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第5楽章 嘘吐き少年の不幸

笛吹き男が戻ったと 語り継がれる 長い夜

なにか、変だ。


そう思ったときには、もう遅かった。

ピエトは、駆けていた足を緩め、周囲を見回した。


ヘレンを落ち着かせた後、言い渋る母親から父親のことを聞いたピエトは、居てもたってもいられず、そのまま外へ飛び出した。

森の入り口で住人に会うと、家に帰されてしまうかもしれない。

そう思い、人目を忍んで、森に潜り込んだ。別の道から、父親の荷物が見つかったところへ向かうつもりだったのだ。

ところが、根に足を取られ、枝にひっかかれるうち、ピエトは奇妙な違和感を覚えた。


なにか、変だ。自分と共に、空気が移動している気がする。


そう、まるで、誰かが追ってきているような――




パキ




細い枝が折れる音に、ピエトはハッと首を巡らせる。

自分の呼吸が、浅く速いものに変わるのが分かった。




パキン




今度はさっきよりも近いところから。

圧し掛かる闇を見透かすように、ピエトは目を細めた。

ごくり、と喉がなる。




ざりざりざり




更に近く。葉をこするなにか。


どこだ。どこに、なにが。


半狂乱になって、辺りを見るピエトの視線が、釘付けになる。

少し離れた樹木の影で、なにかが緩く動いたのだ。

そこの部分だけで、闇が濃い。

息を詰めて目を凝らすと、ふいに煌く光が目に入った。

血走った白い楕円の中にある、濁った黒。

それは、ピエトに見せ付けるよう、ゆっくり瞬きをした。


途端、身体の節々がカッと熱くなる。




――あれは、目だ。




悲鳴をあげそうになったが、ひきつった息遣いしか漏れず、膝に力が入らない。

その目は、一対だけではなかった。見回す限り、どうして今まで気付かなかったのか、あらゆる影から、その目がピエトに視線を注いでいる。

喉の奥で転がす威嚇の音に、少年の細い顎が震えた。


「…………おおかみ」


のそり、と正面にいた、獣の全身が現れる。それに伴い、周りの仲間も月光に身をさらした。

視線を外せないピエトは、ふっと眉を寄せた。

よくよく見れば、群れの中には、耳の垂れたものや、毛足の短いものが混ざっているのだ。


「……え……犬……?」


狼ではない。

それは、野犬の群れであった。

どの犬も、黄色い歯を剥き出し、黒い口角を泡で濡らして唸っている。やせこけた身体と輪郭のなかで、目だけが野生じみてギラついていた。


おそらく、この野犬の群れが、一連のオオカミ騒動の正体なのだろう。

食べる物のろくにない冬の森で、自分たちよりずっと強い動物に追い回されて、仕方なくひとり歩いていたエルトベーアに目をつけたといったところか。


「あ、あっち行けよ!」


狼でないと分かると、ピエトは勢いづいて、落ちていた枝を振りかざした。おもいきり振り回してみるが、ピエトを囲む野犬の円は徐々に小さくなるばかりで、一匹も逃げようとはしない。

少年が、自分たちよりも弱い生き物だと知っているのだ。

ピエトは、じりじりと後ろに下がり、背後の木に登ろうとした。


でも、今目を離したら、すぐに噛まれるんじゃないだろうか。


そう思うと、背を向ける決心ができない。もうすぐそこまで、野犬は迫ってきているのに。


「行けよ!」


石を拾い上げ、思い切り投げつける。

数匹の犬が、離れそうな素振りを見せたが、いかんせん数が多すぎる。

何度かその方法で応戦したが、そのうち犬は、石が足元を跳ねようが、身体に当たろうが気にもしなくなった。


「あっち行けってば……」


弱々しく搾り出された声は、寄る辺なく消える。

黄色い一本一本の牙まで数えられそうな距離で、ピエトはずるずると幹にもたれこんだ。

汗ばんだ手から、枝が滑り落ちる。


死ぬ前には、走馬灯が見えるだとか、世界の謎が解けるとか言うけれど、そんなものはひとつも見えず、頭は真っ白のままだった。

両親の顔すら、よぎらなかった。


一番近くにいた犬が、一足飛びに襲い掛かってきたときも。







――――――――――ィィィイイイイイ






「!?」


ピエトはビクンと身体を震わせると、咄嗟に耳を塞いだ。

ピエトよりもずっと耳のいい犬たちは、掠れた鳴き声を上げ、蜘蛛の子を散らすように闇の中へ舞い戻っていく。


一瞬、なにが起こったのか分からなかった。

頭の中心を貫くような、甲高い音が聞こえたせいだと、理解できなかったのだ。


完全に腰を抜かし、下着をわずかに濡らしたピエトは、自分が泣いていることにも気付かずに、木の根元にへたりこんだ。


「な、なんなんだよぅ……」


嗚咽交じりの声を漏らした、ピエトの頭上をなにかがよぎる。


「ピエトー!」


ふいに第三者の声が、文字通り、どこからともなくピエトに降ってきた。

ピエトはひぃ!と身を竦ませたが、その声の主に思い至って、目を見開く。


キオ…………キオだ!


「けがはないー?」


なんとも緊迫感のないゆるい調子に、安堵を抑えられず、ピエトはキオの姿を探す。

ようやく見つけたキオは、直角に見上げた木、ピエトが登るか登るまいか逡巡した木の枝に立ち、手を振っていた。


「キオぉお……助けに来てく」


あれ?なんで木の上?


キオは、しかも、かなり高い位置にいるのだ。


「今、そっちに降りるからー」


ピエトは、息を呑んだ。

キオが、何者かに抱えられ、どう考えても無事に着地できそうにない高さの枝から飛び降りたからだ。しかし、ピエトを驚かせたのは、それだけではなかった。

月光のもと、明らかになる同伴者を見て、ますますピエトは呼吸を忘れてしまった。


白と黒の世界が、暗幕を引き上げたように一転する。


まず、音が聞こえた。

シャラシャラと、舞踏曲の前奏を思わせる、涼しげな音色。

それから、見えたもの。

夜空を背景に、視界いっぱいを覆う極彩色の翼。

虹色の羽飾りが、月明かりに照らされ、散らばったガラスの破片みたいに輝いている。

最後に気配。

目を閉じていても分かるだろう、圧倒的な眩しいほどの存在感。

言い伝えられている姿そのまま、童話から抜け出してきたような姿。


音もなく降り立った道化師は、帽子の影に隠れた黄金で、ピエトを射た。

ピエトの背中に冷たい痺れが走り、全身の毛を逆立てていく。


ピエトは、彼に会ったことなどなかった。

それでも、誰かは知っていた。

昔語りの口上が、ピエトの脳裏でぐるぐる回りだす。


不思議な魔法の笛で子供を操り、病の種をばら撒いて町を滅ぼした、人さらいの悪魔。


え、いやいや……え?マジで?


「大丈夫だった、ピエト!……ピエト?」


駆け寄るキオにすら気付けないほど、混乱極まるピエトは、ほとばしる疑問と恐怖を飾らず、そのまま絶叫した。

それは、もう、絶叫しまくった。


「なんか笛吹き男だしぃぃいいいい!!何それぇぇえええええ!!」


犬たちが、ピエトの悲鳴と、突然登場した不審者に、一斉に鳴き声をあげた。



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