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第5楽章 ヘレンの回想曲

人の家に押しかけるには、少々早い時間帯。

しかし、ヘレンはさして驚きもせず、キオを迎え入れた。

ストーブの中では、まだ継ぎ足したばかりの新しい薪に、控えめな炎が絡み付いている。


「あの、ピエトは……?」


「まだ眠ってます。昨日、ベッドに入るのが、少し遅くて」


ヘレンは、眉を下げ、困ったように微笑んだ。


「今日明日のうちに夫が帰ってくるんです」


キオは、以前ピエトと話をしたときのことを思い出した。


「あぁ、お仕事で、町に出ていらっしゃるんですよね」


「クリスマスのときも帰ってこられなかったから、楽しみでしょうがないんですよ、あの子」


ヘレンが言い終わると、再び沈黙が足元に凝る。


「……あのお話ですよね」


先に切り出したのは、意外にもヘレン。

キオは、椅子の上で居住まいを正し、頷こうとしたが、ヘレンの目が不自由なことを思い出し、はい、と声に出した。


「……私が知っていることでよければ」


お教えします、と言外に含ませ、ヘレンは向かいのロッキングチェアーに腰掛けた。

一旦目を閉じ、深く呼吸をする。

瞼の開いた彼女の瞳は、かつてのラトゥールを、もうしっかりと捉えていた。


「あれは、5年前、いえ、年が明けたから6年になるのね……長い長い雨季の頃だった」





152年 6月13日

ディトラマルツェン ワイン街道宿場町ラトゥール・エンビィ


「ヘレン!ヘレン起きてよ!」


ベッドの脇で、少年が飛び跳ねている。少年の動きにあわせ、ゆるく波打った短髪が、日の光をちらちらと反射した。


「うぅん……朝からどうしたの、スコッチ」


まだ毛布にくるまったままの少女は、目をこすりながら、少年を見やった。


「雨が上がったよ!聖夜祭の準備を見に行こう!」


何事かうめいたあと、少女は億劫そうに、ごそごそ起き上がった。


「なにも今日見に行かなくたっていいじゃない。明日には、子供も手伝わされるんだし」


「聖堂の神様の人形は、見れないじゃないか!今日のうちに見ておこうよ」


聖夜祭――別名、死者の祭。雨とともに死者の魂が現世へ戻る6月、聖なる18の数字の日に、聖夜祭が行われる。祭りとは言っても、皆各々の軒先に、青い布を下げ、家の中で静かに過ごすだけのもの。そして、翌朝一には、女神の蝋人形が飾られた聖堂に礼拝へ向かう習慣だ。


しかし、聖堂には10歳以下の子供は入れない。

つまり、スコッチ少年は、あと1年ちょっと待たないと、女神像を見られないのだ。


見ることができないと思うと、余計見たくなる。スコッチぐらいの年齢の男の子の間では、その女神像を見ることが英雄的な行為だと思われていて、毎年のように女神像チェックが行われていた。成功したことは、残念ながら、ないのだが。


「今日運び込むはずだから、うまくいけば見られるかもしれないじゃないか!」


スコッチは、髪をとかすヘレンの後ろで、まだ続けている。


「ねぇ、ちょこっとだけ行こうよ」


「ひとりで行けばいいじゃない」


わざと冷たく返すと、スコッチの声が低くなった。


「ひとりでぇ?……ねえちゃんも、一緒に行こうよ」


ヘレンは思わず吹き出した。


スコッチは甘えるときに限って「ねえちゃん」と呼ぶのだ。ヘレンの様子に、スコッチの声が尖る。背後の気配が揺れ、ヘレンの腕に柔らかい猫のようなものがじゃれついてきた。


