうかはともかく、熱心に祈った。
「……強盗の人たちが、なるべく無事に逃げてくれますように」
――11号車(貨物) 列車内搬入口前
「なんなんだ……さっきの放送」
行動を共にしている仲間に尋ねても、もちろん分かるわけがない。
6人いるうちの1人が、口元を覆う布をほどき、ゆるく首を振った。
「さあ……?とにかく、さっさと貨物車を外しちまおう」
線路の左右に広がる森に、彼らの仲間たちは潜んでいる。先頭集団が列車の速度をおとさせたのを見計らい、連結箇所を外し、貨物車部分は森に取り残してくる手筈だ。北ウェンベルと南ウェンベルを横断する河川群に入るまでに、切り離さなければならない。
男は、外へ通じる接続扉を開いた。風が勢いよく入り込む。
車両同士の隙間から覗く森は、日が落ちかけていることもあって、陰気に列車を見送っている。
「アルコーズ、大丈夫そうか?」
アルコーズと呼ばれた男は、仲間に向かって頷くと、膝を付いて足元のハンドルに手を伸ばす。
電気仕掛けになっている接続箇所の鍵は、予定通り解除されていた。あとは、車両同士を繋ぐフックのかかった連結器を緩めれば、手動でも車体を切り離せる。
「大丈夫、昔の構造と変わってないみたいだ。ちょっと待っててくれ」
もくもくとハンドルを回すアルコーズの後ろでは、手持ち無沙汰な仲間達が不満をこぼす。
「あーさみぃ……俺も見張りがよかったなぁ……」
しきりに両手を擦り合わせるワッケが、そうぼやけば、
「そういうなよォ、兄弟。これが片付けば、あとはお楽しみだ」
と、オルソが笑い混じりに返す。
「へぇ、お楽しみかぁ。いいねぇ、是非混ざりたいもんだ」
……うん?
しゃがみこんで、ハンドルだけを見ていたアルコーズは、3人目の声に眉をひそめた。
聞き覚えのない声。
多少低いけれど、幼さの残る……子どもの声。
「な、なんだ、このガキ!どこから入ってきた!?」
オルソの怒声に、アルコーズは顔をあげる。
目の前から、ほんの数メートル先にある11号車の入り口に、少女がひとり立っていた。
赤い外套をまとった招かれざる小さなお客は、花束でも隠しているように両手を後ろに回して、のんびり鉄柵に寄りかかっている。
深く被ったフードの下から、女の子らしい小さな顎と口元が覗く。
「どーして、こういう『分かりやすい悪者』っていうのは総じて口が悪いの?」
その可愛らしい唇が、舌なめずりでもするように歪み、アルコーズを戦慄させた。
騒々しい走行音の隙間を縫って、少女がくすくす笑っていることに気付いたのだ。
「ねー、そう思わない、兄弟?」
兄弟?まだ、仲間がいるの、か……?
貨物室を振り返る少女の動作を追った先、積み重なった荷物の奥。
明かりの付いていない室内は薄暗く、なにも見えないようだが……いや、なにか動いている。
少女の声にあわせて、ゆっくり立ち上がった影がいた。
アルコーズは、その影から目を離せなくなった。
闇にまぎれた少女の背後に立ちふさがった何かは、人間ではなさそうだったからだ。
明らかに少女の背丈の倍以上はありそうな巨体、ぞろりとのびた薄汚れた包帯の下から覗く獰猛な目。血走った白眼に浮かぶ灰色の瞳が、ゆるやかに動き、アルコーズを捉えた。
「うわあああ!?」
アルコーズの背後で、何人かが銃器を構えたのが分かった。
「おやおや、気の早い狼さんだ」
そして、そんな事態を少女が楽しんでいるらしいことも、アルコーズには分かったのだ。
「耳をふさいで」
少女が、優雅に両手を振り上げた。
花束なんてとんでもない――太陽の沈んだ夕闇に光る、禍々しい三日月。
「目を閉じて」
とっておきの冗談でも思いついたように、少女はふっと鼻で笑った。
「そうだな……昨日の夕食でも思い出しているがいいさ。もう、今夜からはなーんにも食べられないんだから」
フードが向かい風に翻る。
赤い瞳孔が一番近くにいた獲物、アルコーズに絞られた。
「独創的な悲鳴を、よろしく」
キィイィン!!
