第4楽章 憲兵隊と船上のプレスト5番
レトは、スコールと別れた後、船内をくまなく調べて回った。
マーナガルムとハティが貧民を外に出したため、今船蔵には材木と梱包されたチップしかない。ぞろぞろついてこられるのを目障りだと感じたレトは、そのまま船内の捜索を憲兵たちに任せ、最上甲板へと上がった。
スコールの姿はない。大方埠頭から見えにくい後部で、休憩でもしているのだろう。
レトは、一息つき、手すりに寄りかかった。暗い海の向こうは、なにも見えない。見えるのは、自分の白い息だけ。復旧した明かりが、ちらちらと黒い海面で踊っている。
『カルターニャ少尉、船内で、特に異常は見られません』
胸元の無線機から、くぐもった男の声がし、レトは短く返答した。
悪天候で1時間、貧民の収容で20分は予定が遅れている。しかも、この面倒ごと。
バーダルトワレに到着するのは、深夜を過ぎてしまうだろう。そもそも、たった30余人で200を越す人間を管理して運べというのが、土台無理な話なのだ。動員人数が少なすぎる。
張った肩を回しながら、なおも海を眺めていると、ふいに、水面に映る明かりが、大きく揺らめいた。まるで、何者かが水面を、あるいはライトを揺らしたように。
レトが、素早く振り向いた先に――奇妙な闖入者が立っていた。
鮮やかな虹色の羽を散りばめた衣装に、ツバ広の帽子。おとぎ話にでも出てきそうな派手で珍妙な風体だ。相手は、レトに向かって、軽く右手をあげた。
「やっほー、オネエサン」
そいつは、ライトをぶら下げている銅線の上で、笑っている。そのせいで、ライトが揺れていたのだ。曲芸師のような身のこなし。なんとも、現実離れした光景である。
「……なんだ、貴様は。この船は客船じゃない。降りろ」
警棒に手を伸ばしたレトは、動揺を悟られぬよう、低く告げる。そいつは、ひゃっひゃっと高く笑い、再びライトを揺さぶった。
「オネェサンが、オイラを叩こうとするよぅ!怖いよぅ!」
「ふざけるな!一体どこから入り込んだ!」
さては、あの不審車両から……いや、運転手は、金髪の若い男を乗せたと言っていた。
レトは、相手から眼を外さないまま、無線機に呼びかける。
「大佐、不審者を発見しました。貨物船の前部右舷、最上甲板です……大佐?」
応答がない。
何故。
不審に思う間もなく、次の異変。
突然、なにかの叫び声が聞こえ、水音がしたのだ。それも、かなり大きなものが、海に落ちる音である。
鳥男は動いていない。ニヤニヤしたまま、銅線に座っている。レトが素早く、海面を窺うと、わずかな明かりでも分かるほどの、鮮やかな赤頭が浮かび上がった。
「スコール!?」
なんで泳いでるんだ、お前!
しかも、続けざまに2、3人の憲兵が海に飛び込むのが見えた。
一体なにをやっているんだ、あのバカ共は!!
レトは、つい、気を逸らしてしまった。相手が、殺気立っていなかったのも、彼女の油断を招いた原因である。はっと向き直ったすぐ目の前で、鳥男が笑っていた。思いのほか人懐っこい笑顔に、肩の力が自然と抜ける。
「オネエサン、ごめんね?」
なにを、と問いかける間もなかった。
鳥男が、右手の鉤爪を振り上げると、レトの憲兵服が、胸元から弾け飛んだ。
な。
「あれ?オネエサン、小さいね」
なんの話か?鳥男の目線を辿れば一目瞭然。
「なにをする貴様ぁぁぁぁああああああ!!!」
レトは、憲兵服の切れ端を胸に巻きつけ、きつく結ぶと、男の頭部目掛けて、蹴りを繰り出した。鳥男は、うっひゃあ!とか言いながら跳ね退き、「ね、ねぇねぇ、なんでじっとしてないの?」と、二の腕をつまんできた。
何故、よりにもよって、そこを!
「触るなぁぁぁああああ!!」
気合とともに、憲兵靴が振り下ろされる。相手は、無駄な動きが多いながらも、危なげなくそれを避ける。
形容のしがたい過激な音がした後には、一部分が、むしられたように破壊されている積荷が残っていた。厚さが200mmはあろうかという縦割りの材木である。
レトの憲兵靴は、男性隊員のものより小さいが、重い。底と爪先だけでなく、踵にも鉄板が入っているからである。その重さを、足1本で支え、振り回せる彼女は、やはり尉官。
ぶぉん、と風圧も激しく、右足を軸にした回転蹴りが炸裂する。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃん!オネエサンも頑張れば、そのうち」
「貴様にオネエサン、オネエサンと軽々しく呼ばれる筋合いなんぞないわぁああ!!」
レトの鋭い蹴りが、再び一閃。
「ひゃあああ!?」
その瞬間だけ、足が伸びているのではないかと思うほど、レトの蹴りは攻撃範囲が広い。積まれていた材木が、次々と砕かれていく。
発言するたびに、攻撃の威力が増す彼女を見て、さすがにマズイと思ったのか、相手はレトに背を向けた。
「オイラ、逃げちゃう!またね、オネエサン!」
「逃がすか!跡形もなく消し飛ばしてくれる!」
完全に眼が据わり、鬼のような形相で後を追うレト。
売り物を粉々にしながらの、壮絶な追いかけっこが始まってしまった。甲板中を走り、船内をさらに破壊し、数分前までスコールとジルがいた後部を駆け抜ける。
その様子すら目に入らないほど、怒り心頭のレトには、あの音が聞こえなかった。
数えると、3回目になる、あの鳴き声が。
そのかわり、彼女を正気にさせたのは、足元から響いてくる――轟音。
貨物船までも揺れた気配を感じ、レトは息を詰めた。
「……ッなんだ!?」
船蔵から、すぐに甲板へ戻り、あたりを伺う。小さな破裂音が、続けざまに2度続いた。騒ぎは、貨物船で起こっているわけではないようだ。遠くで聞こえる悲鳴は、埠頭からだろう。
しかし、かすかに漂ってきた化学薬品のような臭いに、まさか、とレトの顔が青ざめた。最上甲板を回り、前部舳先の目指す先に、レトの連れていた憲兵たちが、呆然と集まっている。
「し、少尉!!」
すがるような視線を乗り越え、東を臨み、レトは絶句した。
天に届くほど、あふれる黒煙に、滲む赤炎。
その下にあるのは。
「大佐…………!?」
護衛船のひとつが、闇より更に濃い暗雲に包まれ、大炎上していた。