第5楽章 スイート&ビター
ベッドに潜ったまま、グランを起こさない程度に、小さく呟く。
「やっぱり、もう一度行くべきだ」
キオは、自身の一言で、堂々巡りする思考に終止符を打った。
ディーンが、部屋にこもって、もう3日。
その間、キオは、ドア越しになにくれと世話を焼いていた。食事は部屋の前に置いておき、時々外へと誘っても見る。残念ながら、なんの反応もない。
ディーンが篭城している間、キオはグランの部屋で過ごしていたが、やはり気になるため1時間に1回は303号室前をうろうろしていた。
正直、あんなにディーンを傷つけるとは思っていなかった。
キオは、自分の迂闊さに唇を噛む。
これまで一緒に暮らしてきた様子から察するに、リジーやジルなら、自分の起こした事件のことを喜んで話してくれただろう。彼らは愉快犯的な傾向が強いし、自分の名前が有名になることを面白がっている節がある。
キオは、実のところ、ディーンもそういうタイプではないかと思っていた。純粋だが、その分、自己アピールの強さも目立つからだ。しかし、あの反応を見るに、ラトゥール事件のことを、彼自身が好ましく思っていないのは確実である。
伝説にまでなったのだから、子供っぽい彼なら自慢の種にすると考えていたのに。
つまり、それは……ディーンにとって、ラトゥールの事件は忘れたいことなわけだ。どうして、忘れたいのかは、勿論思い出すと、嫌な気分なるからだろう。
猟奇殺人鬼なのに、自分の伝説を嫌に思うということは……えぇと……ラトゥールの事件はディーンにとって、予想外だったとか、それとも……。
「ダメだ……心理学の勉強もしておけばよかった」
デュッセルオーヴで借りてきた本から齧っただけの知識では、彼らの心を読み解くなんて無理だ。
キオは、毛布を鼻先に引き上げた。
ラトゥールの笛吹き男伝説には、一体どんな秘密があるのだろう。
すごく単純な疑問――例えば130人もの子供を、ディーンは、どうやってさらったのか。
伝説では、笛で操ったような描写をしてあったが、そんな笛があるとは思えない。
それから、開閉のきく洞窟。
ディーンが、病気を運んで、街を滅ぼしたというのも怪しい。彼にそんな力はない。
でも、紫斑病の流行と、確かに奇妙なほど時期が合っている。
やっぱり、ヘレンさんに当時の状況だけでも聞くべきだ。
夜も白む明け方、キオの頭は、ようやく冒頭の結論を弾き出した。
「今日にでも、もう一度、ヘレンさんに会って、ちゃんと話を聞くんだ」
でも、と、キオは目を伏せる。
「僕がやってることって……ディーンにとって、いいことなのかな」
分かっている。ディーンにとって、よいことではない。
彼は、昔の事件を、放っておいてもらいたがってる。
しかし、キオはなにも事件の真相を暴いて、ディーンを遺族の前に引っ張っていきたいわけではない。ディーンのことを知りたいのは、好きな相手の名前や、誕生日を知りたいのと同じようなこと、それに近いことだと思っている。
それに、僕は、彼らを理解したい。
過去を放り出し、一方的に啓示どおり善行をさせるのではなく、過去の罪も悔い改めてほしい。だって、いくら猟奇殺人鬼でも人間なんだから、なんの理由もなく、あんな事件を起こすわけがない。その裏には必ず、なにかある。
幸せな人間は、他人を傷つけないものだと、キオは思っている。
彼らが他人を傷つけるのは……自分たちが、幸せじゃなかったから?
キオは、毛布の中で、猫のように身体を丸めた。
それにしても、みんなと親しくなればなるほど、不安になるのは何故だろう。
まどろむ、ほんのわずかの瞬間、キオはとても悲しくなった。
連日、ドアの向こうにあったキオの気配がなくなった。
どこかへ行っちゃったのかな。
もう、オイラにかまうの、疲れちゃったのかもしれない。
相変わらず、ベッドで蓑虫のように転がったまま、ディーンは物思いに耽っていた。ここのところ、まともに食事もせず、キオに言われた歯磨きもせず、ただ漫然と過ごしていることが多い。キオの呼びかけも、隣室からのノックも無視し、ディーンはひたすら自分の殻に閉じこもっていた。
窓から、さんさんと太陽が差し込み、全くこちらが忌々しくなるほどの陽気である。光の中で舞う埃の粒子を眺め、ディーンはゆっくりと瞬きした。
キオ、どこへ行ったんだろう。
その途端、今まで目蓋に半分遮られていた瞳孔が、みるみるうちに収縮した。
どこへ行ったのか……そんなの決まってる。
「マシューマルロだ」
最初は、毛布の端を弄んでいただけの手に、徐々に力が込められていく。
「あの2人のせいだ」
気付くと、そう声に出していた。
あの2人がキオにばらしたから、こんなことになったんだ。
オイラはキオに嫌われちゃったし、こんなところにとじこもってる。
「いいや、もう」
ディーンは、なげやりに、吐き出した。
「めんどくさくなっちゃった」
だから、とりあえず、あの親子は殺そう。
突然舞い降りた閃きに、ディーンは、今度こそパッチリと目を開いた。
だって、キオに余計なことを吹き込んで、オイラをキライにさせたもの。
当然の報いだよ、うん。
キオは、その後で殺せばいい。
「え?」
その考えに、思わず息を呑む。
「殺しちゃうの?」
だって、大好きだけど、しょうがない。
オイラをキライになっちゃったキオなんて、悲しすぎて、見ていたくないよ。
一瞬、いつもの顔で笑うキオが浮かび、ディーンは慌ててそれを振り払った。
オイラが話しかけても、きっと、もうこんなふうに笑ってくれない。そのたびにオイラは悲しくなるよ。
なら、そういう顔が、オイラから見えないようにするしかない。
でも、見ないように、オイラがどこか遠くへ行っても、オイラのいないところで、キオは笑う。
楽しそうに、嬉しそうに笑う。オイラじゃない相手に。
そんなの、あんまり悲しいよ。
「……じゃあ、もう、しょうがないや」
殺すしかない。
鮮やかな紫の衣装に踊る、虹を映した羽飾り
不思議な道具が入った麻袋を肩にかけ
右手にだけ、道化師には不似合いな鳥の鉤爪
孔雀の尾羽が揺れる、ツバ広の帽子を目深に被り
可愛い無邪気な子供たち
戦け 戦け 笛吹き男の再来だ