閃いた大鎌が、アルコーズの首を掻き切る前に、鋭い金属音。
「……おやおや、兄弟?なんのマネかな?」
大鉈が、赤頭巾の刃を、獲物の喉元からぎりぎりで食い止めていた。
後ろから覆いかぶさる姿勢で、大鉈を伸ばしたグランが、咎めるように首を振っている。
ちなみに、グランの全貌を見た他の仲間は、完全に戦意を喪失しているのか、発砲どころかフリーズ状態だ。薄暗がりのなかで見るグラン・ジンジャー・ボーデン(全体像)は、あまりに怖すぎる。
それは超至近距離にいるアルコーズも同じだった。
哀れなアルコーズの前で、ふたりの化け物は、謎の攻防を続けている。
ぎりぎりぎり、と鎌と鉈の刃が擦れ合う。
「……グーラーン?鉈が、ジャマなんだけど?」
「…………」
「ねー、そんなかたいこと言わないでよ。ひとりくらい殺しても罰はあたらないよ?」
罰がしっかり当たっているから、呪いをかけられているくせに、赤頭巾は時々それを都合よく忘れるのだ。グランが根気よく首を振り続けると、ようやく鎌から力が抜けた。
しかし、ほっとグランが身体を起こすのを見ると、懲りない赤頭巾は、再びアルコーズの首を刈り取ろうと――。
ガキィィン!!
再び、鎌と大鉈がガッチリかみ合う。
グランは、じっとりと呆れた目で赤頭巾を見た。
もしも、彼が喋ることが出来れば『えぇ~……?』くらい漏らしているはずだ。
どうあっても、キオの言いつけを守るつもりらしいグランに、赤頭巾はしぶしぶ引き下がった。
「はいはい、我慢しますよ。じゃあ、せめて爪を剥がすくらいならいい?」
反省の色がない。
グランは、もはやなにも答えず、赤頭巾を小脇に抱えた。
とりあえず、しばらくはこうしておこう。
まずは、キオをさがさなくちゃ。
グランは、なにやら口汚く喚いている赤頭巾を片手に抱いたまま、通り道で立ちすくんでいる強盗団を文字通り、線路脇へとぶん投げながら10号車へ消えていった。
置いてけぼりをくったアルコーズは、半泣きで思った。
無事に帰れたら、クソみたいな給料でもいいから仕事しよう、と。
――9号車 一般客席 窓際
「おい、そこの!勝手に立つな!」
マラカイトは、はらはらしながら「アンタのことだよ」と目配せするが、目の前の青年は気付いていない。おかしな帽子をかぶったその青年は、無防備に突っ立ってキャンディーの続きを楽しんでいる。
「うーん、オイラ着替えたいなー」
「……ああ?聞いてるのか」
胸倉を掴もうと伸ばされた手を、するりと抜けた帽子男は、一足飛びに座席を越え、壁棚に飛び上がった。固唾を呑んで様子を見ていた乗客たちも、唖然と見ほれてしまう身のこなしだ。
壁棚に腰掛けた帽子男は、あ!と指を鳴らした。
「そうだ!ペーズリー、アレやってよ」
鳴らした指を、くるくると回す仕草。
それの意味するものは、もちろん分からない。
一瞬前まで目の先にいた人間が、壁棚でにやにやしているのを見て、呆気に取られていた盗賊も、ようやく我に返った。顔を赤らめ、再び捕まえにかかる。
「ふざけるなよ、この……!」
――バチン
突然、聞こえた音に、マラカイトは竦み上がった。
腹ばいになった乗客の間に、いつのまにか、もうひとり立ち上がっていた。
指を鳴らしたのは、そいつのようだ。
帽子男に劣らず、異様な風体の人物であった。
ゆったりとした上着をだらしなく着崩しているため、パジャマか患者服のまま紛れ込んでしまったように見える。
床に引きずるようなズボンの隙間から、やけに重そうなブーツの爪先が突き出していた。
細身の背中はゆるく曲がっており、老人とも子どもともつかない。
マラカイトのいる場所からは、そいつの横顔しか見えないが、どうやらお面を被っているようだ。
あれが、帽子男の言うペーズリー……だろうか?
