第4楽章 空白のアッチェレランド
ダリの人気スポットに、手作りのぬいぐるみを売っている洋裁店がある。古着や余ったボタンで作られた物ばかりだが、どれも愛嬌があり、若い女性ならつい足を止めたくなるような店だ。
ぬいぐるみなんて、自分で買ったことはないイヴも、先日その店で、1時間近く立ち往生してしまった。
キオには、くるりと尻尾の丸まったブタのぬいぐるみの説明をしたが、本当に欲しかったのは、別のぬいぐるみだ。
「これ、キオに似てない?」
暖色系のチェック柄布地をパッチワーク風に縫い合わせた、手のひらサイズのネズミ。長い尻尾は、よりあわされた毛糸でできていた。
「そうかなぁ……似てます?」
「マヌケ面なとこ、そっくりじゃん」
なるほど、そういえば似ているかもしれない、と本気で考え込んでいるキオに、イヴは頬を緩ませた。そっと値札を見ると、手がかかっているからか、少し高い。
それを買おう買うまいか、悩んでいたのが真相である。
「はあぁぁ」
修道士なら優しいのも、紳士的なのも頷ける。
「はあぁぁうぅ」
盛大な溜息のせいで、目の前に掛かっていた下着が、ひらひらと揺れた。
「まぁ、心ここにあらずねえ、イヴ」
ふいに振ってきた声に、イヴは顔を上げた。散らかっているベッドに寝そべっていたイヴは、化粧が崩れているせいで、目元がやけに黒い。
「ポーラ、いつ帰ってたの」
6人の女友達と共有しているこの部屋は、住人が入れかわり立ちかわり、せわしない。今も、イヴが帰ってきたと同時に、メイ・リンが出て行ったばかりだ。もっとも、全員が揃わないからこそ、ベッドがひとつだけの部屋でも十分なわけなのだが。
触れれば食いつかれそうな、やたら攻撃的な睫毛をしたポーラは、ベッドに腰掛け、厚い化粧をさらに厚く直し始めた。
「つい、さっき帰ったのよン。ねぇ、これから、シャトモーゼ通りに行くんだけど、一緒に行かない?あのへんって結構いい感じのバーが多いじゃない?」
「今日は気分じゃない……」
「イヴ、なにを気にしてんの。憲兵にしょっぴかれなかっただけ、よかったじゃない」
「あたし、お礼、ちゃんと言ってない」
会ったときのことを思い出せば、こう言えばよかったのに、ああ言えば感じよく聞こえたのに、という後悔ばかり。まるで、泡のように次々と、自分のマイナス面が湧いてくる。
「あ、例の貴族様?アンタ、ホントに惜しいことしたわねぇ〜、そのときにアピールしとけば、ひょっとしたら」
「あぁ、もう!そぉじゃなくて!」
「分かってるわよ。教会ネズミの子でしょ?」
「その言い方やめて」
ポーラは、やれやれと肩をすくめた。
「ちゃんと、ありがと、って言ったんでしょ?」
「でも、キチンとは言ってない……」
あのときは動揺が勝ってしまい、ろくにお礼も言わず、帰ってしまった。
『売春婦』
憲兵に、言われた言葉。
実のところ、イヴは、仕事で関係を結んだことは一度もない。そうなる前に、お金だけもらって逃げるからだ。周りの目が気にならないわけじゃないが、そんな言葉、もう言われ慣れた。
キオの前でああいうことを言われたのが、ショックなのだ。もちろん、キオがそんなことで差別をするタイプでないのは、承知している。
でも、弁解くらいしたかった。
「よっぽど、イイ男なんだね」
「そーゆーわけでもない、と思う、こともない」
「どっちよ」
ぽってりとした唇に、どぎついルージュをのせながら、ポーラが笑う。
「でも、修道士相手じゃ、どうこうは望めないもんねぇ」
ぶぶぅと音をたて、イヴは枕に顔を埋めた。
