第5楽章 キャラメルクラウン2番
「……ねぇ、今日、なんかあったの?」
3人で出掛けて帰ってきてから、キオはどこか上の空だし、ディーンは黙りこくったまま。
アイリーンは、やたら空気の重い夕飯の席を思い出し、指に髪を絡めた。
「それが、もう、まいっちゃってさぁ」
「スイッチ入れて」
リジーの目と眉の間隔が狭まる。
「少々面倒なことになったかもしれない」
「アンタって面白いわ」
相変わらずの変貌ぶりに、アイリーンは正直な感想を述べた。
「で、なにが面倒なの?キオが、ディーンのこと調べてたんでしょ?」
「どうも、ディーンがそれに感づいたようだ」
感づいたなら、それでもいいが、何故ディーンはキオを問い詰めないんだろう。
奴の性格なら、うるさいくらい「なんで?どうして?」を連発しそうなもんだが。
「一波乱起きそうだねぇ」
リジーが言うか言わないかのうちに、隣室との壁が大きく鳴った。
あらら、もう起きたか。
ディーンは、キオと部屋に戻った後も落ち着かなかった。
キオが変だ。ぼーっとしているし、どこかよそよそしい気もする。
呼びかけようとした声を、ゴクンと飲み込み、ディーンは気遣わしげな視線をキオに向けた。
「ん?どうかした?」
キオの視線や声に、必要以上にびくついてしまう。
ディーンは、なんでもない!と叫び、視線を外して、ベッドに突っ伏した。
いつもなら、ディーンの挙動に敏感なキオが、今日は少しも注意を払っていない。なにか自分の抱えていることで、ディーンが見えていないよう。
ディーンがベッドに転がり、煩悶しているうちに、キオの気配がなくなった。
そっと顔をあげると、キオがいない。どうやら、先にお風呂に入ったようだ。
ふーっと長く息を吐き出し、ベッドから起き上がったディーンの目に、キオのトランクが映る。
ちょっとだけ。ちょっと見るだけ。
ディーンは、誰にともなく言い訳しながら、トランクを探り、ようやくお目当てのものを引っ張り出した。それは、最近、キオがよく見ているノート。
しかし、表紙を撫でたり、バスルームを窺ったりと、なかなかノートを開く決心がつかない。
どうしよう。やっぱりやめようかな。見つかったらキオに絶対叱られる。
ノートを戻そうとしたディーンに、ピエトの台詞がよみがえった。
ラトゥール、人さらい――笛吹き男。
キオが、マシューマルロに行ったのは、たまたまかもしれないけど、たまたまじゃないかもしれない。
ディーンは、震える指先で、ページの端を少しめくった。よく見えないが、予定を書き込んであるように見える。木曜日、ボランティア。
ほっとしたディーンは、更にページをめくってみた。アンダーラインの引かれた文字が飛び込んだ瞬間、ディーンは思い切りノートを閉じてしまった。
「笛吹き男……」
やっぱり、キオはオイラのこと調べてるんだ。
今日、あそこに行ったのも、オイラのこと調べるためなんだ。
「どうしよう……」
ひょっとしたら、もう、キオにバレてしまったのかもしれない。
ディーンは、小さく呻くと、その場にしゃがみこんだ。
「ディーン?」
背後からかけられた声に、ディーンは小さく悲鳴を漏らした。
しゃがんだまま結構な時間考え込んでいたのか、バスルームから出たキオが洗い髪もそのまま、困惑した表情でこちらを見つめていた。
「それ、見た、の?」
ノートを見とめ、キオの目が見開かれる。しかし、怒っている様子はない。どちらかというと、キオの方が、悪さを見咎められたような顔をしている。
ディーンは所在なげに、ノートをしまい、ちらりとキオを見上げた。
「キオ……なんか、オイラに隠してることない?」
「……ディーンに?」
「なんで、今日、あそこに行ったの?」
暗に非難する調子を感じ、キオは素直に謝った。
「……ごめん、黙ってるつもりじゃあなかったんだけど」
「オイラに黙って、オイラのこと調べてたんだ」
ディーンは、キオの言葉に被せるように続ける。
「なんで、そんなことするの」
それは、キオにも分からない。
「……あのね、ディーン、僕……このままじゃいけないと思うんだ」
どう説明すればいいのかと当惑する姿が、ディーンにはキオの後ろめたさに見えた。
なんで、いつもみたいに叱らないんだろう。秘密を知ったから?
