第2楽章 フランチャコルタの聖人祭
ホコリで白くなっている窓を磨きながら、キオは鼻歌を歌っていた。
猟奇殺人鬼たちと暮らすようになって、約10日。
彼らは、わりと平和に暮らしていた。
最初こそ、キオにとっては、驚きの連続だった。
例えば、近くの教会へお祈りに行こうと、アイリーンに昼食の準備を頼んだところ、「鶏肉と人肉、どっちがいいかしら?」などと怖い独り言をつぶやくものだから、即座にキオがフライパンを奪った。
ディーンに洗濯を任せたら、なぜか全て紫色に仕上がっていた。
ジルから目を離すとすぐ女の子を連れ込もうとするし、赤ずきんは子供の死体を木にぶら下げたユニークなツリーを作りたがった。
グランとペーズリーは、わりと言うことを聞いてくれるが、未だに2行以上しゃべらない。
これも彼らの個性だ、とキオは寛大に受け止めている。
一緒に暮らしていくうちに、いつか心の壁もとれることだろう。
しかし、殺人鬼たちからすると、キオほど今の状況を寛大には受け止められないようだ。
朝は、規則正しく起こされ、たっぷり朝ごはんを食べさせられ、聖書を読まされる。
昼は、やはりたっぷり昼ごはんを食べさせられ、宗教番組を見せられ、屋敷の掃除やらなにやら手伝わされる。
夜は、猟奇殺人鬼にとって一番活動が活発になる時間なのに、9時にはベッドに入るよう命じられる。しかも、キオ少年は消灯の見回りまでしてくれ、挙句小さい子供にするような『おやすみの挨拶』までしにやってくる。
「もう、発狂しそう」
これが、殺人鬼たちの共通の感想だ。
正直、油断しているキオの寝首を何度掻こうを思ったかしれない。
だが、どうにか思い留まっている今日この頃である。
彼らの心の攻防を知ってか知らずか、キオはいつでも元気いっぱいだ。
そのくだんのキオが、またもや面倒なことを言い出した。
朝食の席でのことである。
「今日は木曜日ですから、約束どおりボランティアに行きましょうね!」
「……は?」
「カリキュラム表に書いてあったでしょう?木曜日はボランティアの日です」
勝手に決められてたんだ……キオの晴れやかな顔に、もう言い返す気力もない。
「そういうわけで、今日はポルカでチューリップ栽培のお手伝いです!」
「……こんなに寒いのに?」
「まだ10月じゃないですか。それに、チューリップは寒くなる前に、球根を植えますから今がちょうどいいんです。お手伝い募集中で、ボランティアなら大歓迎ですって!」
うわぁ、嬉しそ〜う……。
ジルとアイリーンは、額を押さえた。
ディーンは、わけもわからず騒いでいる。
「みんな初めてのボランティアだから、嫌がるだろうなーと思って、遊ぶ予定もちゃんと組んでますよ!」
ディーンが、さらに騒ぎ出す。
「ポルカから、隣のフランチャコルタまで行きましょう。一昨日から聖人祭を開いているはずですから」
最初は連れて行くのを躊躇していたが、彼らが規則正しい健全な生活にストレスを感じていることをキオは分かっていた。
ここらで一度、ご褒美をあげてもいいんじゃないかな、と思ったのだ。
世間では、ジルとアイリーンとリジーは顔を知られていないし、グランは死んだと言われている。ディーンとペーズリーは、都市伝説だと思われていて、実在すら疑われているから、格好さえごまかせば大丈夫だろう。
幸い、フランチャコルタの聖人祭は、例年参加客が多いことで有名だ。変な人が一人二人混じっていたって目立たないだろう。
「でも、念のためグランのために、コレを借りてきました!出かけるときは、コレを着てくださいね!」
「切符を拝見いたしまーす」
コンパートメントの扉を開けた車掌は固まった。
大きな大きなクマの着ぐるみが、席に座っていたからだ。
