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第4楽章 憲兵隊と船上のプレスト7番

連絡のとれなくなった護衛船へと向かったジェボーダンは、無人の船に奇妙な既視感を抱いていた。追憶に触れそうになり、慌てて考えを切り替える。


今は、乗組員を探すのが先だ。


憲兵たちを、発電機室や揚錨機室が並ぶ補機室、事務室に回し、自身は舵取室を始め、無線電信室、測器室などの航海用室を見て回る。


船内に争ったような後はない。しかし、県憲兵隊とはいえ乗組員20余人が、揃って消えるなどありえるのだろうか。こんなことなら、護衛船は離れるのではなかった。




カラン




かすかな、耳で捉えられるかられないかというほど、小さな音に、ジェボーダンは素早く反応した。全身に電流のような緊張が走る。近さから、間違いなく、今いる海図室で聞こえた音であろう。


しかし、それっきり、なんの音も聞こえない。


「気のせいか……?」


再び、顔を部屋に戻す。


「――ああ、気のせいさ」


すぐ背後で――勝ち誇った声がした。


振り向くには遅かった。喉元には、三日月を切り取ったような大鎌が伸びている。鏡を思わせる刃に、ジェボーダンのがっしりとした顎が映っていた。


「ツメが甘いよ、オオカミさん」


歌うような調子。相手は、状況を楽しんでいる。


「ちょっと野暮用で、来てみれば、なんて幸運」


喉をじりじりと撫でる刃先は、驚くほど冷たい。しかし、その声音よりは暖かく、好意的にさえ感じた。


「何故、ここに」


ジェボーダンは知っている。


相手が誰なのかを。


その声だけで。


「……乗組員をどうした」


淡々とした口調に対し、背後の少女は愉快そうに答える。


「乗組員?あぁ、そのへんに転がってない?」


ジェボーダンの肩が緊張したのを見て、少女はかすかに笑った。


「いやいやいや、死んではいないよ?だから、あとで、一緒に探してあげるといい。なくなった腕やら足やらをさ」


ジェボーダンは、己の迂闊さを呪った。


乗組員が「無事ではない」ことのみ分かっても、どうしようもない。


「貴様に罪悪感はないのか。殺される人間の無念さや恐怖を、一度でも考えたことが」


抑揚のない言葉の中に、怒りが滲み、それが殺人鬼の気分を高揚させる。


「罪悪感?」


加害者と被害者の違いは、立場のみ。


よって、誰でも被害者となりえるし、また加害者にもなれる。


加害者にとっては、被害者の無念さや遺族の悲しみなぞ、うっとうしい面倒ごとでしかない。それは、普通の人間でも同じこと。事故に巻き込まれたものは、事故を起こした者を憎むが、起こした者にとっても、まごうことなく、それは災難なのだ。


しかし、殺人鬼は、特に加害者意識が低いのではないだろうか。


「そんなものあれば、だぁれもころさないよ」


傲慢にして独善的な加害者の考えは勿論、被害者の恐怖も、遺族の狂いそうな悲しみも、第3者の同情的な想いも、思いやりさえ、きっと赤頭巾は理解している。


理解しているから、人の傷口を探し出すことに長けているのだ。


しかし、あくまで、理解しているだけ。それは、なんら彼女に影響しない。


だからこそ、こんなにも平然としていられるのだ。


ジェボーダンの青みを帯びた銀の瞳が、苦しげに細められる。


「気違いめ」


ひゃははははははははははは!!


『大佐!今スコー……いえ、ソリュエラ准尉が不審者と交戦中です!至急おいでになってください!』


無線機からの声に、赤頭巾は笑い止んだ。


「ふぅん?大佐になったのか……結構、結構。昔から言ってたもんねぇ、いつか自分もギルシアを守る一角になるってさ」


その声には新しい玩具を見つけた子供のような響きが宿っている。少女は、手を伸ばし、無線機の通信を切った。


「素晴らしい愛国心」


小さな手。ジェボーダンが、ほんの少し力を込めれば折れそうな腕。


「でもね、ホントに守らなくちゃいけないのは、人のほうだろう?人っていうのはね、君が、材木と一緒に積んで運ぼうとしているアレのことだよ?」


金茶の髪も、赤い眼も、顔の作りも、きっとほとんど変わっていないに違いない。


「せいぜい、空っぽの国を愛して、守るがいいさ」


その声の冷たさと、正気じみた狂気。


「あの男のようにね」


ごく軽く言い終え、赤頭巾は、ん、と耳を澄ませた。


「おっと、残念。もうお別れの時間だ」


「逃げられると思うのか」


「逃げるさ。鬼ごっこは得意だからね」


言いながら、目の前に時計をかざす。秒針がせわしなく進む後を、長針が待ち望んだように追った。短針は、それを見ているだけ。


「この護衛船は、あと数分で爆発する」


思わせぶりな間をとったが、これに対するジェボーダンの反応は、いささかの乱れもない沈黙だった。


赤頭巾としては、もう少し動揺した姿が見たかったのだが、さすがに左官ともなれば、思うように地雷を踏んではくれないらしい。彼女は、不満そうに鼻をならすと、すねたように続けた。


「いくら銃火器の搭載がないからってさ、綿火薬やらなにやら、あんな物騒なものを積み込んでおくのはどうかと思うね」


本来なら、貨物船に積み込んでおくはずだったそれらは、ジェボーダンが護衛船に移させた。さすがに、そんなものを人の隣に積んでおくのは気が引けたからだ。


しかし、一体、赤頭巾はなにが目的で、こんな。


問いかける前に、喉元の刃が、すっと遠ざかった。


「じゃあね、大佐殿」


そう言ったあと、背後の猟奇殺人鬼が、ほんの少し寄りかかってきた。


猫が甘えるような、擦り寄るような仕草。細く柔らかな髪が、耳元をくすぐった。


温かみが、惜しむように離れていく。





だーれだ!当ててみて!





「リジベス!」


ジェボーダンの振り向いた先に、赤頭巾の姿はなかった。


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