表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/84

第4楽章 祖国

「ちょっと買いすぎたかな……」


抱えた袋には、オレンジや缶詰などが、めいっぱい詰められている。


久しぶりのデュッセルオーヴを、キオは懐かしく感じた。


しばらくは、ここともお別れだ。


というのも、キオは、今日中にギルシアを発つ予定なのである。それを司祭に伝えるため、デュッセルオーヴに赴いたのだ。


あんな騒ぎを起こした以上、ギルシアにはいられない。


憲兵隊員のなかには、殺人鬼の姿をすっかり確認したものも多いようで、翌日はゴシップ誌にそのテの話題が、一面掲載されていた。もちろん、かなりの脚色を加えられていたし、誰もがデタラメだと考えているが、いつなにが起こるか分からない。


それで、一刻も早く予定を組んだ。まさに海外逃亡である。


ダリ港は使わず汽車で南下し、その後セルリア港からオールドケンジントン海を挟んだ、向かいの国アトランテルに向かう。それ以上の行き先は、まだ決まっていない。


不安がないとは言わないが、初めての海外に少し浮かれているのも事実。


「イヴは、もう、ニーニョについたかな」


今朝早く、駅へ送り届けたイヴには、結局最後まで本当のことが告げられなかった。彼女を信用していないというわけではないが、情報漏洩は避けたい堅実なキオである。


自分が国を出ることも告げていないが、きっとまた会えるだろう。外国の絵葉書で手紙を送ったら、喜ぶかもしれないな、とキオは一人口元をほころばせた。


通いなれた道を歩き、さて、教会通りへ続く低い階段を上がろうとして、キオはバランスを崩した。


花弁を(かたど)った石畳の上に、オレンジが次々転がり落ちる。


旬のネーベルオレンジが、あんまり艶々(つやつや)と美味しそうだから、お土産にと購入したが、さすがに買いすぎたかもしれない。


「痛んでないといいんだけど……」


ひとつひとつ確認しながら、拾い、さて他には?と見回すと、通行人の足元に落ちているのが見えた。


キオが腕を伸ばす前に、大きな手がそれを拾い上げる。お礼を言おうと目線を上げ、キオは今一番見たくないものを見てしまった。


白い詰襟の制服に、銀色の狼が駆けている軍章。



うわ……憲兵隊……!?



恐る恐る顔を上げた先で、青みがかった銀色の瞳が、キオを見ていた。


その顔に思わず息を呑む。顔面を縦に裂くような大きな傷が、顎から額まで走っていたからだ。


「は、あの、すいません、僕……」


相手は、随分背が高い。グランほどとは言わないが、硬そうな筋肉に覆われた全身から、圧倒的な存在感がにじみ出ている。


どう言葉を続けようかと、怯えるキオの耳に、深く静かな声が届いた。


「いいオレンジだ」


男は表面を軽く手で払い、キオの袋に戻した。


「あ、ありがとうございます」


腰を深く曲げると、男がかすかに微笑んだ。傷が引きつれたようになって、少し痛々しい。


「今ギルシアは物騒だ。気をつけてな」


片手を挙げ、去っていく背中は大きく、ものすごく頼りになりそうである。その後姿に、またジルとは違う「大人の男」を感じてしまうキオ。

それと同時に、憲兵隊というだけでよくない先入観が先立った自分を、少し恥じる。


「……やっぱり、男は、ああでなきゃ、うん」


真似をして姿勢を正そうとすると、袋からまた2、3個のオレンジがこぼれおちた。






こうして、キオ・コッローディと愉快な仲間たちは、ギルシアンブリジットを発っていった。


千年暦ジャハンナの158年1月12日のことである。


アーネスト・S・ドビュレの読み物では、後にこう続く。



『世界は、自分に見えないところで、しかし確かに自分に関わって変化しているのかもしれません。


そうでないと、誰が断言できるでしょう。


自分ひとりいなくなっても、世界は変わらないと、見てもいないのに何故言えるのでしょう。


自分が死んだ瞬間に、火山が噴火しないと、海の水が干上がらないと、木が瞬く間に枯れないと。


ありとあらゆるものが、絶妙な調和で繋がっていないと。


まずは、御覧なさい。


これから先、たったひとりの修道士によって、6人の猟奇殺人鬼たちが、世界の片隅が、規律と法則と常識を破ったうえでどう変わっていくか。


どう、崩壊していくかを』






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