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第5楽章 嘘と秘蜜

「どういうことだよ、それ!」


ディーンの話を聞き、自分のことのように憤ったのは、スコッチだった。


「おれ、パパんとこ行って、話してくる!」


ディーンはあまり気乗りしなかった。


出て行きたくはないけれど、あの人と会うのはイヤだよ。


俯いたまま、ぼそぼそ訴えると、スコッチは鼻から息を吸い込み、よし!と気合を入れる。


「じゃあ、おれだけで行ってくる!それならいいだろ?」


不安そうに見上げてくるディーンに、スコッチは胸を叩いてみせた。


「大丈夫だって!パパは、なんか勘違いしてんだよ。ディーンが嘘つきじゃないってこと、おれはちゃんと分かってるからな!」


覗き込むように目を合わされ、ディーンは小さく頷いた。


「じゃあ、いつもの広場で!」


まだなにか言いたげなディーンを残し、怒り狂ったスコッチは、肩を怒らせ事務所へと向かう。


話の間、外で待たされていたスコッチは、ディーンを一目見て、妙に思った。お礼らしいものも持っていないし、スコッチから逃げるように視線を彷徨わせる。

やけに瞬きが早く、それが泣くのを堪えているように見えたのは、スコッチの思い間違いではない。

しつこく問い質すと、ディーンは震える声で、オイラなにか悪いことしちゃったのかなぁ……と自信なさそうに漏らした。


訳を聞けば、この始末!


ネズミを森に放したというのは、実は、スコッチが町長に教えたことだったのだ。そのとき、笛についても、ネズミが森に逃げ込んで行ったことについても、ディーンのことについても、詳しく話したのに、それをこんな間違った形で解釈されている。


スコッチは、鼻息も荒く、事務所の扉を開いた。来客を知らせる鈴が、派手に鳴る。

スコッチを宥めようとする秘書を押しのけ、執務室のドアを声もかけず開くと、跳ね返ったドアが、壁に当たって激しく音を立てた。


老眼鏡をかけ、書類を睨んでいたモーレンコップフは、息子が入り口に仁王立ちしているのを見て、かすかに困った色を浮かべた。


「パパ!なんで、ディーンを追い出すんだよ!」


やっぱり、その話か。


モーレンコップフは老眼鏡を外し、眉間を揉んだ。


「あのな、スコッチ。私が追い出そうと思ったわけじゃないよ。他の人たちが」


「その他の人たちってだれだよ!みんな、ネズミがいなくなって喜んでたし、ディーンと仲良くしてたのに、そんなこと言うわけないじゃないか!」


机を叩くスコッチから、モーレンコップフは注意深く目を逸らした。


「見えないところでイヤに思ってる人もいるんだよ。パパだって彼がかわいそうだと思っているんだ。でもパパは町の人の意見が大事だからね」


この場にいもしない人間の意見とやらに、スコッチは言葉を詰まらせる。


「でも、ディーンは嘘をついてないんだ。おれがずっと見てたんだから。パパだってそれは分かるんでしょ?なんとかしてよ!」


「なんとかしてあげたいけど、みんなが嫌がってる以上は、町においてあげられないよ」


どうにか話を切り上げようとする父親に、スコッチはなおも食い下がる。ディーンに大見得を切った以上、なにも手を貸してあげられないのだけは、絶対に嫌だった。


「じゃあ、もう少しの間だけ、ここで暮らしてもらって、それでディーンが嘘ついてないってことを、みんなに」


今度はモーレンコップフが、スコッチの言葉を手で遮った。


「スコッチ、お前はまだ小さいから、分からないかもしれないけど、世の中にはいろんな人がいるんだ。いい人そうに見えても、なにを考えてるか分からない人がね。彼も確かに感じのいい若者だよ。だけど、ひょっとしたら、そうじゃないかもしれない」


猫なで声で言われ、スコッチは、苛立たしげに身体を揺すった。まともに相手にされていないのがありありと分かる。「子供だから」「小さいから」ときて、「だから分からないだろうけど」と言う。そういう扱われ方が、スコッチには我慢ならなかった。