「オイラ、ちょっと戻って着替えてくるよ。このセーターまで伸ばしちゃ、キオに叱られちゃう」
こくり、と頷くペーズリー。
「あ!?おい!待て、動くな!」
窓を蹴り開けた帽子男は、滑るような動きで外へと逃れていった。
ひとりが窓に向かって射撃したが、もうその姿は見えない。
「きゃああああ!」
粉々になった窓ガラスが、伏せった乗客の上に降り注いだ。
見張りに付いていた別の盗賊が、追いすがるように窓に飛びつく。
「なんだアイツ!クソいかれてやがる!上だ!ポーフィリーに連絡してくれ!」
さわさわと動揺が伝染し、堪えきれなくなった嗚咽が辺りを包む。
聞き取りにくい言語で、何事かを無線機に囁いた男は、乗客に向け苛立たしげに銃を振り回した。
「うるせぇ!静かにしてろ!お前もさっさと這い蹲れ!」
パジャマ男――ペーズリーに、盗賊はまだ紫煙を吐く銃口を突きつける。
ペーズリーはそれには答えず、伏せもしない。
相変わらず、感情の見えない様子で、かすかに身体を揺らしている。
「おい、変な真似しやがると、本当に――」
ふいに、ペーズリーが、パチンと薬指の爪を弾いた。
「ワルイコ ハ ウデ チョキン」
マラカイトは、耳元を風が吹き抜けていく気配を感じて、そっと振り返った。
もちろん、そこにはなにもない。
それに、あのイカれたお面野郎はなんてった?
まるで機械仕掛けの人形のように無感動で抑揚のない口調だから分からなかったが、「悪い子」と言ったのだろうか。
「ワルイコ ハ アシ チョキン」
寂しい陽光が射し、目の端できらりとなにかが光った。
だれかの腕時計?耳に引っ掛けた金鎖?
いやいや、目立つ金品は、盗賊団の手の中にある。
では、窓の破片か、座席の金具か、あるいは気のせいだろうか。
いつのまにか、ペーズリーは中指も弾き終わっている。
とてつもない嫌な予感に戦いたのは、おそらくマラカイトだけではない。
ペーズリーの人差し指が、パチンと乾いた音を鳴らす。
「ワルイコ ハ クビ チョキン」
いつのまにか静まり返った車内には、風の音と緊張した息遣い、そしてカウントダウンを思わせる、ペーズリーの不吉な言葉が響くのみ。
「ワルイコ ハ」
ひそひそと、ペーズリーが続ける。
骨張った親指と親指に絡む人差し指に、ごく軽く力をこめながら。
「シシャ ト アソベ」
マラカイトの肌が、ざわりと粟立った。
大陸から大陸へ渡り歩く宝石商であるマラカイトは、国ごとの世情にも明るい。元々マメな性質であるため、各国の注意事項や面白い噂話はメモに書きとめて、旅先で世間話がてら披露したり、個人で楽しんだりしている。
今回の旅も、これから向かう西国シオウル・スルーズについて、2年前の自分が綴ったメモを読み返しながら、のんびり楽しんでいたところだ。
急に、そのメモの一片を思い出した。
シオウルの禁句。死の庭で遊ぶ、身勝手で残酷な墓場荒らしの話を。
その話を教えてくれたのは、宿屋で行き会った老人だった。
元々シオウルの治安職についていたという彼は、その異常者の事件に関わったことがあるらしい。直接担当は彼の友人だったらしいのだが、その同僚は、踏み込んだ隠れ家を見て発狂してしまったと聞いた。
『気が狂うのも当然だ。聞くところによると、悪夢みたいな隠れ家だったらしい』
老人は、当時の様子を思い出したのか、ぶるりと身体を震わせた。
『なにせ部屋中に死体がぶらさがっていて、ヤツ好みに飾り付けてあるんだ。洋服はもちろん、表情やポーズまで糸でしっかり縫い止めてあったそうだ。あの異常者は、まるで――』
最後の夕日が車窓から忍び込み、客車内の異常な煌きを撫でていく。
マラカイトは、ごくりと唾をのみ、周囲を見渡した。
乗客たちは、命令どおり一人残らずしゃがみこみ、床に這い蹲っている。
立っているのは、強盗団の一味と、あのペーズリーという男だけ。
背後の乗客が、かすかにざわめく。盗賊たちが固まっている今なら逃げられると踏んだのか。