別にそういうことを望んでいるわけじゃない。甘ったるくて絵に描いたような恋物語は、随分前に卒業した。
「あたしといたら、迷惑するよね……」
ポーラは、イヴの背中を優しく撫でる。
「どっちにしても、もうそろそろニーニョに帰らなきゃ。お祭り期間は見逃してもらえたけどさ。憲兵も、うろついてるし」
うん、と小さく呟くイヴ。
「……あたしって、女々しいかなぁ」
明るい笑い声が、応じる。
「いいじゃない、女々しくたって。女なんだからサ」
ポーラは仕上げに、香水を降り掛け、小さな姿見の前でポーズを取った。安っぽい毛皮のマフと、強烈なラベンダーの香りが、イヴの鼻をくすぐる。
「ねぇ、ホントに来ないの?あたし行っちゃうわよ?」
イヴは、ベッドに転がったまま、手を振る。
「行ってらっしゃーい」
ポーラも、大きめのヒップを揺らしながら、振り返らず、ひらひら手を振った。
「よさそうな人いたら、声かけに帰ってきてあげるわ」
ポーラは、派手でとっつきがたい外見とは裏腹に、情に厚く、面倒見がいい。
しかし、今回はそれが仇となる。
イヴを呼びに戻ったせいで、彼女は免れることができなかった。
宿に踏み込んできた憲兵隊による、北方貧民取り締まりという名の、暴挙を。
わずかに傾いた木のテーブルを、4人の男が囲んでいた。
耳障りな音をたて、揺れるランプは、時折思い出したように火が消えかける。どこからか、隙間風が入っているようだ。薄汚れた石の床は、隅にホコリがたまっており、頭上には破れた蜘蛛の巣も見える。
ランプの下では、神経質そうな男がイライラと、安酒の瓶をあおっていた。
「あぁ、クソ!俺はさ、ああいう自分の地位によっかかったヤツが大嫌いなんだよ!自分じゃなんにもしてねぇくせに、七光りの上に胡坐かきやがって」
「まだ言ってんのかよ、しつこいなぁ」
くわえ煙草の憲兵が、カードをそろえながら笑うと、相手はますますいきり立った。
「だって、お前!ああいう連中がいつまでも居座ってるせいで、俺らみたいな真面目にやってる一般人に、いつまでもお鉢が回ってこないんだぞ!」
彼が何かに対し不満を持つのは、いつものことだ。テーブルについていた無精髭の目立つ憲兵も、まあまあ、と軽く受け流す。
「相手が悪いさ。なんせ、お貴族様だからな」
「たまには安い女を試してみたかったんじゃねぇ?ホント羨ましい話だぜ」
別の憲兵が、全くだと下卑た笑い声をあげる。
ひとしきり、下世話な話題で盛り上がり、テーブルゲームにも飽きてきた頃、ひとりが言い出した。前歯の抜けた口が目立つ若い男である。
「なぁ、それよりよ。今回の任務って意味分かんなくねぇか?」
それは、てめぇがウスノロだからだろ、と無精髭がからかう。
「なら、お前は分かるのかよ。なんで、俺らが、たかだかガキひとりを探すのに、狩り出されなきゃならねぇんだ」
飲みすぎで、幾分目の据わった酔っ払いが、空になった瓶をテーブルに叩き付ける。
「どうせ、どっかの金持ちの子供なんじゃねぇの?家出とかさ」
まだ貴族のことを、根に持っているらしい相方に、くわえ煙草はわずかに苦笑した。
「そういうのは、どっかのイヌの仕事だろ。俺らはオオカミだぜ?」
よく言うよ、と再びからかうのは、無精髭。
前歯の抜けた男は、自分の話題が放り出されたのを感じ、強引に無精髭の肩を抱く。
「噂だぞ、ぜってぇ言うなよ?」
「あぁ?気持ち悪ぃな。なんの噂だ」
「ガキ探しの任務だよ!そのガキってな、お姫様なんだよ」
「どこの」