おまけに、変なピエロみたいな奴も乗っているし、うさぎのお面を被っている奴もいる。
なぜ、このコンパートメントだけ仮装パーティーなんだろう。
異空間に迷い込んだような錯覚を覚えた車掌は、不安げに視線をさまよわせた。
なぜ、あのクマの着ぐるみは、笑った表情なのに悲しげに見えるんだろう。
「車掌さん、切符」
同乗していた少年が、切符を渡してくれなければ、きっとクマに目を奪われたままだったに違いない。我に返った車掌は、切符を切るとふらふらコンパートメントを出て行った。
「ほら!全然怪しまれなかったでしょ?」
キオは得意げだが、ジルたちは必死で笑いをこらえている。
グラン・ジンジャー・ボーデンは、着ぐるみの中で、こっそりため息をついた。
フランチャコルタの感謝祭は大盛況だった。
色鮮やかな風船と旗飾りが青い空を彩っており、どこからか肉の焼ける香ばしい匂いや、陽気な客寄せの声が流れてくる。街の中心にある大広場から細い路地まで、ところ狭しと露店が並び、どこの道も人であふれていた。
生きた人間が、一体どこからこんなに沸いてきたのかと、猟奇殺人鬼たちは不思議に思った。
「すごい人ですねぇ!」
キオは、お祭りも労働と同じくらい大好きだ。
他の人たちが楽しそうにしていると、自分も楽しくなってくる。
「人ごみは、あまり好きじゃないんだが……」
「あ、あれパレードですかね!行ってみましょう!」
「聞けよオイ」
せっかくのお祭りだが、正直殺人鬼たちにはきつかった。
午前中から昼過ぎまでチューリップの栽園で、球根植えを手伝っていたのだ。
腰やら足やら痛いし、シャワーを借りたとはいえ、まだ泥の臭いが残っている気がする。
しかも、猟奇殺人鬼は幸せそうな人間が、基本的に嫌いだ。
キオとは正反対だといえる。
結局、キオたちは一旦、広場から離れたオープンカフェに腰を落ち着けた。
「腐葉土の臭いを染み付けたまま、歩き回るのはイヤだ」と、ジルが珍しく駄々をこねたからだ。
「私の美学に反する」
ジルは断固として動かない。
「でも、せっかく来たんですよ?」
キオは、今にも露店に走り出したそうだ。
「アタシたちはいいから、行ってらっしゃいよ。ここで待ってるから」
アイリーンが助け舟を出すと、キオは満面の笑みを浮かべた。
「じゃ、ちょっとだけ行ってきます!」
「わたしも行く!」
「オイラも!」
キオの後を、うさぎのお面のペーズリーと、赤鼻を付けたディーンが駆けていき、リジーのはりついたクマの着ぐるみもヨチヨチついていく。
かなり目立つ集団だが、群集にまぎれ、すぐ見えなくなった。
「みんな子供ねぇ……」
「まぁ、キオは、まだ15歳だろう。修道士だから娯楽が少ないのかもな」
「でも、アイツは大抵いつでも楽しそうだわ」
穏やかに談笑していて……ふたりは、ふと気がついた。
「……イヤだわ」
「……そうだな」
互いの様子を、険しい表情で窺う。
さっきまでの暖かな空気が、ゆっくり霧散していった。
「……アタシたち、平和に馴染みかけてる」
「……気味悪いな」
青髭公と灰かぶりは、黙ってホットチョコレートを飲んだ。
かつての自分たちは、もっと自分勝手で、もっと殺伐としていた気がする。
しばらく考え込んでいたが、ふたりともキオが来る前の自分たちの感覚を、どうしても取り戻せなかった。
「あれ?」
他の3人の姿が、いつのまにかない。
キオが、それに気づいたのは、パレードを見て、露店をひやかしているときだった。
「縄とかつけといたら、よかったなぁ」
よく考えればディーンやリジーが、ちゃんと後ろをついてくるはずがないのだ。
キオは、視界に大きなクマが見えないかと伸び上がった。
その肩を、誰かが叩く。
「ねぇ、君!さっきパレードを見ていた子だよね?」
振り返った先に、キオと全く同じ顔が微笑んでいた。