第1楽章 修道士のカンタータ
「なんだ、これは」
朝日さしこむ広間に、見慣れないものがある。
白い布をかけた机の上に、燭台と女の絵が飾ってある。銀色の剣と天秤をもった、青い女だ。
ジルは、呪いの元凶が微笑んでいる絵を見て、小さく舌打ちした。
「あ、それ祭壇ですよ」
日の出とともに目覚めているキオが、横から答える。
どうやら、この簡易版の祭壇はキオが作ったものらしい。
「向こうの部屋にも、あったような気がするが?」
「向こうの部屋にも祭壇作りました。あと西側の奥の部屋とトイレにも」
「……なぜ、祭壇ばかり作るんだ?ひとつじゃだめなのか?」
「いっぱいあったほうが、落ち着くからです、僕が」
嫌がらせだろうか、とジルは祭壇を見上げた。
ビーバーがダムを作るように祭壇を作りまくるキオは、ジルには理解不能の動物だ。
いつのまに起きていたものやら、あくびをかみ殺したアイリーンも祭壇に眉をひそめる。
「なにコレ」
「祭壇だそうだ」
「青の女神の?」
「多分、そうだろう」
「向こうの部屋にもあったわよ」
「向こうにも作ったんだそうだ」
「……ひとつじゃダメなわけ?」
アイリーンにも理解不能らしい。
「トイレにもあるらしい」
「あいつはトイレでも祈るつもりなの!?」
一刻もはやく、呪いをとかなくてはノイローゼになってしまいそうだ。
西側の部屋で、「見て!青の女神だ!」とかなんとかディーンが叫んでいるが、ジルもアイリーンも聞こえないふりをした。
キオは、祭壇の他に朝食も作った。
食材だけは、たくさんあったので、どっさり作った。
元々料理は得意だし、労働は大好きだ。
朝は食べないのに、とぼやく猟奇殺人鬼の面々を、「朝ゴハンは、一日の大事な活力源です!」と、ムリヤリ席に着かせた。
「天と地とその間におられます神々よ。今日も僕たちに十分な糧を与えてくださり、感謝しています」
「ナンカ イッテル アイツ コワイ」
おびえたペーズリーが、椅子の上で身体を丸める。食前のお祈りなんて見たことがないから、ひとりでブツブツ言うキオが、宇宙人と交信しているように見えて怖かったのかもしれない。
他の殺人鬼たちは、いつまでも祈り終わらないキオを放っておいて、さっさと朝食を片付け始めていた。
誰よりも食べ始めるのが遅かったのに、誰よりも早く食べ終わったキオは、「食べながらでいいので、このカリキュラム表を見てくださーい」と言いながら、持っていた紙を広げた。カリキュラム表には、「規則正しい生活を!」とか「みんなで聖典を覚えよう!」とか書いてある。
異形の殺人鬼たちは、一様にイヤそうな顔をした。
「そんな顔したってダメですよ。呪いをとく方法を盛り込んだオリジナルカリキュラムを、せっかく作ったんですから!」
「ということは、治す方法を見つけたわけね?」
キオは、昨日発見した『不徳なユール人』の話をした。今までやった悪事の倍以上の善行を積めば、少なくとも胸の痛みは緩和されるだろうことも。だが、身体の変調が『罪悪感のあらわれ』であるということは、伏せておいた。このテのタイプは、そういう事実だと反発するかもしれないと思ったからだ。
「一日一善では足りないですね。一日五善くらいやらないと、みなさんの場合は治らないかも……でも、善行を積めば積むほど、症状は楽になるはずです」
「最悪」
リジーは、プチトマトをフォークで突き刺した。
そのプチトマトが、未来の自分にならないよう、ひそかに祈るキオ。
「と、とりあえず、それが僕の導き出した解決策です……そういうわけですので、これからみなさんには善い行いをしてもらい、かつバッチリ『他者への愛』を勉強して頂きます」
アイ?