「なんだよぉ!なんで笑ってんの!」


「なんでもなーい」


「ねぇちゃんは聖堂に入れるけどさ、おれは入れないんだよ?おれも女神像を見たい」


そこまで言い、スコッチは少し言葉を詰まらせた。


ヘレンの目が見えないのを思い出したのだ。


「でも、ねえちゃんがどーしてもイヤなら、いいけど……」


ヘレンは、スコッチの頭を優しくなでた。


「ついてってあげる」


「ホント?」


こういうところが可愛いな、とヘレンは思う。


スコッチとヘレンは、同い年の少年少女よりも、気の合う友達だ。年齢差は10以上もあるが、遊びたい盛りの少年と、物静かな少女には、「障害」という共通点があった。

ヘレンは、極端に目の機能が低い弱視、スコッチは耳が不自由。

自然とお互いを意識するようになり、今は大の仲良しである。


とはいっても、補聴器をつけ、舌や喉の動きから言葉を学ぶ会話法を家庭教師に教わっているスコッチは、見た目にはほとんど健常者と変わりないのだが。


「神様の人形って、聖堂のどのへんに置くんだろ」


ヘレンの腕に取り付いたまま、スコッチが呟く。


「祭壇じゃない?……でも、大丈夫なのかな。最近ネズミが増えてるから、聖堂に置いてある間に、神様のお人形もかじられちゃうんじゃないかしら」


最近、かじられがちな貯蔵庫の食べ物を思い出し、ヘレンは顔をしかめた。1日に見るのは大した数ではなかったが、人を泊める宿場町としては、頭の痛い問題だ。


「パパは、どっかの汚い町から流れてきたんじゃないかって」


スコッチの悪意のない言葉に、しかしヘレンは内心不満だった。以前、お客に犬が噛み付いた事件があって、ラトゥールでは動物の飼育を禁止した。スコッチのような子供には知らされなかったが、犬は遠くの森に離されたし、猫もたくさん処分された。


宿場町として大成功を収めたラトゥールにとって、町の評判が下がる要因は少しでも取り除いておきたかったのだろうが。


……きっと罰が当たったんだわ。


飼い犬を手放したヘレンは、その禁止令を出した町長を快くは思っていない。

しかし、そんなことスコッチの前では言えなかった。


現町長のモーレンコップフ氏は、スコッチの父親なのだ。スコッチの耳の中にあるだろう高価な補聴器を思い、ヘレンはなんとも複雑な気持ちになった。






「なんだろう」


スコッチと並んでいた、ヘレンも首を傾げた。あのあと、任された家事を終え、スコッチとともに町の中心部へやってきたが、なにか周囲がやけにざわついている。


「どうしたの?」


「パパの仕事場に、人が集まってる。誰か来たみたい」


モーレンコップフさんのところに?

聖夜祭の打ち合わせにしては遅すぎる。遠方のお客様かしら。


「行ってみよう!」


スコッチに腕をとられ、ヘレンは杖を手放さないよう、よろけながらついていった。


モーレンコップフの事務所は、洒落た街角に立つ、大きな建物である。派手好きな町長は、その建物の前に、さらに自分の像を作るつもりだとか。聞いたヘレンは、勿論呆れ顔だ。


「おれ、見てくるから、ヘレンは待ってて」


人の足元を縫い、スコッチは、事務所に潜り込んだ。

たびたび訪れ、お客様用のお菓子を頂戴するため、客の通された場所は大体検討がつく。


応接間へと足を忍ばせ進み、声の聞こえる部屋を確認したあと、ドアをそっと開く。


大当たり、スコッチは胸中で呟いた。


しかし、隙間からは、髪をなでつけた上品そうな紳士――モーレンコップフの後姿しか見えない。なんとかその前にいるであろう客人を見ようと、隙間に目を押し当てる。すると、町長の肩越しにゆらゆら揺れる孔雀の羽が見えた。


