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第5楽章 嘘吐き少年と笛吹き男2番

自らの不幸は 知らぬところで願われている

だからこそ 汝は 他の人間を許さなくてはならない


『旧訳大聖典 青の詩篇』

「……オイ、今の」


「あぁ、銃声じゃないか!?」


森の入り口でざわつく住人は、捜索を一通り終え、帰宅するところだった。その中には、一足先に戻っていたキオの顔もある。夜気に冷えた白い頬の少年は、銃声に身構え、一瞬森に戻ろうとした。


しかし、歩みを止めず、そのまま離れていく。

一度も振り返らないまま、やがて、その背中は見えなくなった。





余韻が、まだ鼓膜を震わせているうちに、再び銃声。

型の古い猟銃特有の、粗野で攻撃的で、やたらと耳に残る発射音が、ボッと硝煙を撒き散らす。


「キャン!」


一撃目の銃声で大方の野犬が消えたなか、逃げ遅れた一匹が掠れた悲鳴をあげ、地面に集まっていた鳥が我先にと飛び上がり、その場はしばし騒然となった。

ばたばたと縦横無尽に舞う鳥と、微動だにしない人間と、ゆっくり立ち上る煙。


あらかたの羽音が遠くなり、最初に動いたのは、陰影も深い木々の隙間だった。

そこから、油断なく現れたのは、一人の男である。

見たところ、まだ30を過ぎたあたりだろうが、一体何年分の苦労を背負い込んだのかと思うほど、ハンチングからこぼれた髪は白いものが多く混ざり、頬はこけ、そのなかで鷲鼻だけが目立っていた。

男の姿を見とめたピエトは、驚き半分、安心半分のまま声をあげる。


「クラップフェンさん!」


しかし、クラップフェンの尋常でない様子に、駆け寄ろうとした足が止まる。


クラップフェンの充血した目玉はいっぱいに見開かれていて、きつく引き結ばれた口の端には泡がつき、鬼気迫る形相で、ピエトが目に入っていないのか銃を下ろす素振りもない。

見知った隣人の異変に戸惑いながらも、ピエトは前に進み出た。


「待って、撃たないで……ほら、おれピエトだよ」


ぎょろついた三白眼が、忙しなくピエトと笛吹き男を行き来する。


「その、そ、そいつは」


「え、」


クラップフェンは、一度唇を舐め、かすれた声を絞り出した。


「……笛吹き男……ッ」


語尾に滲むのは、恐れと驚愕と、生々しい憎悪。

いや、言葉ではとても言い表せない濁った複数の感情がない交ぜになっている。


笛吹き男は驚きもうろたえもしなかった。

彼は、ただ自分の足元から少し離れた地面を見ていた。


そこに点々と落ちる暗い赤。


ほとんど黒にしか見えないそれは、先ほどの犬を追い、森の奥へ消えている。なにも考えず、その血痕に続こうとした笛吹き男は、再び足元に刺さった銃声で、その場に縫いとめられた。


「う、動くな……!」


ピエトは、ごくりと唾を呑み、ぶるぶると猟銃をかまえる闖入者を見上げた。

それから、そろりと笛吹き男に視線を戻す。


空気の色が変わった。

もっというと、笛吹き男の周りだけが。


ざわざわと冷たいものが、ピエトの背中を這い上がる。さきほどまで神々しくも見えた月光が、今は禍々しい。なにも察していないクラップフェンは、ピエトの腕を乱暴につかまえ、引き寄せた。


「ピエト、大丈夫だったか!わたしが来たから、もう安心だ!」「クラップフェンさん、笛吹き男は」「アイツに何かされなかったか?気が狂ってるんだ!」「違うよ、ちょっと落ち着いて聞い」


「違わない!あいつは、人殺しだ!」



      「ねぇ」


まるで何事もなかったように、静かな笛吹き男の声。

あまりにも場にそぐわなくて、ピエトの腕は粟立った。

銃口が小刻みに上下しながらも、笛吹き男を捉える。


「そのままじっとしてろ!」


「なんで犬を撃ったの」


「うるさい!余計なこと言いやがると、すぐに――」


「犬を追い出して」


町をより清潔にするため、ラトゥールから犬を追い出したことを、笛吹き男は知っていた。隣町でネズミの噂を聞きつけた彼は、森を抜ける途中、木々に結わえ付けられたまま、獣に食い荒らされた可哀相な犬たちを見たのである。