「ここだよ!ギルシアの!だって、普通、人探しならさ、写真をもらうとか、特徴を教えられるとか、手がかりがあるもんだろ?なのに、俺らには『不審な女児を取り締まれ』っつーワケ分かんねぇ指示しか出てない。それさ、俺らみたいな下っ端も含め、世間にバレたらマズイ人を探せ!ってことじゃねぇ?つーことは、依頼主は王族だよ!」
どうやら、自分の考えを披露したいがために、この話題を出したらしい。前歯のない男は、誇らしげに人差し指をたてた。
「……で、もし、そうだとしたら、なんでお姫様は、お逃げあそばされたんだ?」
「うーん……あ、分かった!王位継承権争いとかじゃねぇ?で、巻き込まれそうになって逃げ出したんだよ!あと、駆け落ちとかさ」
無精髭は、眉のあたりをガリガリとかいて、溜息をついた。
「お前、テレビの見すぎだよ。それも三文英雄譚みたいなやつな」
この男は人から伝え聞いた噂話しかしないうえ、突拍子がないことばかり言う。それを重々分かっている3人は、軽く聞き流した。せっかくの話に、賛同が得られなかった男は、それならば、と別の話で食い下がる。
「なら、この噂はどうだ!ここから少し離れたとこに、フランチャコルタって街があるだろ?あっこでよ、この間すげぇ騒ぎがあってさ」
「ゴシップ誌に載ってたぞソレ。『殺人鬼の仕業か?広場に領主の生首が!』ってヤツだろ」
酔っ払いが、床に唾を吐く。
「くっだらねぇ」
「おい、マジなんだって!俺の知り合いがフランチャコルタにいてよ、領主の聖誕祭に見たって」
「知り合いって、女か?」
「女の話にばっか、食い付くなよ」
そういう話には、いやに反応が良い酔っ払いに、噂好きの男は、不満げだ。無精髭は、まだ酒が残っていないかと、瓶をゆすりながら、退屈そうにぼやく。
「猟奇殺人鬼ねぇ……うさんくせぇ。どうせ客寄せだろ」
「そもそも、なんで一人も殺されてないんだ?猟奇殺人鬼のみなさんが、揃いも揃って腹でもくだしたか?」
くわえ煙草の言葉に、場が沸く。
「ひょっとしたらよ、目覚めちまったんじゃねぇか」
「なにに?信仰か?」
無精髭は、手の甲を自身の口元によせた。
「愛だよ愛」
バッカでぇ、と噂好きの男が爆笑し――次の瞬間、いきなり3人の視界から外れた。
目の前にいた人間が、なぜ急に消えたのか。
後ろから、殴り飛ばされたのだ。
床に倒れ付した憲兵は、ピクリとも動かない。近付こうとして、倒れた男の上に影が落ちているのに気付いた。かすれた声で、くわえ煙草がつぶやく。
「……ジェボーダン大佐……」
見上げるような上背に、鋭い銀色の瞳。厚い筋肉が、硬い布地を押し上げているのが分かるほど、鍛え上げられた体躯。
そして、ひときわ目を引く、左顎から額まで走る傷跡。その傷のせいで、元々強面の顔が、さらに凄みを帯びている。
Z・A・ジェボーダンが、何故ここに。
無言で隊員を殴り飛ばしたジェボーダンは、目だけで他隊員を威圧した。頭上から厚い鉄板に押さえつけられているような、息苦しい圧迫。酔いも一気に覚めた。
「な、なんでダリに……マルゴールにいらっしゃったのでは……」
国家憲兵隊は、機動憲兵隊と県憲兵隊のふたつに分かれており、県憲兵隊は人口1万人以下の各県・各郡を管轄し、県知事の下で警察業務にあたる。
それに対し、機動憲兵隊は実戦部隊。テロ対策や暴動の鎮圧、要人警護、あるいは、災害による救助活動などの際に、防衛大臣の指示で動く。
海外県と海外領土を除いた、ギルシア本土は、18の地域圏に区分され、その下に72の県があり、ジェボーダンは、最北方地域を管轄する北支部機動憲兵隊の大佐である。
しかし、普通の軍上級仕官は、首都にいるはずだ。
……なのに、なんで県憲兵隊のボロい小支部にいらっしゃるんですか……!?
