第3楽章 灰かぶりの夜想曲
「おばさーん」
子供のひとりが、呼びかけた。
「おばさーん、ぼくトイレ」
「一人で行けクソガキ」
隣にいたキオが、ひきつった笑みを浮かべる。
「あ、アイリーンさん、そんな言い方しなくても」
「……はいはい、分かってるわよ」
「おばさん、トイレだってばー」
「排水溝に詰まれクソガキ」
「アイリーンさん……」
子供は嫌いだ。なんでもかんでも自分の思い通りになると思っている。そのくせ思い通りにならないと、癇癪を起こして、大人を苛立たせる。
なんで、こんなクソガキのあふれる場所にいるんだっけ?
アイリーンは、ちょっと顔をしかめ、ため息をついた。
そうそう、隣で小麦粉と格闘しているヤツのせいだったわね。
「アイリーンって、料理上手ですよね」
つい先日、昼食の準備をしているとき、キオが言い出した。アイリーンは、卵黄をかき回しながら「はぁ?」と返した。
これまで、料理をはじめとする家事全般は、キオの担当だった。だが、ちょっとした大家族はいる人数の雑用を、彼ひとりでこなすのは大変である。そこで、役割分担というやつが決められた。
掃除は、週一各自で。
洗濯は、ディーン以外(あの鳥男は、洗濯物を紫色に仕上げるというウスラバカっぷりを以前披露してくれたから)ということで、グランとペーズリーに託された。
買出しに関しては、面の割れていないジルとリジーに任せたが、街に出るなり、ジルはしょっちゅう息抜きという名の女あさりでいなくなる。(リジーは、女に寄り添うジルに「おとうさーん」と呼びかける嫌がらせを実施したらしい)
ディーンは、面倒くさいだとか嫌だとか文句をつけていたが、キオに「寝る前に、戸締りチェックを行うスペシャル隊長に任命します!」と言われ、まんまとノせられていた。他の連中に包丁なんて持たせられないから、必然的に家事のサポートをアイリーンが手伝うことになったのだ。
「なによ、急に」
スフレに使うレモンを取り出す手つきまで、なんだかサマになっている。
「だって、そうじゃないですか。毎回美味しいし、いろんな料理知ってるし」
ふふん、とアイリーンは鼻で笑う。
「まぁね、同じレパートリーじゃ、被害者が可哀相だもの」
「……………な、なるほど」
長い間のあと、キオがつぶやく。
「あの、前から聞こうと思ってたんですけど、人間て、おいしいですか……?」
「二の腕と尻が、特上部位」
具体性を帯びてきた話題に、キオの表情が引きつる。
「……すいません、僕から仕掛けた話ですけど、話題変えていいですか?」
「いいわよ」
気持ち悪くなるくらいだったら、言わなきゃいいのに。
「料理が得意なんだったら、詰め物入りの七面鳥とかも焼けますか?」
「まぁね」
「じゃあ、キャセロールとかパイとかは?」
「できるけど。ねぇ、なんなの、そのメニュー」
アイリーンの問いに、キオの表情がパッと明るくなる。
「実は『太陽の園』でクリスマス会があるんですよ。それで、なにか差し入れを持って行きたいなーって」
クリスマス。
正式名称は「クロス・ティアティラ・ル・マスト」。
原初の聖典にのみ使われている古代ユユリア語で、「赦される日」と訳される。
クリスマスは、カラード教の偉大なる6柱神の父、『白の大神』が地上に降臨した最初の日、つまりカラード教が人間世界に初めて来た日だ、というのが多くの説である。
13月1日から1月3日まで、年越しも巻き込んだお祭り月間となり、あちこちの街は互いに競って飾り立て、学校は休みとなり、病院も救急以外は閉められる。
国によっては、数日間しか祝わないところもあるそうだが、カラード教が初めて国教として認められた国、ここギルシアンブリジットではガッツリ祝う。
「あぁ、そういえば、あの施設はアンタの教会関係なんだっけ」
キオは、そーなんです!と顔を綻ばせた。
「それに、クリスマス会前の一週間にバザーがあるでしょう?あれに焼き菓子を出品したいんですけど、なかなかうまく作れないんですよね。アイリーンも手伝ってくれませんか?」
キオの目が、笑っている。
こいつはハムスターに似ている、とアイリーンは思った。
面白くないときでも、なんとなく目が笑っているからだ。
「なんで、見ず知らずの子供に、料理なんか作らなきゃなんないの」
「……やっぱ、ダメですか?」
おどおどした動きも、ネズミっぽい。
アイリーンは、豊かな灰髪を手で払った。
「どーゆーお菓子を作ろうとしたの?初心者は、パウンドケーキとかマドレーヌとか、とりあえずバターぶちこめば出来る料理にしなさいよ、教えたげるから」
ネズミが、嬉しそうに尻尾をたてた。
「はい!」
あぁ、ほら、また目が笑ってる。
