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第5楽章 モーレンコップフの一人舞台2番

ひょおおぉうひゅううひゅおぉう――


「……ねぇ、全然ダメだよ、これ」


笛から口を離したスコッチは、不満げに唇を尖らせた。


「吹き方が悪いんだよ」


ちぇっと呟き、スコッチは、ディーンに笛を投げてよこす。


「隠れ家」からの帰り道、ふたりはぶらりぶらりと野原を歩いていた。


「隠れ家」とは、スコッチが、チョークレトラの山で見つけた小さな横穴のこと。

ゴミ置き場から持ってきた虫食いだらけのクッションや、色の褪せたカーペットが敷かれた、なかなか居心地のいい隠れ家である。


遊ぶ友達がいない頃はよく行ったよ、とスコッチは、大人びた仕草で肩をすくめた。


「あのへんはな、昔、火山があったんだ。だからああいう所が多いのさ」


知ったかぶり屋なスコッチの言葉が、本当かどうかはともかく、確かにその付近は、たくさん隠れ家に適した横穴があった。いりくねった迷路のような深い洞窟から、スコッチが隠れ家にしているような横穴まで、種類は様々。スコッチは、ある穴全部を、ラトゥールの子供ひとりひとつずつに与える隠れ家にしたいのだそうだ。


「じゃあ、今度は、ヘレンも連れてこようよ」


ディーンの提案に、スコッチは壊れた扇風機みたいに、勢いよく首を振った。


「ヘレンはダメ!女なんか入れてやらない!」


いつもは甘えているくせに、こういうときだけ男ぶるスコッチ。


「でも、おれたちがいなくて、今頃さみしがってるかもな」


若い女性は聖夜祭の準備のため、もう少し正確に言うと、死者の道しるべとなる青い布飾りを縫うやらなにやらで、今日は朝から忙しい。

そのため、遊びの誘いを断られたくせに、スコッチはもうそれを忘れていた。


「聖夜祭って何やるの?」


空気までも浮かれているような町の気配に、足取りも軽くなる。


「なにやるって……お祭りっつっても全然面白くないんだ。大人が教会に祈りに行ってる間、おれたちは家で留守番だし。どうせならもっと面白いことやればいいのにな」


「ふーん、スコッチは行けないのかー……じゃあヘレンも行かないの?」


「いや、行くんじゃないかな。去年は病気だったから行ってなかったけど…………あぁ!そーいえば、結局女神像見てないや!」


カンペキに忘れてた〜と大袈裟に膝をつくスコッチ。


ディーンの登場で女神像のことは、スコッチの頭から完全に抜け落ちていた。今年こそはと意気込んでいただけに、スコッチの落胆は激しい。

とはいっても、この騒がしい少年が派手に落ち込んだり、はしゃいだりということは今に始まったことでもないためか、道行く住人は気にも留めていない。


しかし、ひとつだけ、ぐったりと石畳にへたり込んでいるスコッチへ、走りよってくる影があった。


「あぁ、あぁ!そんなところで、しゃがんだら、服が汚れますよ、ぼっちゃん」


顔をあげると、妙にキッチリと服を着た男が、腰をかがめてスコッチを見下ろしていた。ディーンは、スコッチと男を交互に見比べている。


「クラップフェンさん?あれ、もう仕事終わったの?」


だれ?と目で尋ねるディーンに、パパの秘書の人、と耳打ちしておく。


「なんか用?今日は家庭教師の日じゃないよ?」


「すみません、ぼっちゃん。町長が、彼と話したいんだそうです。あの、例のネズミ退治のお礼について」


子供相手とは思えない丁寧な口調で話すクラップフェン秘書の台詞をみなまで聞かず、スコッチは即座に復活した。やっほう!お礼だってさ!と叫ぶスコッチと、それにつられて気分が高揚してきたディーンは、クラップフェンに連れられ、町長の事務所へと向かった。






