第1楽章 猟奇殺人鬼の6重奏
背後の窓に、ぱちぱちと水の粒があたる。
雨が降り出したようだった。
今日は予報で晴れだったはずなのに、実に舞台演出を心得ている天候である。
「アイリーン、君が大騒ぎするから彼が怯えているじゃないか」
アイリーンに、ジルと呼ばれた金髪の男が、愉快そうに声をかける。
「気分が落ち着いたなら、自己紹介をさせてもらえるかな?」
まだ、なんとなく状況を把握していない。
いや、把握したくないキオは、どこかぼんやりしたままだ。
「……え、あ……はぁ、ど、どうぞ……」
「隠れ家へようこそ、お若い修道士君。私がジル・ヴィクトール・F・ド・ブルノー。手紙の差出人だ」
ジルは、優雅な仕草でキオの手を握った。
「青髭公と名乗ったほうが分かりやすいかな」
ぼんやりとしていたキオの目が、大きく見開かれる。
オールドケンジントン海を挟んだ外国、ソレイユ。
そのドュシェ州からフェデダ州にかけて、女性が続けて5人、行方不明になった。
全員の共通点は、黒髪であるということだけ。
結局、家出と片付けられてしまったが、事件は最悪の形で解決する。行方不明から、ちょうど13日後、木に縛り付けられ、生きたまま獣に食い荒らされた無残な姿で、彼女らは見つかったのだ。豊かな黒髪は、すべて切り落とされていた。おそらく、犯人の記念品にされたのだろう。
黒髪、いわゆる黒毛から連想したのか、女性ばかりというところから連想したのか。
その殺人鬼は、その地名を取り「レンテヌーヴの青髭公」という名で世間に知られるようになった。
続けてアイリーンが、歩み出る。
「アタシも名前は非公開だから、灰かぶりの名前のほうが有名ね」
カニバリズムの猟奇殺人鬼といえば多くの人が思い出す名前。
それが、食人鬼「灰かぶり」である。
襲われるのは、若い男が多く、発見された死体は、灰に漬け込まれていた。なんのためか。もちろん、おいしく食べるために灰漬け保存されていたのだ。
灰の消臭効果と殺菌効果で、死体を長持ちさせ、余分な水気を落とす。その保存法が食材のピータンを連想させると言ったテレビのコメンテーターは、視聴者からのパッシングでテレビに出なくなった。
確か、プロファイリングでは、同性愛者の男が犯人像とされていたはずだが、女性だったとは。その殺害方法から、人喰い殺人鬼「灰かぶり」の名前が生まれたのはいうまでもない。
あ……それで、屠殺業ね……。
キオは、あやつり人形のように不自然な動作で、ソファから立ち上がった。
「えーと……僕、急に用事を思い出しました」
ジルが、優しく諭す。
「自分の命よりも大切な用事なのかい?」
啓示通り、まずは、2人の猟奇殺人鬼に出会った。
ありがたいことに、キオは殺されずにすんだ。
呼び出したのは向こうなのだから、殺されてはたまったものじゃないが、なんにせよ今のところ五体満足なだけ十分だ。
キオは、溜息をつき、窓に視線をやる。
昼過ぎから降り出した雨は、ますます激しくなっていた。元々北方にある、この地域では普段でも夜霧が濃い。加えてこの雨では、きっと歩けないほど霧が深くなるに違いない。木々の隙間から見える空は、キオの心のように重たい。
このぶんだと夜には嵐になるだろう。
思うか思わないかのうちに、遠雷がうなりはじめた。灰色の雲が、白く光る。
「季節外れだな」
「うわあ!」
いつのまにやら、ジルがいた。猟奇殺人鬼というのは、近くに来ても気配がせず、足音もないらしい。
「お、おどかさないでくださいよ」
「今夜中には、連中が着くから、迷わないものかと思って心配になってね」
「連中?」
部屋を出て行きながら、ジルが振り返る。
「猟奇殺人鬼のオトモダチだよ」
そういえば、青の女神は「全員が全員とも猟奇殺人鬼だ」と言っていた。
つまり、ジルとアイリーンの他にもまだいるということなんだろう。
できれば着かないでほしい、とキオは祈る。
自分の命が、ただでさえ危ういというのに、その要因が更に増えるなんて、あんまりだ。
そんな祈りを嘲笑うように、突然、玄関のチャイムが響いた。古いチャイムだからか、胸に染みとおるような奇妙な音色だ。
ジルもアイリーンも出ないのか、再びチャイムが鳴る。
そこでキオは思い立った。
猟奇殺人鬼が、玄関のチャイムなんか鳴らすだろうか?
きっと、鳴らさない。
窓とかドアとかを問答無用で突き破って現れるのが、猟奇殺人鬼というものだ。
ということは、ひょっとしたら、教会の誰かが僕を迎えに来てくれたのかもしれない!
こんな天気だから、心配して見に来てくれたのかも!
