第5楽章 笛吹き男伝説
ラトゥールの笛吹き男を、知ってるかい?
むかし、ディトラマルツェンの北に、ラトゥール・エンビィという立派な町があったんだ。
それはそれは大きな町で、そこにはお金持ちも貧乏人もたくさん住んでた。
でも、お金持ちにも貧乏人にも、同じ悩みがあったんだ。
それはネズミ。
ラトゥールの町では、ネズミが大発生してて、大変だった。
食べ物や洋服は残らずかじりあとだらけで、家具やシーツも穴だらけさ。小さな赤ちゃんや病人までかまれてしまうこともあったんだ。
町の人たちは、このままじゃいけないと思っているんだけど、なにしろネズミは隠れるのが上手だし、たくさんいるから、なかなか退治できなかった。
すると、あるとき、奇妙な男がやってきた。
そう、それが笛吹き男さ。
それは、虹色の羽根飾りをつけた痩せた男で、変な帽子を被っていた。
そして、羽根飾りの男は、町長さんにこう言ったんだ。
「わたしなら、ネズミを一匹残らず退治できますよ。金貨一袋でやってみせましょう」
町長さんは、こんなおかしな男に頼むなんて嫌だった。だけど、藁にでもすがる思いで、その羽根飾りの男にネズミ退治をお願いしたってわけ。
さて、その男は、笛で楽しい音楽を奏で始めた。聞いている人が、つい踊りだしたくなるような愉快な曲だ。ネズミに困らされていた人たちは、その曲に気分がよくなって、つい外に出てきた。
すると、とんでもないものが見えたんだ。
扉を開けた先には、通りいっぱいのネズミ、ネズミ、ネズミ。
どの通りもネズミであふれ、そのネズミの列の先頭には、あの笛吹き男がいたんだ。
町の人たちが追いかけていくと、ネズミたちが遠くの森へ向かっていくのが見えた。
笛吹き男は、約束どおり、みごとネズミを一匹残らず町の外に追い出したのさ。
その夜、ラトゥールの人たちは、ネズミにかまれることもなく、ゆっくり眠った。
次の日、町長さんのところに、笛吹き男がやってきた。約束のお金をもらうためにね。
でも、町長さんは、お金を渡さなかった。
「ネズミを退治する約束なのに、森へ連れて行っただけじゃないか。それに、一匹残らず町からいなくなったかどうかも分からない。だから、お金は払えない」
でも、そんなのは嘘だった。
本当は、こんな変な格好の男に、金貨を1袋もやるなんてイヤだったんだ。町の人たちも、笛吹き男に、急に冷たくあたって、さっさと町から追い出そうとした。
それを見た笛吹き男は、ふいっとどこかへ行ってしまったよ。
でもね、笛吹き男は戻ってきたんだ。
あるお祭りの朝、大人たちが教会へお祈りに行ってしまったあと、どこからともなく、笛の音が聞こえてきた。笛吹き男の笛の音だ。
すると、あちこちの家から、残っていた子供たちが出てきた。
そのまま、笛の音に誘われるように、山の方へ並んで歩いていく。
もちろん、その先頭には、羽根飾りだらけの笛吹き男の姿があったさ。
笛吹き男と子供たちは、チョークレトラの山を登っていき、そのうち大きな岩の前についた。
すると、大きな地響きがして、そこにポッカリ洞窟ができたんだ。
子供たちは、そのなかに入っていって、そのまま姿が見えなくなった。
さて、教会から帰ってきた大人たちは、びっくり。大事な子供がいないと、大騒ぎさ。
笛吹き男の姿が見えなかった目の不自由な子と、笛吹き男の笛が聴こえなかった耳の不自由な子だけが、町に残っていて、その2人は大人たちにこう言った。
「わたしは、笛の音を聞いたわ」「ぼくは、奇妙な男を見たよ」
それを聞いて、大人たちはすぐに分かった。
笛吹き男だ。笛吹き男が仕返しに、子供をさらっていったのだ。
大人たちは大急ぎで山の洞窟へ向かったけれど、そこにはもう洞窟なんてなかった。
きっと笛吹き男が、洞窟の入り口を隠してしまったんだ。
「ぼうや!わたしのかわいいぼうや!」