昨日まで当然のようにあった、カーペットもミルク鉢もなく、さりとて木に繋がれた紐も解けず、彼らは従順にも飼い主の帰りを、身を寄せ合って待っていたのだ。


その飼い主がもう迎えになんか来ず、自分たちが飢えか暑さか、他の動物の餌にでもなって死んでしまえばいいと考えているなんて、夢にも思わず。


「次は、ネズミを追い出して」


ネズミは増えた。どんどんどんどん増えた。猫も犬もおらず、食べ物は豊富で住み心地が良いから。そんなの当然なのに。


彼らは、気付いていないのだ。あるいは見えないふりをしている。

自分たちが都合の悪いことを見えないところに追いやって、まとめて悪者にしてしまっていることを。


「最後は、オイラを追い出した」


それとも、ひょっとして、自分は最初に追い出されたのだろうか。


帽子の下から月より眩い金の瞳が覗く。笛吹き男は一歩踏み出した。


「ちょっと……待って……」


震える少年の声が、慌てて割って入った。


「く、来るな!」


クラップフェンの指先が、引き金にかかる。

もう一歩、笛吹き男が進み出る。


「やめろ!」


かつて、そう叫んだのは誰だったのか。



やめて!



あの目をどこかで見た気がする。

あの声をどこかで聞いた気がする。


ディーン!おれが分からないの!?


怒ったような調子のくせに、今にも泣き出しそうで。


「……ぁ」


目から入った情報は望んでもいないのに正確な処理をされて、頼んでもいないのに頭の隅に積み上げられる。


まだ万年筆も持ったことない、タイプも打ったことない、せいぜいカトラリーや遊び道具しか触ったことのない手のひらは、随分と柔らかくて、木登りだけは叱られるからやらないのかスベスベしていて、雨で冷えた自分には熱いくらいだ。


その手が、助けを求めて、ディーンに伸ばされる。

宙に浮いた手が、なにかを掴まえようと、空気を掻く。




ディーン!




「ディーン!」


クラップフェンの猟銃に取り付いたピエトが声をからして叫ぶ。一瞬誰のことを言われたのか分からず、笛吹き男はビクリと身体を震わせた。


「逃げろ!」


銃口から新しい火薬の臭いを嗅ぎつけ、撃たれる寸でのところでピエトがそれを食い止めたのだと分かった。


クラップフェンは思わぬ相手にうろたえながらも、しかしもはや冷静になる余裕がないのか、力任せにピエトの腕を猟銃から剥がしにかかる。いくらピエトが粘ったところで、大人相手ではかなわない。

クラップフェンには、もう何も見えていない。笛吹き男から目を離せず、まとわりついてくるピエトが知人の子供だということすら頭から消えている。


「離せクソガキ!」


振り払われた拍子に、ピエトは気付く。

湾曲した崖の淵が、思ったよりも近かったことに。


ついで、湿った枯葉がピエトの足を捉えた。


「……ッ」


見開かれた目が、一瞬クラップフェンを映す。

それから、ディーンを。




ディーンは、ただ、ピエトの手を追いかけた。


あのときも、こうやってつかまえればよかったんだ。


身体が完全に地面を離れようが、どうだってよかった。

あの手さえ掴まえれば、それでよかった。


あれは、つかまなくちゃいけなかったんだ。


思い出さないよう塗り潰すたび、胸中をかき回される残像。

本当は、心底掴まえたかったと、繰り返し願ってやまなかった。

ディーンは、その手を、今度こそつかまえた。











あれ?ページ数が、増えちゃっ、た……(呆然)

なんかキャラクターの暴走により、ピエトが落下してしまいました(←まるで他人事)


『?ん、なんか、危ない流れに……あれ?え?ピエト落ちちゃった!』

――その手を、今度こそつかまえた。

『ディーンまでぇぇえええ!』

全体の流れは変わってないんですけど、自分で書いていてビックリしました。

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