変換が追いつかない。
アイ。
あい……え?愛?
「愛ぃぃぃいいい!?」
「……なんで、そんなに不満そうなんですか」
まぁ、気持ちは分かるけど。
ジルは、聖典を指でついた。なるたけ触りたくないというように。
「愛ならしょっちゅう育んでるのに。合意のうえで」
「そういう即物的な愛じゃないんです!例えば……他人のためになにかしてあげよう、という気持ちになったことある人!」
だれも手を上げない。
「つまり、そういうことを習得して頂くんですよ」
えぇ〜〜……。
みんなの無言の抵抗にも、キオはめげない。
「できなければ、呪いはとけません!それは断言します!」
キオは、しゃべっているうちに熱くなってしまい、いらんことまで言い出した。
「みなさんがツライのは分かります!大好きな人殺しができないわけですから!でも、僕も応援しますから、みんなで一丸となって頑張りましょう!ね!」
応援していいのか、と思ったのは、猟奇殺人鬼のほうだった。
さて、朝食後、キオは彼らをテストする準備をした。
今、どれくらい良心が目覚めているかのテストである。
なぜか、楽しそうなキオを、もう誰も止めようとしない。どうせ反抗したって「ツライでしょうが、頑張りましょう!」と言われるのが、分かっているからだ。
みんなを集めたキオは、ビデオを数本、取り出した。
「今から、このビデオを見てもらいますね」
数時間後、半強制的にヒューマンドラマ数本を見せられた猟奇殺人鬼たちは、ぐったりとソファにもたれこんでいた。感動巨編なんて、彼らには本当の意味で目の毒だ。
「うう……どれもいいお話でしたね……」
白けている殺人鬼に気づかず、キオは泣き通しである。とことん感激しやすい性質らしい。
「最後死んじゃうなんて……あんまりですよ……はうぅう……」
涙やら鼻水やらをダラダラ流しながら、キオがうめく。
さすがの殺人鬼たちも呼びかけるのを、ためらっている。
「あのー……キオさーん?」
「最後まで信じていたんですよね……彼が戻ってくるのを……ひとりぼっちで」
「もしもーし?」
「もうちょっとしたら、助けが来てくれたのに……そう思うと、もう滂沱の涙をぬぐいきれません……あと、もう少しで恋人の下に戻れたのに……はうぅ」
キオは、思いきり鼻をかんだ。グランの包帯の一部で。
「しかし!彼女の深い愛と強さは、きっと人々の心に残るはずですよ……いつまでも、いつまでも……!」
立ち上がって、そう叫んだ直後、
「うあぁぁぁあああん!!」
キオは、部屋の外へ飛び出して行った。
取り残された6人は、無言で顔を見合わせる。
「な、なんなのよ、アイツは……頭の病気?」
アイリーンは、複雑な表情でキオの出て行ったドアを見つめた。
「心の病気かもしれないよ……」
騒がしいディーンでさえ、語尾にエクスクラメーションマークがつかないほど引いている。
「ものすごく……泣いてたな」
ジルは、ひきつった顔で紅茶をすすったが、紅茶はすっかり冷めていた。
「変なの。人が死んだだけじゃん?どこを見て泣いちゃったの?」
と、狐につままれたような顔のリジー。
「ナミダ デナイ アイツ ヘン」
ペーズリーも、ソファの房飾りをいじりながら、ボソボソぼやいている。
鼻をかまれた包帯をつまんだまま、グランは変わらずの無言だ。
なんでこんなことになったんだろう、と猟奇殺人鬼たちはため息をついた。
猟奇殺人鬼なのに愛。猟奇殺人鬼なのに善行。
啓示を受けたときのキオに負けず劣らず、憂鬱な彼らであった。
こうして、修道士と猟奇殺人鬼の奇妙な同居生活が、葬式のような静けさのなか幕を開けた。