ディーンと一緒に応接間に入ろうとしたスコッチは、なぜかクラップフェンに入室を止められてしまい、ディーンだけがモーレンコップフと向き合う形になった。

町長相手に黙ったままではいられないため、依頼を受けたとき同様、ディーンは気兼ねなく話し始める。


「さっき、ヒショの人に聞い……聞きました!キンカください!」


まるで報酬の額について、なんの知識もないような言い方。


モーレンコップフは、眼鏡の奥で微笑んだ。

歯が残らず剥き出しになり、目元のシワが固く刻まれた、どこか攻撃的で、作り物めいた笑顔。

事実、目は不自然に細くなっているだけで、少しも笑っていない。


「いや、実はね、ちょっと困ったことになってしまって……君に、お金を払えないんだ」


ディーンの金眼が、いぶかしげな光を湛える。


「どうして?ちゃんとネズミは退治したよ?」


「そうだね、君はよくやってくれたよ。すばらしい働きだった」


町長は親しげにディーンの肩を叩く。


「だけど、君をよく思わないものが、あれは嘘の演出だと言うんだ。自分でネズミを放して、自分で退治したんじゃないかって」


思いもよらなかった中傷に、一瞬ディーンは何を言われたのか理解できなかった。今まで歩いていた地面が、なんの前触れもなく縦になったよう。

ようやく、意味が飲み込めたディーンは、頬を紅潮させ、思わず立ち上がった。


「そんなことしてない!」


言葉の端々に知らず、力がこもる。


「そんなこと!絶対に!してないよ!」


息巻くディーンを手で制しながらも、目の前の町長は笑みを絶やさない。


「勿論、私もそう言った。だけど、住人は納得しないんだ。やはり一度信用を失ったら、なかなか」


「そんなこと、誰が言ったの?」


あんなに喜んでくれたのに、どうして、どこから、そんな話が?と矢継ぎ早に問うディーンを、モーレンコップフはやんわり受け流した。


「それは言えないよ。守秘義務があるからね」


「シュヒギム」


ポツンと呟いたあと、静かになったディーンに、親切な町長は、噛んで含めるように、本来の目的を告げる。


「だから、君に金貨一袋は払えないんだ。私は、あくまで住民の財産を預かっているにすぎないからね。勝手にお金をあげることは出来ない。分かるかい?」


ろくな教育も受けてない相手に、詳しい説明なんかいらないだろう。

どうせ分かりはしないんだから。


立ち上がったモーレンコップフは、向かいで俯いている帽子の上に、柔らかく、しかし絶対的な宣言を振り下ろす。


「とにかく、君には町を出て行ってもらうよ」


笛吹き男は動かない。その場から、動けない。


「これは私からの心ばかりのお礼だ。これをあげるから、出て行っておくれ」


モーレンコップフはそう言って、ディーンの手に数枚の銀貨を握らせた。もう用は済んだというように背を向ける町長を、諦めきれないディーンの声が追いかける。


「でも……でも、本当に、退治したよ?急にそんなこと言われても」


町長は、油をさしたばかりのぜんまい人形のように、くるりと振り返った。

あの張り付いた笑顔は、もう破れかかっている。

モーレンコップフは男性にしては高い声で、引きつったように笑った。


「それなら聞くけどね、君、どうしてネズミを殺さなかったの?約束では『ネズミを退治』するはずだったろう?退治っていうのはね、森に逃がすことじゃなくて」


威嚇するようにテーブルをバン!と叩く。


「殺すことなんだよ!」


そのまま苛立たしげに、テーブルとソファの回りを、ぐるぐると歩き、モーレンコップフは相手が言葉を挟む間もないほど、主張を並べ立て始めた。


「それに、一匹残らずいなくなったというけど、どうしてそんなことが分かるんだい?小さいのが一匹くらい残ってるかもしれないじゃないか!元々のネズミの頭数を君が知っていて、確認したというなら、いなくなったと断言できるかもしれないがね!」


唾を飛ばしながら虚空に向かって話すモーレンコップフを見て、ディーンは、ソファの上で身を固くした。悪いことをした覚えはないのに、なぜか謝りたくなってくる。彼は、今までこんなふうに目の前で、大人に怒られたことがなかったのだ。


「しかも、退治のために使ったのは、笛一本!あれは、なんのまじないだ?」


「あれは、ネズミ笛で……」


必死の訴えを、モーレンコップフは一笑に付す。


「ネズミ笛?そんなもの聞いたことないな。どこで拾ったんだ?」


コールにもらった、と答える前に、町長は話を一方的に引き取る。


「そんな怪しげな道具で退治するなら、最初から頼みはしなかったよ。もっと確実で科学的な方法だと思ったから、依頼したのに。ディーン君、私は正直ガッカリしてるんだ」


心底失望した表情を作られ、ディーンはわけも分からないまま、申し訳なくなって目を伏せた。少し怖かった。


「……ご、ごめんなさい」


「でも、最初に詳しく聞いていなかった私も、少しは悪い。だから、『お金は払えないから、出て行ってくれませんか』と、こう穏便に頼んでいるんだよ?」


論点を巧みにすり替え、モーレンコップフは再びディーンの前に座った。


「警察を……私は、勿論賛成しないが、警察を呼んだほうがいい、と訴える住人もいるんだ。そうなる前に、君にはいなくなってほしいんだよ。約束より少ない報酬だけど」


ディーンは、おずおずと銀貨をテーブルに載せた。


「お金は、別に、そんなに必要なわけじゃあ……」


モーレンコップフは、小鼻から息を吐き、ソファにふんぞり返る。


「ただ、あの……どうしても、出て行かないとダメ……ですか?」


使い慣れない敬語に、縋るような想いが滲んでいる。


「ハッ……いやいや、それはダメだよ」


しかし、町長は、笑い混じりで一蹴した。


「町の人たちの態度を見てないのかい?」


忙しなく立ち上がったモーレンコップフの姿が、わずかに潤んだ目の中に映りこむ。

モーレンコップフは眉を寄せ、ディーンがかわいそうでたまらないという、同情に満ちた表情を浮かべた。そのうえで、効果も知らず、非情な言葉を投げかける。


「ラトゥールに、もう君の居場所はないよ」


その宣告がディーンにとってどれほど惨いことか、モーレンコップフ氏は気付かなかった。


計算ばかりしてる人は、その白い紙にうつる自分の影しか見えなくなってしまうのだ。








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