第4楽章 憲兵隊と船上のプレスト
他宗教ではマイナスのイメージが強い狼は、カラード教では潔白と英雄の獣である。中でも白い狼は、大神の右腕とされており、誰よりも正確に大神の居場所を嗅ぎわけ、誰よりも早く駆けつける使いだと言われていた。
しかし、それにちなんで「白い狼」を象徴としているギルシアン憲兵隊は、決して潔白な連中ばかりではない。前科を持った者も多く在籍しており、国家警察と違い、資格がなくても入隊できる。
そんな血の気の多い連中に、銃火器を持たせておくと、どんな厄介ごとが起こるか分からない。そのため、平常は、警棒の所持だけに留めている。
今は、まだ。
「わぁ、すっごーい!キレーイ!」
「……おい、やめろよ。気持ち悪ぃ」
「ハッハー!気分だよ、気分」
スコールは、妙なシナをやめ、ダリ港の景色に背を向けた。
元々は、小型船舶が風浪を避けるための避難港であったダリ港は、世界貿易が本格化してからは、商船を扱える港湾にまで発展した。ダリ・ボジョレが、マルゴールに次ぐ主要都市のひとつとなっているのは、ダリ港の影響が大きい。
ルベルコンティや、ティカチーロのような高級別荘地が集まるのも、そのせいである。
「マジで、どっかに売り飛ばせばいいのにな」
マーナガルムの低い声に、目を転じると、ダリのあちこちから集められた北方貧民が、並ばされているのが見えた。乞食、売春婦、申請のない物売り。
「ああいう腐りきった生き方を見ていると、反吐が出る」
「でも、これから戻る船で、元の場所に送り返すんだろぉ?」
スコールの言葉に、マーナガルムは肩をすくめる。
「とりあえず、ライランで一度降ろすらしい。でも、罰金でさえ踏み倒すような連中だからな、そこであっさり解放ってわけにゃあ、いかねぇだろ」
ふーん、とつぶやき、スコールは再び、埠頭に目を転じた。
対岸桟橋には、小型ながら洒落た客船や、個人運用の商船が並んでいる。北方の部隊にいるスコールには、飾られた船なんて珍しかった。北の船は、漁船だとか貨物船だとか、およそ飾り気のないものばかりだからである。
対岸からこちらに目を移すと、F字の桟橋に貨物船が、一隻停泊しているのが見える。あの中に、貧民を積んで帰るのだ。
荷捌き場で、時間を潰している二人は、貨物船に進んでいく貧民の列を分け、ひとりの男が近づいてくるのを見定めた。
「お、ハティ、おつかれー」
スコールが、歩いてくる憲兵に声をかける。
「どーも、お久しぶりですね」
応えた男は、はにかみながら、眼鏡を指先で押し上げている。
「もう、今日は引き揚げるんですか?」
「夜中にライラン経由で、バーダルトワレ行く。結局また北に戻んなきゃなんないんだよ。もぉ骨折り損」
「じゃあ、例の人はダリから出たと、大佐はお考えなんでしょうか」
「や、まだなんとも。そもそも、ダリで見たって話がガセかもしれねぇからさ。一応、フェンリルとマーナガルムは置いてくけどな」
世間話を始めた二人をよそに、煙草をふかしていたマーナガルムが、ふいに積荷から降りた。眉をひそめ、見つめる先を、スコールたちも目で追う。
「どうしたんでしょう」
貨物船の後部にあたるライトが、一部不自然に瞬いている。
「故障か?」
スコールが、立ち上がりかけたとき、奇妙な音が聞こえた。風が通り抜けるような、汽笛のような、獣の鳴き声のような、そんな気味の悪い音が。
3人は顔を見合わせ、一足先に貨物船へ向かうことにした。仮置きの積荷の間を抜けていると、数人の隊員とともにレトも合流してきた。
「レト、さっきのは」
「分からん」
