第4楽章 ギルシアン憲兵隊の行進曲
年末に手を付けられなかった大掃除は、思ったとおり新年にもつれ込んだ。
クリスマスから『太陽の園』を行ったり来たりだったので、年越しらしいことがなにもできなかったのだ。
みんな年末の大掃除という習慣がなかったのか、ジルなぞ「掃除なんて自分でやるものじゃないしー」と、とんだお坊ちゃんぶり見せた。しかし、住人が住人だけに、ハウスキーパーを呼ぶわけにもいかない。
結局、新年が明け、そろそろ店も開き始めた頃、キオは猟奇殺人鬼たちを追いたて、大掃除に乗り出すことになったのである。
だが、ジルの屋敷の掃除は、思いのほか難航した。
まず、広すぎる。一階の窓拭きだけで、どれだけの日数がいることやら。
そして、汚すぎる。最初、廃墟と思ったほど、屋敷のあちこちは手付かずだ。
挙句、協力者の非協力。みんなが、ちゃんと掃除しないのである。
「……どうして、リジー、セーラー服なんですか」
「えへへ、似合う?」
プリーツの多いスカートの端をつまんで、リジーがくるりと一回転する。さっきまで、2階の廊下を掃いていたはずなのに、もう飽きたらしい。
「いや、なんで、そんな格好を……」
「ジルが、これ着て罵ってほしいって頼んできたから」
あぁ……そうなんですか。
なんだか、なにもかもがイヤになっちゃうキオである。
「ホントは、キオに着て欲しいみたいだよ」
無論、知っている。ジルが親切にも、クリスマスプレゼントとして置いておいてくれたからだ。
その日のうちに、処分した。
「リジー、オプションはやっぱり学生鞄か?」
くだんのジルが、衣装を抱え現れた。ムダに爽やかなのは、罵ってもらった後だからだろうか。聞きはしないキオである。
「いや、ここはあえて、口にくわえた食パンだろう」
「なるほど」
「なるほど、じゃないですよ!新しい物語を作んないでください!」
「王道に王道を重ね、されど全く新しいタイプの恋愛バトルロワイヤル。元気いっぱいで、ちょっぴりドジな平凡少女が、恋し、成長し、大量殺戮を繰り広げていくんだ」
「それ、どんなシナリオですか!?恋と成長の後、主人公に一体なにが!?」
「ところで、キオ、謎の転校生やらないか?平凡少女の最初の犠牲者」
「絶対やりません!!」
掃除をさせていたのに、いつのまにかこんなことになっている。キオは、ジルとリジーの悪ふざけペアを叱り飛ばしながら、衣装の陰干しを命じた。
その後ろを、ディーンが駆け抜けていく。
「ねぇ、ペーズリーの部屋に巣があるよ!みんな見にきてよ!」
「アンタは、自分の部屋をなんとかなさい。わけわかんないガラクタばっかりじゃない」
「あれは、オイラの宝物だよ!」
ちなみに、彼の言う宝物の多くは、実用性皆無である。
「アイリーンこそ、役に立ってるのか立ってないのか分かんない、ヒモみたいなパンツ捨てればいいのに」
「あ、やっぱりアンタだったのね!アタシの下着で古新聞まとめといたのは!」
「だって、ちょーどいい長さだったから」
ふたりのやり取りは、物の投げあいに発展しつつある。止める気力はない。
包帯に覆われた手が、キオの肩を優しく叩く。
「ああ、グラン……大丈夫だよ。ただ、ちょっと疲れ」
振り向いた先に、全身白い紙まみれの物体が立っていた。その下から、「にゃーん」とくぐもった鳴き声が聞こえる。
ペーズリー……トイレットペーパーで遊ぶのは止めなさいって、あれほど……。
買ったばかりのトイレットペーパーは、哀れな姿になっている。その後ろでグランが、伸びきったペーパーを巻き直していた。
キオは、その場に倒れたい衝動をなんとか押しとどめる。
「はいはいはいはい!おしゃべりもケンカも終わり!せめて今夜眠れるように、ベッドだけでも確保しましょうね、みなさん!」
トイレットペーパーの巻き直しに手を貸しながら、ふとそれを見下ろす。
昨日のことを思い出しているのだ。
路地裏に駆け込んでいく後姿。あの薄い背中。