そう聞きたいが、怖くて聞けない。
生唾を飲み込む憲兵の後ろから、陽気な声が答えた。
「ハッハー!国内巡視だっつぅの。お前らみたいなのが、サボらないよーにな!」
「ス、スコール准尉!?」
本来、仕官は貴族出身者のみに与えられる階級。准仕官とは、下士官兵から仕官クラスまでのしあがった平民出身者のための階級である。
つまり、正真正銘の実力者にしか与えられない名であり、しかも准尉というのだから、相当するのは尉官――少尉である。
一見お調子者に見えるが、鮮やかな赤髪から覗くアーモンド型の瞳は、油断なく光っていた。
「ちゃんと仕事しろよーぅ」
完全無視のジェボーダン、ご機嫌なスコールの後を、一人の女と二人の男が続く。
「初めて見たよ、オレ」
ちびるかと思った……無精髭が呆然と言い、くわえ煙草の憲兵も、ガクガクと頷く。
彼の口からは、とうに煙草が落ちている。
「ジェボーダン大佐に、北方機動隊のブレーメン……戦争でも始まんのか……?」
「やー、道を空けてもらえるってのは、気持ちいいなぁ」
スコールは、憲兵たちのビビリ具合に満足している。
「フェンリルも、肩の力抜けよぉ」
スコールの言葉に、隣の男が、かすかに頷く。
すらりとした長身、黒い長髪に、白い肌の謎めいた美青年だが、額がやけに赤い。おそらく、低血圧でふらついていた今朝、戸口にぶつけたのだろう。わりと、いつものことである。
口笛を吹きつつ、前から来た憲兵に、よ!と片手をあげるスコール。
「行動がいちいち軽薄だ」
紅一点の女性が、スコールの顔を見もせずに注意する。なかなかの美人だが、引き絞った弓のような緊張感や厳しさが、全身から漂っていた。
「大佐がぶん殴っちゃった分、オレが愛想よくしようと思っただけだぜ?」
「ふん、憲兵隊員でありながら、本来の職務を怠っていた当然の罰則だ。殴った相手が大佐だっただけ、感謝すべきだ」
「でも、大佐が悪者になっちゃったら、かわいそうだろぉ」
「当たり前だ。大佐は悪くない。例え全世界が大佐の敵だったとしても、私は常に大佐の意向に従う」
「それはオレもおんなじですぅ〜。つーか、オレのほうが、絶対大佐の意向に従うし」
「言ってろ、能無しが。私は、大佐と同じ墓に入る覚悟だ」
「オレは、大佐と同じ墓で、寝食まで共に出来る構えだぜ?」
「片腹痛いわ。私はな、大佐のためなら毎朝おいしい味噌汁を作れるぞ」
「オレは、味噌汁に、なめこ汁に、お吸い物もつける」
「なんで汁物ばかりなんだ。大佐のおなかがタプタプになるだろう、カスが。それに、貴様のヘド料理なんぞ食えるか。泥水だか重油だか区別がつかんようなものを作るくせに」
「それは、お前の料理だろ、レト。消し炭みたいな肉の塊を、弁当箱にギッチギチに詰めやがって。文句言わなかったけど、大佐、食べながら、ちょっと泣いてたぞ」
「マジで!?マジですか、大佐!!」
「スコール、レト、そろそろ黙れ」
前を行くジェボーダンに、低くたしなめられ、ふたりはお互いを睨みつつも、口を閉じた。
レトの背後から、別の声がかかる。
「つーかよ、レト、最後に目撃証言があったのは、確かにダリ・ボジョレなのか」
「ああ、間違いない。港には厳戒令を布いている」
「ダリは、どこに行くにも便がいいからな。もう国外に出ちまったんじゃねぇ?」
たてがみのような頭を振り立て、背後の男がぼやく。目つきが悪いせいか、耳元や口元の過剰なピアスのせいか、はたまた喧嘩腰の態度のせいか、近寄りがたい印象がある。
「マーナガルムは、後ろ向きだなぁ。出てたとしても、捕まえるに決まってるだろぉ。な、大佐?」
間を置かず、ジェボーダンが首肯する。
「当たり前だ。必ず探し出す」
ダリにて『人探し』の命を受けている、県憲兵隊の大尉がいるであろう部屋の扉に手をかけた。
「ギルシアの運命を左右する、白雪姫様をな」