第3楽章 長靴を履いた猫の夜想曲2番
玩具の兵隊 大行進
牛の頭 人間の身体 手足は犬
玩具の兵隊 大行進
人の頭 豚の胴体 尻尾は蛇
偽物の旗が翻り
紛い物のラッパが鳴り響き
作り物の群集が別れを惜しむ
白い仮面の大観衆
裁かれるのは だれ?
その夜、ペーズリーはいつものように絵を描いていた。
画用紙にあるのは、緻密で、デッサンに狂いひとつない静物画。
花瓶に入った花や、皿に載ったパンや、籠の中の毛糸玉が、繰り返し描かれている。
「この花、好きなんですね」
画用紙一面に広がる花を指し、キオが言った。
「?」
「いっつも、描き込んであるから、好きなのかと思って」
切り込みの入ったラッパのような形の特徴的な花である。白黒のため、色は分からない。
「ハナ ハエテル イエ マワリ」
「家の周りに生えてるの?見たことないけどなぁ」
「ココ チガウ イエ ベツ イエ」
「別の家?その家はどこにあるの?」
ペーズリーは、足の指をもぞもぞ動かした。
「……モウ ナイ」
「そう……その家のこと、好きだった?」
「きらい」
淡々とした声の中に、一瞬なにかの感情が差し込んだけれど、それがどういうものなのかキオには分からない。ペーズリーは、再び鉛筆を走らせ始めた。
「あ、ペーズリーにお願いがあるんです」
キオが突然、手を叩く。
「オネガイ」
「『太陽の園』で、クリスマス会があるって話したでしょう?それでね、ペーズリーに絵を描いて欲しいんですよ。壁に飾るための絵をね」
最初は子供たちに描いてもらおうと思っていたが、検査中の子も多くいるし、内緒にして驚かせた方が面白い。なにより、ペーズリーも準備に参加させたかった。
「みんなが笑ってる、楽しそうな絵がいいなぁ」
ペーズリーは、軽く3度頷いた。
「イーヨ」
「じゃあ、お願いしますね。僕も試しにサンタさん描いてみたんですけど」
キオが、ノートを開く。そこには、赤い服に帽子のサンタらしき男の絵がある。
「コワイ」
「そうなんですよ……なんか、マフィアみたいなサンタさんになっちゃうんですよ……」
「コレ トナカイ?」
「一応そうなんですけど、トナカイに見えないですよね」
「テーブル ミタイ」
「とりあえず、足を4本つけたら、テーブルになっちゃいました」
えへへ、と照れ笑いを浮かべるキオ。
「ま、ペーズリーにお任せしますから」
確かに、キオが描くよりはマシな出来上がりになりそうだ。
ペーズリーは、キオの画力に沈黙したまま、また3度頷いた。それから、思いついたように、つぶやく。
「イロ」
「はい?」
「アカルイ イロ」
「あぁ、ペーズリーはモノクロのほうがいいですか?クレヨンとか色鉛筆とかもあるんで、どんどん使ってくださいね」
キオの絵は、恐ろしく下手だけれど、綺麗な色をしている。
キオの目に世界は、どう映っているんだろう。
ペーズリーは、自分の白黒の静物画と、不恰好なサンタを見比べた。
「それと、もうひとつお願いが、あるんですよ」
キオが、にっこり笑顔になる。ペーズリーは、少し嫌な予感がした。
「今日こそ、お風呂に入りませんか?」
「ヤダ」
ペーズリーが、さささっと部屋の隅に移動する。
「いくら冬だからって、もう2週間は入ってないでしょう?」
「ヤダ」
「あひるちゃんも、一緒に浮かべますから」
「ヤダ」
なかなか手強い。ディーンだったら、あひるさえ浮かべれば入るのに。
「なんでそんなに嫌いなんですか?お風呂あったかくて、気持ちよくない?」
「ヌレル ヤダ」
「でも、行水は好きでしょ?雨のときは、泥だらけになって帰ってくるじゃないですか」
「アツイ ミズ ヤダ」
ペーズリーは、柱にすがりついて動かなくなった。
歯磨きは毎回してくれるようになったが、風呂だけは素直に入ったことがない。
「じゃあ、冷たい水風呂でいいですから、入りましょう?背中ゴシゴシしてあげますから」
背中をゴシゴシ洗われるのは、わりと好きなペーズリーである。しぶしぶながら承諾すると、キオは控えめに続けた。
「それも、洗濯していいですか?」
それ、というのはペーズリーの仮面のことである。本物の猫の耳を縫いつけた皮の仮面だ。それが人間の皮でないことを祈りながら、キオはちょくちょく洗濯する。
キオは、洗濯中の仮面代わりになるよう、目の部分と口の部分が出る毛糸の帽子を作った。はっきりいって、その帽子を付けているペーズリーは、銀行強盗にしか見えないのだが、ペーズリー自身は暖かいから気に入っているようだ。
だが、ペーズリーの素顔を見たことはない。
顔は言いつけどおり毎日洗っているようだが、外している状態で顔を見たことはなかった。
「気が変わらないうちに、準備してきますね」
キオは、バスルームへと消えていった。
背中だけだと思っていたら、頭も洗われ、爪も切られてしまったペーズリーは、疲れきって部屋に戻ってきた。いつの間にか、長靴が窓際に干されている。
キオの仕事は、速い。
ペーズリーは窓の外にぶら下げられた長靴を、哀れっぽく見つめたあと、まだ湿り気の残る頭を、ぶるぶるとふるい、ベッドの上のスケッチブックを手に取った。
傍らには、キオが置いていったと思われる、色鉛筆やクレヨンのセット。
ふたを開くと、よく尖った色鉛筆が現れた。
「シロ」
順番に指を滑らせていく。
「キイロ」
どこを何色に塗ればいいのか分からないため、今まで一度も使ったことがなかった色鉛筆。
キオのサンタみたいに、イロを付けてみようか。
キオの言っていた「みんなが笑ってる、楽しそうな絵」には何色が合うんだろう。
さて、人を描こうとして、ペーズリーの手が止まる。
笑ってて、楽しそう?