「お金をはらうから、うちの娘をかえしておくれ!」
でも、もうなにをやっても後の祭り。
子供たちも笛吹き男も、二度と姿を見せなかったって。
そのあと、子供をなくした親たちは、重い病気にかかり、次々とこの世を去った。
あとの人たちも笛吹き男を恐れ、病気を恐れ、町を離れてしまったよ。
今、あの場所にラトゥール・エンビィという町はないんだ。
ひょっとしたら、これこそが、笛吹き男の復讐だったのかもしれないね。
今でも、風の流れによっては、笛の音がどこからか聞こえてくるんだって。
子供たちの笑い声と一緒にさ。
『世界伝奇伝説集 ディトラマルツェン編』
「ねーキオも、キャラメル食べるー?」
座席の後ろではしゃぐディーンの声に、キオは小さく息をついた。
「……想像できない」
「なに?食べる?」
頬いっぱいにキャラメルを詰め込んだディーンを振り返る。
「僕はいいから、もうちょっと静かにね」
「だって、キオ、お客さん一人もいないよ?」
リジーの言うとおり、バスの中には3人の姿しかない。
こんな中途半端な時期、辺鄙なマシューマルロまで遠出する人は少ないだろう。
本当はひとりで来るはずだったのに。
後ろで「森のくまさん」を歌い始めた2人の問題児に、キオは頭を抱えたくなった。
マシューマルロに向かうのは、これで2度目。
ピエトに出会った日から1週間後のことである。
アイリーンがキオの動向に、やけに敏感になっているため、しばらく一人歩きを控えていたのだ。彼女は、キオがちょっと出掛けるのにも、何時に帰ってくるのか、どこへ行くのかと、まるで心配性な母親のように詮索する。
今日も今日とて、ディーンとリジーというお目付け役をフジツボよろしくくっ付けて、行動する羽目になってしまった。最近、かまってあげられなかったし、2人は喜んでいるようだから、連れて来てあげてよかった。
だが、キオはそう楽しんでもいられない。
ディーンの様子を見るに、彼はマシューマルロが、ラトゥールの跡地にあると知らないのだろう。だが、なにを切っ掛けに気付いてしまうか。
気付いたら、彼はどう思うだろう。僕が、自分のことをコソコソ調べていると知ったら。
キオは、深く溜息をついた。
女神はよい方向に導けとしか指示していないのだから、ディーンのことを調べて、彼が猟奇殺人鬼と呼ばれるようになった理由や、殺害に至った動機を知るのは、啓示外のこと。もっと言うなら、キオ自身の勝手な行動である。
どうして、こんなに彼らの過去にこだわってしまうのか。キオは、自分で自分の気持ちを持て余してしまう。彼らが嫌がるのは分かっているし、相手が傷つくようなことは、キオも望んでいないというのに。
なぜ知りたいんだろう。
バスを降り、マシューマルロまでの高地を歩く間、キオは黙ったままだった。
キオの自問自答は、彼らの姿を見とめたピエトに呼びかけられるまで、悶々と続いたのだ。
「キオ……おーい!キオ!」
大きく怒鳴られ、思考は一瞬で断ち切られた。
「あ、やぁ、ピエト」
ピエト少年は、一人遊びの続きでか、今日も木の枝を腰に帯びている。
息を弾ませ、全力で走ってきた彼は、そのままキオの身体に体当たりした。
「なんだよ!もう来ないかと思ってたぞ!」
なれなれしくキオに寄り添うピエトを一瞥し、ディーンはあからさまに顔をしかめる。
「なに、コイツ」
不快感も露なディーンを、キオは、まぁまぁと手で制した。
「この間、遊びに来たとき、知り合いになってね」
キオの脇から顔を覗かせたピエトは、ディーンを値踏みするように見て一言。
「変なヤツ」
彼の帽子のことか、彼自身のことか分からないが、ディーンはリスのように、ぷうっと頬を膨らませた。リジーは面白がって見ているだけだし、ピエトは舌を出している。
キオを挟んだ冷戦に巻き込まれた本人は、再び深い溜息をついた。