第5楽章 嘘と秘蜜4番
あの、どこか人を見下したような町長が、ヘレンは嫌いだった。
しかし、彼が町長になるまでのラトゥールは、あまり治安がいいとはいえない町で、失業者が多く、若者は少なかった。暴行事件がたびたび起こり、夜に子供が一人で出歩くなんて、もってのほか。
それを、5年前、町長に就任したシュトレ・モーレンコップフが、治安維持や衛生面の向上へ尽力したおかげで、ラトゥールはたちまち見違えるほどに成長し、ワイン街道に並ぶ数ある宿場町のなかでも、1・2を争うほどの大きさにまで膨れ上がったのである。
誰もがモーレンコップフ氏を信頼していたし、それにはヘレンも同意見だった。
彼は厳しかったが、行動の全ては、町のためを思えばこそのものだった。
今思い出せば、彼は自身の私腹を肥やしたことなんて一度もなかったのだ。
その町長は、大切な一人息子を突然失った。
――誰も、同情しなかった。
子供を失ったラトゥールの親たちは、一時期抜け殻のようになっていたが、やがて子供の死を再確認すると、その喪失感や罪悪感の大きさに耐えられなくなる。
住民たちは、手近にいる町長への怒りで、それを解消しようとしたのだ。
なにもかも彼のせいだと言わんばかりに、住民たちはモーレンコップフを詰り、責めたて、自分たちも一役買ったくせに、それを棚に上げ、町長ひとりに責任を押し付けた。
挙句、スコッチの死から立ち直れない彼に、おおっぴらに罵声を浴びせ、うちの子を返せと家に火を放った。
ラトゥール・エンビィを宿場町として成功させた町長は大火傷を負い、半年後、一人息子の後を追うように首を吊った。
参列者のいない、淋しすぎる葬式。
決して、彼だけが悪かったわけでは、ないというのに。
「私に対しても風当たりが強くなりました。いつも一緒にいたから、どうにかできたんじゃないかとか、本当はその計画を知っていたんじゃないかとか……町長さんが亡くなったことで、ますます私ひとりに矛先が向いて……。うちは、ちょっとした洋食屋だったんですけど、お客も全然来ないから、翌年には店を畳んで、ラトゥールを出ました」
「そう、ですか……」
振り切るように淡々とした口調で、ヘレンは話を締めくくった。
「私が知っているのは、これだけです」
太陽が、空の天辺から、少しずつ西へ傾き始めていた。
ぬるく凝固していた時間は、確実に流れて、密やかな再会へと収束していく。
「なんというか……どうするんだ、これ」
「絶対、キオに怒られるねぇ」
303号室は、足の踏み場もないほどの荒れようだった。
無数の鉤爪痕が、小花の散る白い壁紙を引き裂き、床には物という物が錯乱して、足の踏み場もない。心地のよい日差し零れる昼下がりなだけに、異様な光景である。
「……それで、ディーンは?」
アイリーンの不機嫌な声に、それぞれは目を明後日の方向へ。
「どこ行ったのアイツは!つーか、どうしてこんなに暴れた形跡があるのに、アンタたち気付かなかったわけ!?」
リジーが、部屋の物を足でどかせながら、悪びれず答える。
「色々忙しかったんだもん。全力でババ抜きしたりとか」
「全力!?ババ抜きのどこに全力を注ぎこんだのか逆に気になるわ!」
「いかにして、相手の裏をかき、ババを引かせるかとか、駆け引きが色々あるの」
「猟奇殺人鬼として培われた勘が、こんなところで役に立つなんてな」
はっはっはとジルが爽やかに笑い、「そんなところで役立てるなぁぁああああ!!」
と、アイリーンはバシバシ壁を叩いて怒り狂った。
「ディーンを見てるよう、キオに、あれだけ言われてたじゃない!忘れたの!?」
お互いのこととなると、どうも無関心になりがちな殺人鬼たち。視界に入らない仲間のことは、自分の愉しみ最優先な彼らにとって、都合よく忘れ去られてしまう。
「ディーン ドコ イッチャッタ?」
ふんふんと、あたりの匂いを嗅ぎながらペーズリー。