キオは、期待しつつ、扉を押し開けた。
「どちらさ……ま」
扉の向こうが目に入った瞬間、稲光が世界を真っ白にした。
立ちふさがるのは、巨大な影。
そろそろと視線を上に滑らせていくと、包帯だらけの顔が目に入った。顔面だけでなくボロボロの服から伸びる太い腕も、指先まで白い布に覆われている。包帯の隙間から垣間見える目が、にぶい動作でキオをとらえた。
全身に包帯を巻いた大男を見かけたら、絶対に生きては帰れない。
グラン・ジンジャー・ボーデン。
老若男女問わず血祭りにあげる無差別殺人鬼の代名詞な存在だ。数百人を血祭りにあげたらしいが、行方知れずになったのは、死んだからだと言われていた。
しかし、異を唱える人間のほうが多い。
そういう人間たちは、決まってこう言う。
『不死身の化け物グラン・ジンジャー・ボーデンが死ぬなんてありえない』と。
ホントに生きてた……生唾を飲み込み、キオはそろそろ後ずさる。
実際には、縫いつけられたように足が動かなかったが。
「ねぇ?グラン、どうして立ち止まってるの?」
大男を押しのけるように、小柄な少女が進み出てきた。
赤いレインコートが、見るも鮮やかだ。
少女は、きょとんとキオを見つめた。
「だぁれ?」
なにか言おうと口は開くが、声が出ない。
グランに出会ったショックが、キオには強すぎた。
キオの格好を上から下まで眺めた少女は、あぁ、と手を打つ。
「そっか、教会から来てる人か。わたしは、リジー・ドット。よろしくね」
ただでさえ、固まっていたキオの呼吸が、ますます止まる。
リジー・ドット。
今から2年前の千年暦155年、ラ・マーモットの首都ドルチエ郊外一軒家で、目玉をくり抜かれ、口を裂かれ、生皮をはがされた死体が、発見された。
赤いコートの人影が目撃されたが、犯人は分からずじまい。それ以降、たびたびバラバラに切り刻まれた変死体が見つかり、そのすべてで赤コートの姿が見られている。だれが言い出したか、その殺人鬼の名前は。
「……ひょっとして、赤頭巾、さん……?」
「あ、知ってるんだ!世間知らずの修道士にしては、なかなか予習ができてるね!」
不死身ペアだ……。
赤頭巾も、死なない殺人鬼リストに名前が載っている……。
酸素不足に陥っているキオの後ろから、ジルが顔をのぞかせた。
「あぁ、遅かったな。どうせ乗る船を間違えたんだろう?」
「違うもん、客船の貨物に隠れてたんだけど、貨物室でお楽しみ中の二人連れがいたから殺そうとしたの。そしたら、見つかっちゃってさ。港は大騒ぎだったよ」
ねぇ、グラン?と、赤頭巾。
「本当は、皆殺しにしようと思ったんだけど、気分が悪くなっちゃって」
ジルは、片眉を上げた。
「ほう……例の女神の呪いか?」
リジーの目が鋭くなり、可愛らしい声が低く地を這った。
「だろうな。生きている人間をみすみす見逃すなんて、こんな屈辱はないよ」
「招待を受けたってことは、グランも女神様に会ったのか?」
こくりと、グランが頷く。
キオは、いまだ固まったままである。
これで、猟奇殺人鬼は4人になった。
ようやく、硬直状態の溶けたキオは、キッチンにいた。お茶の準備をしようと思っているのだが、手が震えて思うようにいかない。
ジルやアイリーンは、猟奇殺人鬼とはいえ外見も行動も普通だったし、獲物にする被害者にこだわりがあった。だが、あの二人は……両方とも無差別殺人鬼。殺す相手は誰でもいいわけだ。もちろん、自分でも。
自分が本格的に危ない状況にいる、とキオは再確認し……。
物音がしたのは、そのときだった。
にゃーん。
「ひぃ!」
キッチンの影に、なにか大きなものがうずくまっている。
にゃーん。
大きな物体は、再び鳴いた。
猫のような鳴き声だが、その大きさ……絶対に猫ではない。
「玄関から入って来いって言ったでしょう、ペーズリー」
いつのまに来たものか、アイリーンの声に、うずくまっていたものはもぞもぞ動き、立ち上がった。それの様相に、キオは絶望した。またもや自分でさえ知っている大物だったからだ。
つぎはぎだらけの服に、つぎはぎだらけの顔……いや、皮を縫い合わせた袋を頭にかぶっている異様な姿。皮でできた仮面には、本物の猫の耳が付いている。そして、不似合いな上等の革長靴。
本名ペーズリー・ハワード・ゲイン。
愛称は、長靴をはいた猫。性癖は、死体愛好。
墓から死体をほじくりだし、人と動物の死体をつなぎ合わせて悪趣味な工作を繰り返す異常殺人鬼である。彼のねぐらを突き止め、踏み込んだ警察官は、あまりの凄惨さに発狂してしまったという。
「……な、なん……」
言葉の出ないキオの隣を、ペーズリーはのそのそすり抜けていく。
これで、猟奇殺人鬼は5人になった。
最後の客人が現れたのは、どうにかお茶の準備が終わり、客間に運ぶ途中だった。もはやキオの頭に、なんで彼らの分までお茶を用意してるんだろう、という疑問はわかない。
「あはははははははは!」
突然聞こえた、けたたましい笑い声にキオは持っていたもの全てをぶちまけた。
ホールの右側に位置する階段の上。
高い窓のふちにシルエットが立っている。
彼が何者かは、格好を見れば一目瞭然。
鳥の羽飾りをあちこちにつけた道化師のように派手な衣装と、つばひろ帽子。
ラトゥールの人さらい、ディーン・クレンペラーだ。
ある聖夜祭の朝、130人の子供が突如姿を消した。
街に残っていたのは目の不自由な子供と耳の不自由な子供だけで、その二人は、みんなは奇妙な男に連れて行かれてしまったと証言した。
結局、連れ去られてしまった子供は、ひとりも見つからなかったという。
その後、ラトゥールでは疫病が大発生し、今その街は地図からなくなってしまっている。
悪魔の所業としか思えない、悪夢のような都市伝説。
その元凶が、階段の手すりにしがみつき、足をばたつかせている。
「教会ネズミがいるよ!教会ネズミだ!」
耳に響く、鳥の鳴き声のような哄笑。
これで、猟奇殺人鬼は6人になった。
オトモダチは、全員そろった。