第5楽章 ベリードロップ
ある小さな町に、ひとりの少年が住んでいました。
少年には、お金がなく、住む家もなく、家族もおりませんでした。
寒い冬の夜のことです。
少年が、いつものようにゴミ箱をあさっていると、声をかけられました。
そこには、世にも不思議な格好をした、道化師が立っていたのです。
石造りの建築物が多いギルシアと違い、白い漆喰の壁と、木組みが美しい町並み。
汽車から見える景色は、広大なブドウ畑だ。
アトランテルの西隣に位置する、ワイン産地として名高い農耕大国。
ここは、ディトラマルツェン――笛吹き男伝説の発祥地。
「さて、どういったところを、お探しですか?」
不動産屋は、2人の客を、にこやかに出迎えた。
彼の前には、いかにもお金持ちそうな男と、使用人が立っている。赤ら顔を、ますます赤くし、不動産屋の主人は、いそいそと物件ファイルを取り出した。
「今オススメなのは、ヌガーバータのお屋敷ですね。つい最近、売りに出されまして。こちらのキャンディアの物件も、なかなかよろしいかと」
ソーセージのような指先で、主人は器用にページをくっている。
お金持ちと、使用人……言うまでもなく、ジルとキオのことである。
ジルは、面倒くさそうにファイルを眺め、実に軽く答えた。
「じゃあ、それ、ふたつで」
「おおぉい!大雑把すぎですよ、ジル!焼きイモ買うのとは、わけが違うんですから!それに、そんなに長くいるかどうか分からないんで、賃貸で充分です!」
不動産屋の主人は、目を丸くした。
使用人が、貴族に怒っている。
下男にしか見えない少年は、不動産屋の当惑も知らず、人数と希望エリアを告げ、即日入居可能な物件を出してください、と言った。
「はい、ただいま。えぇと……通常アパートなら、1ヶ月から契約できますけど」
主人の言葉に頷きながら、家賃、礼金、敷金、立地条件、更新料なども詳しくチェックしていくキオ。かなり候補を絞ったところで、キオは他のメンバーを呼んだ。
「アタシ、ここがいい」
アイリーンが左から指差すと、
「じゃあ、わたし、これー!猫足バスタブ!」
リジーが右から手を伸ばす。
「……あの、同じアパートにしましょうね?」
キオに言われ、再び、物件選びが白熱。
大人気ない大人たちの様子を見た、不動産屋は口を挟めず、立ちすくんでいた。
紆余曲折はあったものの、どうにか決められた物件は、ベリードロップと呼ばれる町の小さなアパート「キャラメルクラウン」。
ベリードロップは、大きな街が近く、治安も良いらしい。ディトラマルツェンは、ギルシアより国土が広いためか、家賃もお手ごろだった。
不動産屋の案内で、2階建てバスを乗り換え、傾斜のある石畳を抜け、緩やかな坂を下る。
家々が寄り添うように並んだ街角に、ようやく目指すアパートを見つけた。
アーチ型の扉に、ウロコを並べたような緑のとんがり屋根。どの階の窓からも、豊かな葉と、赤い小さな花があふれている。手製の看板には、ギルシアを含むユーロパ地方の標準語――シンフォニア語で「キャラメルクラウン」と書かれていた。
まるで、童話に出てくるような造りで、若い女の子なら、間違いなく「可愛い!」というだろうが、猟奇殺人鬼の女の子は言わないものらしい。
アイリーンは、一目見るなり「……少女趣味」とつぶやいた。
可愛いって言わなくて、よかった……と、複雑な心境を抱え、キオは扉を押し開ける。
内側につけられていた鈴が、小さな音をたてた。
内装をチェックしたキオは、深く頷く。
入った正面は長い廊下で、扉の左横から階段がのびている。右には、ランドリーや用具室が並んでおり、外観通り、全体的に、こぢんまりとしたアパートだ。
しかし、草花模様が踊るベージュのカーペットといい、清潔に磨かれた銅製の手すりといい、キオには大満足だった。
不動産屋が、太った体を揺らし、廊下の奥の部屋を叩く。
「クラウンさん、カカオです。連絡しておいたお客さんをお連れしましたよ!」
管理人在住のアパートは、部屋の鍵をかけていないことが多い。キオは、アイリーンに部屋番号を告げ、荷物を預けた。
「あとは、僕が説明聞いて、鍵もらっておきますから。みんなは、部屋を見てきてくださいね」
管理人は、人の良さそうな老婦人であった。いつ物騒なことが起こるか分からないため、若い人の入居は大歓迎だという。正直、入居者のほうが物騒なのだが。
キオは、ひきつった笑いを浮かべ、絶対迷惑かけませんから、と心の中で、老婦人に謝った。