「キオについてったのかもねぇ」
砕けた鏡を覗き込むと、リジーの顔の破片が映りこむ。
小さな鼻、右目、両端が楽しげに吊りあがった口元。
「ついてったって……どこに?」
リジーは、アイリーンを振り返り、にっこり笑った。
「さぁ?全然わかんない」
教えてあーげない。
親なし、宿なし、名前なし。
父さんが言ってたぞ、あんたはウソツキだって。
高い高い尖塔の屋根から、笛吹き男は別の屋根に飛び乗った。追いかけてくる夕闇よりも早く、彼の影は家々の上を駆け抜ける。
2月の午後は、緩やかに穏やかに、暮れていこうとしていた。
「あぁ……キィキィうるさいな」
笛吹き男は、感情のこもらない声で、小さく呟く。
はやく町を出て行けよ。帰るトコロがないんだろう。
あの日からずっと聞こえる。
しばらく忘れていたけれど、また聞こえだしたよ。
あの日。お金がもらえなかった日。町を追い出されるって分かった日。
お金がもらえなかった。
これは、ディーンにとって大した問題ではない。
お金の価値がいまいち分からないディーンには、金貨一袋がどれくらいの大金か自覚がなかったから。
でも、「ろうどう」すると、お金をもらえるはずだし、ディーンはちゃんと「ろうどう」した。最初はその金額になにも言われなかったから、当然もらえるものだと思っていたのに。
おかしいなぁ。
ネズミ退治の帰り道、ディーンは確信していた。
町の人はいっぱい褒めてくれるだろうし、オイラはラトゥールで暮らせるんだ。
オイラの町。オイラの生まれた町。一度は出て行った町。
――人気者になれる!
そうだ、その町で人気者になれるんだ!今度は、誰にも相手にされない透明人間としてじゃなく、みんなに囲まれて、ずっとずっと幸せに。
物語の最後を飾るのは「めでたしめでたし」のはず。
それなのに、どうしてだろう。
ディーンは、ラトゥールの広場でスコッチを待っていた、苦しい時間を思い出していた。
自分が吸っていい分の空気が薄いように、すごく狭い場所に押し込められているように、不安で、怖くて仕方なかった。
なんで怒られるんだろう。オイラ、そんなに悪いことしちゃったのかな。
悪いなら、もうお金いらないよ。その代わり、ここにいちゃダメかなぁ?
鼻の奥が氷を押し込まれたように、つんとしびれ、ディーンは顔をこすった。
子供の声が聞こえたのは、そのあと。
よかった。スコッチだけじゃなくって、まだオイラのこと見える人がいるよ。
いつも手品を見せていた子供たちが、ディーンの方へやってくる。
そのとき、ディーンが、どんなに嬉しかったか。
そのとき、ディーンが、どんなにほっとしたか。
だけど、昨日までトモダチだった子供たち、今日はイジメッ子。
親を真似て、ディーンがウソツキだと囃し立てるんだ。
嘘じゃないのに。ひどいよ。
だから、ディーンは本当に嘘を吐いた。
ものものしく、もっともらしく、もったいぶって。
暖かい家も、かまってくれる家族も、ディーンが欲しいものをなにもかも持っている子供たちを、羨ましがらせるためのささいな、苦し紛れの嘘。
子供たちは、その嘘を、当然信じなかった。
そんなのウソだ。嘘じゃないよ。
ホントウにあるっていうなら、ぼくたちもつれていってみせてよ。夢の国なんだから、そんなのカンタンだろ。それはできないよ。
なんでさ。やっぱりウソなんだ。本当だもん。
にげるなよ。ウソツキ。やっぱりウソツキだ。嘘じゃない。
なら、つれていけよ。ショウコをちゃんとみせろ。
――いいよ。連れて行ってあげる。あらゆる願いが叶う楽園、「夢の国」へ。
ディーンの記憶は、そこから一気に早送り。
次に覚えているのは、上下に揺れる大地と、崩れる音と、口いっぱいの泥の味。
それから、笑い声。
あれ、違うな。笑い声じゃなかったかな。ネズミの鳴き声かな。
あの日から、ずっと聞こえるんだ。
キィキィキィキィ ネズミが鳴いているな。
一体 どこで鳴いているの?