数年前、北方の慈善活動に向かったときは、もっとひどい生活状態の人を見たことがある。
そのときは、持っているものを一切合財与えていたが、同じ場にいた修道士から苦い顔をされた。
なにかやったら、またそれを目当てにされる。その場限りの施しなんて、かえって堕落を誘うだけだ、と。
「……なんにもあげないより、ずっといいと思うんだけどな」
そう考えてしまうのは、僕が、まだ浅はかなんだろうか。そもそも、持っている物を持ってない人にあげるだけで「ほどこし」なんて言葉を使うのもイヤだ。「だらく」という言葉も嫌いだ。同じ人間がどこへ落ちるって言うんだろう。
そうだ、一体どこへ落ちていくっていうんだろう。
どこへ。
「……ねぇ、病院連れて行かなくていいかしら」
「今日一日様子を見て、熱が下がらなければ連れて行けばいいだろ。一番近い病院どこだったかな」
大掃除の最中、キオが、ぶっ倒れた。
慌てて部屋に担ぎいれたところ、頬も額も熱く、どうやら風邪をもらってきたようだ。
「年末忙しかったし、昨日も薄着で出歩いてたんだから、こうなって当然よ。全く世話が焼けるわ」
言いつつも、食欲のないキオのために、喉に通りやすいものを選ぶ手つきには余念がない。
少々心配だが、キオの面倒をディーンたちに任せ、アイリーンとジルは再びダリに来ていた。ルベルコンティにある店は、一般的な価格でないうえ、あって当然の食材が置いてなかったりする。手間はかかるが、ダリに来たほうが安く、いい食材を手に入れられるのだ。
「そもそも、あの修道服がダメなのよ。あれってちっとも防寒性がないもの」
アイリーンのブツブツ言うのを聞き流し、傍らでステッキをもてあそんでいたジルが、ふいに視線を滑らせる。
硬いブーツで石畳を踏む音が、穏やかな昼下がりを破ったからだ。
カフェで文学論議に興じていた若者も、買い物を楽しんでいた婦人たちも、ベンチでくつろぐ二人の老人も、ふと口をつぐんだ。
みなの視線の先にいるのは、二列縦隊になった白い制服の男たちだった。
それぞれ腰に細身の警棒を下げており、彼らの胸元を飾る、狼の銀細工は、日差しにギラギラと輝いていた。
明るい舞台に似合わぬ突然の闖入者に、居心地の悪い沈黙が流れる。
しかし、招かれざる役者たちは、そんな雰囲気など察せないかのように、広場を横断している。
街の住人たちは、それぞれ遠巻きに、その一団を目で追い、姿が見えなくなった途端、ヒソヒソと囁きあい始めた。その様子から、彼らが歓迎されていないことが読み取れる。
ジルの背中越しにうかがっていたアイリーンも、なんとなく緊張していた全身を緩めた。
「なにさっきの……ずいぶん物々しいわね」
「あぁ、アイリーンは知らなかったのか。あれはギルシア国家憲兵隊のクロムニーチェ・ブランカだ」
陸軍、海軍、空軍に次ぐ第4の軍隊。それこそが、数年前までギルシアン騎兵隊と呼ばれていた、ギルシアン憲兵隊である。
「実際は、爵位すらない傭兵上がりの集まりなんだけどな……なかには、過去が身綺麗でない人間もいるらしいが……」
しかし、なぜこんな街中に。
憲兵隊は、人口が1万人以下の地方で、警察業務に当たるのが通常だ。都市部の地域は、国家警察が仕切っているはずである。だからこそ、ダリで憲兵隊を見たことはなかった。
「なにか面倒ごとでも起こったのか……?」
行使権は、警察よりもずっと強い憲兵隊だ。力ずくで問題を解決するには、もってこいの集団――つまり憲兵隊が都市部に駆り出されるのは、それくらい厄介な事件でも起こったときに限られている。
「お祭り騒ぎに浮かれて暴動でもあったのかしら?でも、そんな事件が起こってたら、新聞に載るわよね」
あるいは、載せられないほどのことがあったのか。
ジルは、しばらく憲兵隊の消えた先を見ていたが、ややあって小さく息をついた。
「とりあえず、グランたちを連れてこなくて正解だったな」
「それは言えてるわ」
改めて見た平和な風景は、どこか白々しかった。