隊員とレトは、他船舶の乗客や関係者以外の人間が、F字桟橋に入ってこないよう、見回りをしていた。国家警察に巡回もさせていたが、念のためだ。そこで、不審な車両を見つけたが、客船の乗客を連れてきたといっただけだった。車両が停車していた出入り口からは、F字桟橋に続く道しかないというのに。
だから、日和見に慣れた警察は役に立たん。厳重警戒の意味が、全くわかっていない。
走りながら、よく注意すると、他船舶でも、ライトの明滅が見える。ただし、対岸の船はなんともない。こちらのF字桟橋付近の船舶にだけ見られる異常だ。
「電気系統の故障?」
「監督官と、さっき見てきたが、問題はなかった」
船上への階段を駆け上がると、甲板の上に積まれた荷の間を、憲兵隊がせわしなく行き来している。ただならぬ様子に、スコールは、そのうちのひとりを捕まえた。
「おいおい!どうしたんだよ」
「いや、あの」
スコールに肩を掴まれた憲兵は、おどおどと言葉を切った。
「乗組員が、倒れていまして……」
「どこで」
レトの厳しい声に、憲兵は震え上がる。
「船内のトイレです。気を失ったままで、その」
「なんだ、それ。誰にやられた?ケンカか?」
「違うと思います……あの」
ぼそぼそ、と耳元で報告されたことに、スコールはぎょっとした。
「マジかよ。ひでぇな」
「いいところに来たな」
背後からの登場に、大袈裟に驚くスコール。
「大佐、なんか様子がおかしくないっすか?」
「おかしいとも。こんなに予定通りにいかないのは、久しぶりだ」
ジェボーダンは、それでも表情を崩さず、指示を飛ばす。いくら騒いでいても、一語一句聞き取れる、どっしりと重厚な声が船上に響きわたった。
「これくらいで動揺するな。一旦船内の北方貧民を外に出せ。それぞれの班長に指示を仰ぎ、巡回に向かうこと。警察は当てにならん」
はい、と、ようやく士気を取り戻す憲兵隊員。大佐の指示ひとつでさえ、彼らには絶対の安心と信頼感があるのだ。
「スコール、レトは貨物船。フェンリルとマーナガルムは港だ。不審者は、誰だろうとかまわん。連れてこい」
ひとりでは行動するなよ、と続けられ、ブレーメンは無言で頷く。
「私も、なにかお手伝いしましょうか」
ハティ中尉の姿を見とめ、ジェボーダンは頼む、と囁いた。
「あぁ、それと、なにかあれば、軍船ではなく、私に連絡しろ」
命令の違和感に顔を上げると、ジェボーダンが続けた。
「軍船と連絡がとれない」
貨物船と並行予定だった2隻の護衛船は、かろうじて目視できる位置に停泊している。銃火器の搭載はないにしても、軍船を商船や客船の間につけられないため、F字桟橋とは別にある緊急時重要港で係船されているのだ。
しかし、ほんの目と鼻のさき。さっきいた荷捌き場を東に行けば、すぐである。
あんなにも近くにいるのに、連絡がとれない?
「軍船は私が見てくる。少し夜霧が出てきた。お互いの行動に目を配れ」
簡潔に言うと、ジェボーダンはさっさと持ち場へ、憲兵を追い立てていく。
「そんな、実地訓練みたいに……こんなに平和なダリで、物騒なことなんて、あるわけ」
スコールが、言い終わらぬうちに、乾いた音をたて、船上を照らすランプが割れた。
手のひらに収まる小ささのそれらは、まるで示し合わせているかのように、パン、パンと続けて割れていく。
性質の悪い手品でも、見ている気分だ。最後のライトが、音をたてて消えた次の瞬間。
ひゅおおうぉおおうおおおおううぅ―――――
「また、あの音だ」
細く、長い、悲鳴……いや、笛か?
「騒ぐな」
ざわざわと動揺を隠せない隊員を、ジェボーダンが、一声で静まらせる。
夜霧が濃くなった気がした。対岸についた華やかな船のライトが、かすんで見える。埠頭の明かりが、ぶんぶんと唸っている。
マーナガルムは、くわえていた煙草を吐き出し、ひとりごちた。
「……なにが起こってやがるんだ」