スコッチは更に扉を開き、その場に固まった。


高級品を揃えた応接間に、なんて似合わないお客様。


そこには、奇妙きわまりない道化師が、モーレンコップフと向きあっていたのだ。


「……変なやつ」


鳥の羽根があちこちに飾りつけられた紫の服。異国風の大きな帽子。先の丸まった靴。


「お祭りに出る大道芸人かな……」


話が終わったのか、その男は応接間を後にしようと、こちらに近づいてくる。


まずい、と逃げようとしたが、時すでに遅し。開いた扉の前にいたスコッチは、正面からその男と対峙する形になった。


尖った顎と、通った鼻筋と……紫色の帽子の下から見える、樹液の凝固したような金眼。


珍しい瞳の色に、思わず、突っ立ったまま見とれてしまうスコッチ。


立ちふさがったままの少年に、男は首をかしげ、それでも向こうが動かないのを見ると、突然拳を突き出した。


ハッと身構えたスコッチの眼前で、男の長い指が開く。いつのまにやら、その人差し指と親指の間には、最初からあったようにキャンディが挟まっていた。

ぽかんとスコッチが見上げていると、再びキャンディが手の中に隠される。次に指が(ほど)けた後に残っていたのは、どう考えても手のひらに隠れそうにない、板チョコレートだった。


「わ、すっげぇ!これ、もらってもいいの?」


チョコレートをねだるスコッチに、男は人懐っこい笑みを見せて頷いた。廊下の窓から見える人垣のなかに、ヘレンを見つけ、スコッチは男をつつく。


「さっきの、外で、もっかいやってよ!」


羽飾りの男は少し迷ったようだが、スコッチに促され、外へ向かった。


「ヘレン!すごいよ!」


事務所から現れたおかしな男に、集まった人々は目を丸くした。しかし、男の隣には町長のおぼっちゃんがいる。


「スコッチ?」


スコッチは男の腕を引き、ヘレンの前に連れてきた。


さわさわと割れ、男の挙動に注目する群集。スコッチの姿に、こわごわ集まってきた子供たちを見て、スコッチは男に「もっかい」と囁いた。


男は、一言も話さないまま、両の手をこちらに見せて、軽く握る。それを素早く交互に振ると、指の間から白い紙吹雪が噴き出した。


子供が、一斉に喝采を送る。


「すごーい!」


客人を警戒し、遠巻きにしていた大人たちも、ぞろぞろと近づいてきた。


「やっぱり、お祭りの大道芸人らしいな」


手を叩く見物人に、男は滑稽な仕草で、お辞儀をしてみせた。


「ねぇ、スコッチ、なにが起こってるの?」


そこで、男はヘレンの目が見えないことに気付いたようだ。


不安そうにしている彼女の右手を、やんわり握る。突然現れた第三者の手に、ヘレンは驚き、腕を引っ込めようとしたが、それより早く冷たい感触が手のひらに落ちた。


表面の凹凸に、大きさ……1イースト硬貨である。


男は、ヘレンの指先に硬貨を持たせ、それを彼女の唇に軽く触れさせた。かすかな金物の匂いに、ヘレンはいぶかしげな顔をする。


「……あの……?」


男は、コインをへレンの手に包ませ、耳元で軽く指を鳴らす。

再びコインが口元に寄せられたのを感じ、おずおずと唇を寄せ、ヘレンは目を見開いた。


「!」


甘い香り。ほどよく冷え、固まったチョコレート菓子だ。

男は、そのままヘレンの口に、コイン型のチョコレートを含ませた。


自分の手から離れていないはずなのに、いつ変化したのだろう!

目が不自由なぶん、触覚や嗅覚は自信があったのに!


再び、指が鳴る。ヘレンの右手の上に乾いた感触があふれ、子供の歓声が耳を打つ。手触りから考えるに、包み紙にくるまれたキャンディーかキャラメルだろう。


「あ、ありがとう。えぇと、あなたは誰なの?」


ふぅん、と音を発した男は、少し考える仕草をした。

それから、ヘレンの左手をとり、手の平にゆっくり文字を綴る。



わたしは ふえふきおとこ









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