「パパはディーンのこと、なんっにも分かってないよ!」


モーレンコップフは、動じずに、老眼鏡を指先で拭った。


「でも、お前にだって、心の中までは分からないだろう?そういうもんなんだよ」


ひょっとしたら、と言いながらも、ディーンを悪者呼ばわりする、どこか断定的な言い方に、スコッチは更に声を荒げた。


「ディーンは嘘なんかついてない!嘘ついてるのは、パパじゃないか!」


激昂したスコッチは、そのまま足音も高く出て行こうとしたが、その前に秘書に捕まえられた。クラップフェン秘書の腕の中で暴れている一人息子を見やり、モーレンコップフは気だるげに溜息をつく。


「悪いがね、この子を、うちに連れて帰ってくれ……全く悪い影響だよ」


最後は吐き捨てるように呟き、モーレンコップフは椅子を回して、背を向ける。


なにやら喚きたてている声が、ドア越しになり、小さくなり、聞こえなくなる。最後のあがきでか、玄関口でひときわ大きく「うそつき!」とスコッチの声。


モーレンコップフは、一瞬、ほんの一瞬だけ、小骨が刺さったような感覚を味わった。


「バカバカしい」


頭の中で、「スコッチの友達ディーン」を「笛吹き男」へと書き換えると、その感覚は和らいだ。笛吹き男が嘘をついていないことなんて、きっと町長は誰よりも知っている。


それがどうした。


モーレンコップフは、背もたれから身を起こし、再び書類を広げた。






いつも、ディーンが立つ広場は、彼にとって実に居心地のいい空間だった。少なくとも昨日まではそうだった。道行く人は、大体声をかけていってくれるし、広場に面した店の主人も、よくしてくれる。


しかし、モーレンコップフの言ったとおり、町の人は昨日までとまるで違う。


いつもなら、ディーンが登場するだけで、子供たちが群がってくるのに、今日は静かなものだ。聖夜祭の準備で、出歩く人が少ないせいもあるだろうが、それを差し引いても住人の態度はよそよそしい。


ディーンは足元だけを見て歩き、日差しや視線やヒソヒソ声から逃れるように、陰になったベンチに腰掛けた。道行く人は、誰も彼も足早に広場を横切って、こちらを見もしない。


遠巻きに気遣わしげな視線を送るものもいたが、それでも近づいてはこないし、ディーンもそれに気付かない。大多数の住人は、ディーンの姿を見とめると、「おぉ、いやだ」と口元を覆い、去っていく。


「スコッチ……早く来ないかな」


ベンチの上で膝を抱えたディーンに、子供の声がかかったのは、そのときだった。






家に連れ帰られてから、使用人に見張られ、勉強部屋に押し込められていたスコッチは、すっかりふて腐れていたが、夕飯のあとは自ら部屋に引っ込んだ。


ディーンは今でも、広場で待っているかもしれない。そう思うといてもたってもいられないが、出て行くと、また母親がうるさく言うに決まっている。


「やっぱり、みんなが寝ちゃった後に、ディーンの家に行こう」


そう思い立ったスコッチは、夕飯後さっそく行動を開始した。シーツを破いて括り合わせ、窓から地面につくまでの長さの紐をこしらえたのだ。しかし、結局、一階の窓から逃げた。思ったより高かったから怖くなった、なんてディーンには絶対秘密だ。


ラトゥールの広場から、路地に飛び込み、一度だけ行ったディーンの部屋を思い出す。


なんて言う名前のアパートだったか……なんかお菓子の名前がついてたと思うんだけどな、キャンディ、いや、ヌガー?……違うな、あ、キャラメルだ、キャラメル。


とりあえず、道を思い出せる限り思い出し、そのとおり辿っていく。時折思いもよらなかったところに横道が現れ、戸惑いもしたが、どうにか見覚えのある景色が増えだした。


やがて、スコッチが目を留めたのは、隣家に寄りかかるような形で建った、アパート。

ディトラマルツェンの家は、一本の柱でなく、各階から木を継ぎ足して作る管柱(くだばしら)の建築方が主流なため、どこか夢の中の建物のように歪んでいる。

それにしたって、目の前の建物はずいぶん危ういのだが。


薄汚れ、字と汚れの見分けがつかない看板を一瞥し、スコッチは中に入っていった。こんな路地裏にまで入ったことがなかったスコッチは、明るい広場や自分の家とまるで違う世界に戸惑いながらも、好奇心を隠せない。