ペーズリーは、人間なんて書いたことがない。
「タノシイ」
だって、死体は笑わない。
「なにしてるんですか?」
見上げると、キオとアイリーンが、ペーズリーのシートを覗き込んでいた。
「ねぇ、今おままごとしてるの!町が出来てるの!ふたりも入ってよ!」
「ですって、アイリーンさん」
「なんで、アタシにふるのよ」
と言いつつも、離れてはいかないアイリーンに、少女のひとりが声をかける。
「じゃあ、アイリーンさんは、ケーキ屋のおねえちゃんね」
おねえちゃんという役回りが満更でもないのか、アイリーンは苦笑しながら頷いた。
「グランは、ペットのウサギちゃん」
ウサギの着ぐるみは、やはりウサギの役を与えられた。
「リジーは、あたしたちとお花屋さんやろうね」
首やら頭やらに、花の輪をつけられたリジーは、子供の扱いに慣れていないのか、結構言われるがままである。
「じゃ、おじちゃんは、マリアとメグの旦那さん」
金魚騒動を乗り越えたジルは、両手に花だと喜ぶべきか、重婚はマズイだろうと注意するべきか、本気で悩んでいる。
「ディーンは、サーカス団にしようよ!」
ブランコをほぼ垂直にこいで、男の子たちの喝采を浴びていたディーンは、ディーンサーカス団の団長となった。
「で、お父さんは、キオね」
えぇー!と猟奇殺人鬼一同から、不満の声が上がる。
「なんか、借金の連帯保証人になって、苦労しそうなお父さんだよー」
「それに、女にだまされそうだし」
「女にだまされても、また似たような女に引っかかりそうだし」
「確実に詐欺にあいそうだし」
「しかも詐欺にあっても、気付いてなさそうだし」
「羽根布団とか教材とかを高額で買っちゃいそうだし」
「浄水器とか、いりもしないのに10個も買わされたりしそうだし」
ひどい言われようだ。
「そんなことないですよッ!!」
キオは、シートの上にどっかと座り、
「立派な家長を演じてみせましょう!」
と、胸をこぶしで叩いてみせた。
タノシイ カオ。
ペーズリーは、周りを見渡した。
目が細くなり、頬が持ち上がり、唇が外に引っ張られ、歯が見えている。
でも、それだけなら、生きていなくたって作れる顔だ。目のシワを縫い上げ、頬をピンで留めて、上唇をめくって、歯を見せれば出来る顔だ。
ペーズリーは目を閉じて、思い出す。
冷たい隙間風。
死んだ身体が分解されていく匂い。
湿った石の感触。
周囲の音が柔らかく歪み、収斂し、溶けて解けて――懐かしい墓地の光景が。
あははは。
ふふふ。
ペーズリーは目を開けた。
直前まで思い描いていた地下墓地の光景が、チリのように霧散する。
雲に遮られていた太陽が、まっすぐ地面を照らした瞬間、置き去りにしていたすべてが戻ってきた。
暖かい陽光。
マドレーヌの香り。
ふわふわとした子供たちの髪。
無音をかき消し、影に光を灯し、心を楽しくさせる魔法の音。
それは、人の笑い声。
「違うよー!ウサギはそんな変なふうに鳴かないもん!ふふっ」
「じゃ、なんて鳴くんだよぉ!」
隣で、子供たちが、笑い声をあげている。
マブシイ。
別に光っているわけでもないのに、みんなの顔がまぶしい。
さっきと同じ顔なのに、どうしてこんなにまぶしいんだろう。
死体となにが違うんだろう。
「ねぇ、ペーズリー?ウサギは、ピーピーなんて鳴かないよね?」
自分が、そこに混ざっているのを不思議に思いながら、ペーズリーはこくんと頷いた。
その夜、ペーズリーは大きな絵を描いた。
リボンをかけられたプレゼントをひとつずつ持った、みんなが笑っている絵を。