鍵やら、入居契約書の写しやら、ゴミ出しルール表やらを受け取ると、キオは3階まで上がっていく。部屋番号は303号室で、ルームメイトはディーン。バス内で行ったくじ引きで、公平に決まった結果である。
ジルと相部屋になったペーズリーは、少し威嚇していたが、ジルに「変なことはしません」と5回言わせると、なんとか納得したようだ。
銅製のノブを回し、部屋をのぞくと、2つあるベッドのひとつで、ディーンが大きく寝そべっていた。ドアが開く音に気付き、すぐさま跳ね起きる。
「キオ!鍵もらってきたの?」
「うん、さっきね。ところで、ディーン?午前中買い物に行くから、着替える約束だったでしょ?」
ディーンは、帽子の下で、目を泳がせた。
ギルシアならともかく、笛吹き男伝説のあるディトラマルツェンで、ディーンの今の格好は危険すぎる。彼の姿は、そのまま伝説通りなのだから。
初めてジルの屋敷で出会ったとき、キオ自身は、訪問客が全員猟奇殺人鬼だと知っていた。だからこそ、人目で「ディーン・クレンペラー」であると判断できた。いくらディトラマルツェンの人々が、彼の格好を怪しんでも、まさか本物だとは思われないだろう。
しかし、もしも、ということがある。
そのため、彼のサイズに合う、別の服を準備しておいたのだが。
「……ねぇ、この格好、どーしてもダメ?」
「ダメです」
ちぇーと唇をとがらせるディーン。
かわいそうだが、ディトラマルツェンの人達に、妙な好奇心を与えるよりはいい。
トレードマークの帽子をはずし、ディーンは、こげ茶のシャツとセーターを身に着けている。初めてディーンの髪が、赤みがかった枯れ葉色だと知ったのも、彼の横顔がなかなか端正であったのも、このとき初めて知ったキオである。
黒い靴下をはいたディーンは仕上げに、いつもの帽子を深く被りなおした。
帽子くらいは、見逃してあげよう。
「着たけど……こんな格好イヤだなぁ!チクチクするよ!」
ディーンは、セーターの具合が気に入らず、さっきから引っ張りまわしている。
「のびちゃうから、そんなことしないの」
言い聞かせ、羽飾りの衣装をキレイにたたむ。着心地のよさそうな肌触りだが、これは、明らかに舞台衣装だ。普通の衣料品店には、きっと置いていないだろう。
「いつものほうがいいなぁ」
今の格好のほうが暖かいだろうし、見栄えもいいのだが、ディーンは不満そうだ。
「本当に、この服大好きなんだね」
苦笑するキオに、大きく頷くディーン。
「そりゃあね!コールからのプレゼントだもの」
初めて聞く名前に、キオは首を傾げた。
「コール?ディーンの友達?」
「うん!コールは、オイラに、その服と名前をくれた人だからね!」
「え、そうなの?」
ということは、ディーンの家族なんだろうか。
しかし、以前聞いた話では、ディーンに保護者はいないはずである。キオは、ケーキ屋の帰り道を思い出しながら、考えを巡らせる。
「……その人は、どんな人だったの?男?女?」
いろいろ聞きたいが、結局、あたりさわりのない質問を選んだ。
「男だよ。おじいちゃん」
なら、以前の話は、コールさんが亡くなってしまった後、一人ぼっちになったということだろうか。
「コールさんは、ディーンのおじいちゃんなの?」
「違うよ?コールは友達!」
困ったなぁ……どう聞けばいいんだろう。
無神経な質問で、ディーンを傷つけたくないという、キオの葛藤も知らず、ディーンがはしゃいだ声で続ける。
「コールは、おじいちゃんで、友達で、ピエロなんだよ!火とか吹けるんだよ!玉乗りは腰が痛いからダメだけど、5個の玉をポンポン投げるのは上手かった!そんで、そんで……」
ディーンは、そこで考えるように言葉を切った。
「そんで、多分、夢の国に行っちゃったんだ」
……夢の国?
「ねぇ、ちょっと、いつまで着替えてるの?もう出掛けるわよ」
扉越しに聞こえたアイリーンの声に、ディーンが大きく返事を返す。
「キオ、行こ!」
つんつんと、服を引っ張られ、キオは慌てて笑顔を浮かべた。
「じゃあ、準備しますから、外で待っててください」
わかった!と、元気いっぱい答えたディーンは、帽子の羽飾りを揺らし、パタパタと部屋を出て行く。
キオは、階下から聞こえる、楽しそうな声に、訳もなく取り残されたような感覚を味わった。
柔らかい日差しが、床に奇妙な模様を描いている。
キオは、窓の外を見て、目を細めた。
「夢の国、か……」