「だめだ!立つな!」
シシャ ト アソベ
マラカイトは振り返って、後ろを制した。
ペーズリーの親指が弾かれるのと、マラカイトの制止はほとんど同時だった。
『あの異常者は、まるで、死人と遊んでいるみたいだった』
死者 と 遊べ
「吊られるぞ!」
ペーズリー・ハワード・ゲインの袖口から指を伝って張り巡らされた、絞殺処刑の補助金属線が、息を吐くよりも早く、悪い子たちの腕に、足に、首に、絡みつく。
チョキン。
――3号車 2等客室
こんこん、というノックに、ジルは窓を振り返った。
窓を押し開けると、逆さまにぶら下がったディーンが、帽子を押さえながら部屋に滑り込んでくる。
「ひゃあ!寒い寒い!」
「その格好じゃあそうだろう」
のんきに返すジルは、売店に行く前と変わらぬ様子で、いや、むしろ前よりリラックスした雰囲気でソファにもたれている。ジルの足元には少しずつ飲まれたワインの瓶、サイドテーブルには乱立する飲みかけのグラス。すべて客車に備え付けられたアルコール類だ。
「アイリーンがあんな愉快な放送をするものだから、血気盛んな暴力主義のオトモダチは、ますますはしゃいで部屋と言う部屋を荒らしまわってくれている」
ディーンの視線が物問いたげだったからか、ジルはワイングラスを掲げた。
「だから、連中に割られる前に、一口飲んでおこうかと思って」
ディトラマルツェン産のもあるぞ、ちょっと若いけど。
などと言いながら、ジルはご機嫌だ。
こういうのが、キオの言う『ダメな大人』なんだろうか。
「……ジル、部屋の扉がガンガンいってるけど」
「ん?うん、さっきからずっとあの調子だ。別に鍵くらい撃って入ってくればいいのに、ご丁寧に扉を叩き続けている。主義主張のわりにはお行儀がいいようだなーふふふ」
ダメだ、この酔っ払い。
ジルのバックに乙女殺しの薔薇ではなくて、コスモスのようなお花や蝶々がぴょんぴょん飛んでいる気がして、ディーンは放っておくことにした。
「あ、そうだ。私の仕込み杖を知らないか?」
そういえばジルお気に入りのステッキを、このところ見てない。
「多分貨物車の荷物と一緒じゃないかな。この間、リジーが『魔法の杖だー』とか言って持っていったような」
嫌な名前を聞き、ジルがしぶい表情を浮かべる。
「……そうなのか。無事かな、私のステッキ」
「オイラの爪でよかったら、ふたつあるから貸してあげようか」
「……いや、いい。ありがとう。あと、キオを見なかったか?」
差し出されたごつい鉤爪を丁寧に断り、ジルは騒がしく叩かれている扉に目をやった。
被害者の模範生のようなキオのことだから抵抗して殺される、なんてことはないだろうけれど、この状況では部屋に戻ってくることもできないだろう。
「オイラ、屋根をつたってきたから見てないんだ。9号車にはいなかったよ」
「9号車?売店は、食堂のある6号車じゃなかったか?」
「うん、売店に行く前にさ、グランとリジーもなにか買いたいものあるかなーと思って、貨物車に行く途中だったんだよ」
ジルは、ふうんと呟いた。
ディーンも、なんだか随分真人間らしい考え方をするようになったものだ。
羽根飾りのついた紫色の服に着替え、ブーツの金具を留めている姿に、うんうんと頷く。
「……で、なんで着替えてるんだ」
「ちょっと前にセーターを伸ばしちゃって、キオに怒られたばっかりなんだよ」
「ほう」
「悪い人たち、なるべく殺さないようにするけど、もし返り血とか付いちゃったら、今度こそおやつ抜きになっちゃう。だから、いつもの格好の方がいいかなーと思って」
「なるほど」
真人間らしいというのは、ちょっと撤回だな、とジルは思った。
いつもお世話になっております、三月です。
頂いた感想、メッセージなど全て拝読しております。
こんなダメ人間に、本当にありがとうございます。
もし、見てくださっている方がいらっしゃれば、
こっそりひっそり何卒よろしくお願い申し上げます。