「キオは、オイラの嫌なことしてる」
「そうだね。それは、僕が悪い。でも」
秘密を知ったから、オイラのこと怖くなったの?
「オイラのすっごく嫌なことしてる」
「ごめん……ディーン、僕」
だから、いつもみたいに怒らないの?だから、そんなに怖がってるの?
……それ、キライになったってこと?
「そんなことしてほしくないのに!」
激昂したディーンの声が、鋭く突き刺さる。
「なんでそんなことするんだよ!」
ディーンの拳が壁に叩きつけられ、キオは思わず怯みそうになった。そこを堪え、辛抱強くディーンに言い聞かせる。
「僕は、ディーンのことをほとんど知らないんだよ。勝手に探ったのは悪かったけど、なんにも知らないままじゃいけないと思うんだ」
「キオの言ってること、分かんない」
ディーン、とキオが優しく呼びかけるが、ディーンは首を振るばかり。
「そんなの全然分かんない!」
帽子の下から覗く目に、怒りが滲んでいる。
最悪のシチュエーションでディーンに伝わってしまった。完全に僕のミスだ。
「ディーン、お願いだから、怒らないで聞いて……」
「きらい」
壁についたままのディーンの拳が、ぶるぶると震えている。きつく握り締めているせいで、関節が浮き上がり、指先が白く変色していた。
「……キオ、きらい!あっち行ってよ!」
近づこうとした瞬間、キオはぎくりと立ち止まった。キオを睨む金色の瞳に、全身を巡る血管に冷水を流し込まれたような恐怖を感じたのだ。呼吸が浅くなり、身体が強張る。
なにか言わなきゃ、そう思うのに、乾いた喉からは、なんの音も出なかった。
ディーンは、一瞬目を泳がせると、帽子を深く被り直した。
「キオのうそつき」
キオを強引に押し出し、ドアの閉まる瞬間、耳に届いた言葉。
先ほどまでの癇癪的な態度から考えられないほど、弱々しい声だった。
「ディーン!」
振り返ったキオは、ドアに取り縋る。
しかし、その悲痛な声も空しく、中から鍵のかかる音がした。
こんなことになるなら、あのときに話を聞いておくべきだった。
キオは、ドア越しに呼びかけながら、苦い後悔を味わう。
キオは、ヘレンが伝説の登場人物だと知っただけで、まだ当時の話は聞いていない。詳しい話を聞く前に、ディーンが帰ってきてしまったからだ。ひどく急いだ様子のディーンは、キオの手を引っ張って、早く帰ろうとだけ繰り返した。
一刻も早くキオをマシューマルロから遠ざけたいように。
「ディーン ドンドン」
「どうかしたのか?」
部屋から顔を覗かせたジルとペーズリーが、それぞれキオに声をかける。
「あ、ごめんね……なんでもないから」
「ケンカでもしたの?」
隣室のアイリーンと、グランも困惑した表情だ。
「キオ、人はどうして秘密をもつと思う?」
ふいに、リジーの言葉が脳裏をよぎる。
帰りのバスで、ディーンは何故か一番後ろの席に一人で座っていて、キオたちと離れていた。そのとき、リジーが言い出したのだ。
「話すキッカケがないから?話したい相手じゃないから?違う」
突然の話題に、キオはろくに反応もできなかったが、リジーは確かにこう言った。
「愛しい人に嫌われないためにさ」
僕は、彼らの悪口を、彼らを知らない人間に言わせるのがイヤだ。でも、僕はみんなのことを知らなさすぎて、ろくに反論もできない。
だから、知ろうとしている。
ずっと、そう思っていた。自分の身勝手な好奇心を満たそうとしているんだと。ディーンが笛吹き男でない可能性ばかり探しながら、彼の秘密を暴こうとしているんだから。
「違う」
キオは、ひとりごちた。
愛しい人に嫌われないために、秘密を持つ。
キオは、ドアの前に佇んだまま、嗚咽を噛み殺す。
自分の動揺を、心配そうに近づいてくる彼らにだけは、悟られないように。
「僕は」
秘密を知りたいのは、ただ、もう単純に、僕が彼らを好きだからだ。