「昼間通ったときは、そうでもなかったんだけどな……」


3階まで足音をたてずに上がり、進んで3番目の部屋で止まる。ドアの向こうからは、こそとも音がしない。明かりも漏れていないし、鍵穴から覗いても、その向こうは真っ暗だ。


もう、寝ちゃったのかな……。


がっくりと肩を落とすスコッチの耳に、次の瞬間、かすかな笑い声が聞こえた。

本当は大声で笑い出したいのを、必死に堪えているような声だ。


ディーン?よかった、起きてるんだ。


スコッチはドアをノックし、小さな声で、部屋にいるであろう友人に呼びかけた。


「……ディーン?いるの?」


笑い声が止む。


「ディーン、おれだよ。入っていい?」


返事はないが、かまわず、ドアノブを回す。もう6月だというのに、ノブはやけに冷たい。


「広場に行けなくて、ごめん。実は――」


開いた先、そこは、月明かりのみが光源の暗幕舞台であった。


一筋の曇りもなく差す月光は、小さな埃や、なんの変哲もない椅子でさえ、神秘的な様相に描き変える。光が窓の形に切り取られた上で、影絵の男がすっくと立っていた。

ディーンの白い顔は、より白く、帽子に隠れた部分は、より黒く。

その鮮烈な対比に、スコッチは息を呑む。


ほんのわずかな時間だったが、精微(せいび)な絵の世界に閉じ込められたような錯覚すら覚えた。


しかし、影絵が長い腕を動かし、帽子を押さえると、スコッチはハッと息を吐く。


「び、びっくりした!なんだよ、いるなら、そう言ってよ!」


自分の声がやけに大きく響き、スコッチは口を噤んだ。


このアパート、他に住人はいないんだろうか。

いくら夜中でも、もう少し人の気配がしそうなものだけど。


「スコッチ……どうしたの?」


黙り込んだスコッチに、ディーンの声がかかる。静かな場所で聞くからだろうか、いつもより深く、いつもより落ち着いて、しかしいつもより。


本来の目的を思い出したスコッチは、口ごもりながら、ディーンを窺う。


「あ……ディーン、あのさ、おれもパパに色々言ってみたんだけど……その」


ディーンは静かに聞いていたが、やがてゆっくり頷いた。


「あぁ、それは……もういいんだ」


ごく軽くディーンは言う。無理をしているのか本心なのか、スコッチには分からない。


「住めなくなっちゃっても、また来られるし……隠れ家もあるじゃん」


「そっか!隠れ家に、住めばいいよ!おれ、毎日遊びに行くよ!」


「それもいいね」


ディーンはようやく笑ったが、その淋しそうな横顔は、帽子の影になって見えない。気まずい雰囲気を和らげようと、スコッチはできるだけいつものように振舞った。


「えと、笑ってたみたいだけど、なにかやってたの?」


ディーンは、ん?と首を傾げたが、思い当たることがあったのか、えへへ、と満面の笑みを浮かべる。


「ちょっとねー」


いつも見せるその表情に、スコッチは内心ほっとして近づいた。こんな夜中にひとりでディーンの家にやってきたんだという高揚感が、再び湧いてくる。


「なんだよ!教えてよ!」


様子のおかしい彼を見て、一瞬でも、父親の言うことを思い出しそうになった自分をごまかすように、スコッチは大好きな友達に擦り寄った。


「教えてあげてもいいけど……秘密だよ、特にヘレンには」


ヘレンに内緒……ということは。


「あ、分かった!またあいつのポケットに蛙入れるの?」


それは、実のところ、スコッチの提案したことだったのだが。


大好きな友達に、面白そうな悪巧み、しかも仲間は自分だけ!


しかし、ディーンは、身を屈め、指先を顔の前で振る。


「それより、もーっと面白いこと」


ディーンの瞳が、今宵の月よりも蠱惑(こわく)的に瞬いた。





今はまだ笛吹き男を取り巻く人々を中心に、話が進んでおります。

笛吹き男本人の内面は、ほとんど出ておりませんので、展開が早い、または置いてけぼりにされている気がする読者様もいらっしゃるかもしれません。


次回から、キオのいる時間へ戻って参ります。

その現実時間が、大体朝10時。

ディーンが現在のキャラメルクラウンを飛び出すのは、同日昼過ぎ。

それまでには、過去の全容が明らかになります。

ディーンの内面が分かるのは、そのあたりからですので、もうちょいお待ち頂ければと思います!

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