さて、安請け合いはしたものの、とアイリーンは料理雑誌を眺めていた。
パーティー料理は、面倒なものが多い。ジルの屋敷のキッチンも、普段使う調理器具以外はほったらかしたままだから、それ用のでかい鍋や皿を探し出さなくてはならない。
「めんどくさー……」
思わずこぼすと、ソファの後ろから、なにかが飛び出してきた。
「なに見てるの!」
あぁ、うるさいのが来た。
そうは思ったが、アイリーンは口には出さなかった。ディーンとリジーなら、子供の食べたいものが分かるだろうと、考えたからだ。
「料理の本、見てんの。ねぇ、アンタたちだったら、どれが食べたい?」
アイリーンの言葉に、二人ともゆっくり顔色を失くす。
「……材料は、人肉……?」
「ううん、普通の料理」
ディーンとリジーは、ほっと一息ついた。
「オイラこれー!このケーキみたいなやつ」
「わたしは、このカップに入ったやつ」
ディーンが、再びページを指す。
「あと、このキャベツのやつのキャベツなしの料理も」
「このリンゴ使ったの作って!」
「じゃあ、オイラこっちのページにあるやつ全部!」
「じゃあ、わたしは、こっちのページ全部と、その後ろのページのと……!」
アイリーンを挟んで、料理の写真を引っ張りはじめた二人。
「あぁもう!しょーもないことで喧嘩しないのッ!」
コントよろしく、問答無用ではったおされる。
ソファから転げ落ちたディーンは、ばね仕掛けの人形のように跳ね起きると、ふたたび足元ににじりよってきた。
「黒のヒラヒラパンツ」
即座に細いヒールが、ディーンの頭を蹴り倒す。ものすごくイタイ……と、転がったままつぶやくディーン。
「それにしても、なんでそんな料理作るの?」
大掛かりなパーティー料理ばかりの雑誌を、リジーは興味深げに眺め回している。ページのあちこちに『クリスマス特集』のタイトルが華々しく踊っていた。
「なんか、パーティーやるんだってさ。それでアタシも……」
しまった。ちらりと、二人を見ると、期待のこもった瞳をらんらんと輝かせている。ディーンとリジーは、お祭り騒ぎに目がないのだ。こうなるから黙っておこうと思っていたのに、うっかりしていた。
「パーティー!?どこで!?」
「え、ここでやるの!?クリスマスの!?」
「どうしてパーティー!?ね、いつやるの!?」
「ねぇってばぁ!」
繰り出されるマシンガントークに、アイリーンの眉間のシワが深くなる。
「あぁもう!あっち行ってなさい、アンタたちはっ!」
丸められた雑誌が、再び炸裂。
やっぱり、自分で考えたほうがいいわ。
アイリーンは、すんなりと伸びた足を組みかえ、雑誌を二人から遠ざけた。
ソファの後ろに座りこんだ二人は、こそこそと突付き合う。
「……ほら、怒られちゃった」
「オイラのせいじゃないよ。リジーがいっぱい言うから」
「最初に言ったの、ディーンじゃん」
「リジーだって、うるさかったもん」
「何それ、わたしはさぁ――」
「オイラだって、別に――」
「うるさいッ!!」
アイリーンの渾身の一撃が、続けざまにクリーンヒットした。
あぁ、どいつもこいつも!アタシは料理なんて作りたくないのよ!作りたくないけど、キオが可哀相なネズミみたいな目で見るから仕方なく――。
「楽しそうですね」
気付かないうちに、鼻歌を歌っていたらしい。なにか揚げ足を取られたような気がして、アイリーンはキオに聞こえないよう舌打ちした。
「これくらいでいいですか?」
キオは、混ぜたタネを均等に型に移していく。アイリーンは、その間にオーブンの設定温度を確認した。生地はねかせた方が美味しいが、作り方を教えるだけなので、さっさとオーブンに押し込んだ。
「あとは、待つだけ。簡単でしょ」
「僕、普通の料理なら、なんとか分かるんですけど……お菓子作るのやったことなくて」
エプロンをはずしながら、キオが椅子に腰掛ける。
「ケーキも買ってこずに作りましょうか!特大のやつ!」
「そーゆーの教会からは支給されないの?」
キオは、多分、と言葉を濁した。
アンタが、そんなに悲しそうな顔することないじゃない。そう言いそうになって、アイリーンは誤魔化すようにオーブンを覗き込んだ。
「いいにおーい」
「なにしてるの?」
舌足らずな声に顔を上げると、2・3人の子供が調理室の戸口にいるのが見えた。
「今ね、お菓子作ってるの。もう少ししたら、出来るからね」
キオの言葉に、子供は、きゃらきゃらとはしゃぎながら出て行く。きっと、仲間を呼ぶつもりだ。苦虫を噛み潰したような顔で、アイリーンは布巾をたたんだ。
「アンタって、子供好きなのね」
「アイリーンは、子供嫌いですか?」
「好きではないわ、確実に」
どちらかというと、嫌いだ。
「手間もお金もかかるし、うるさいし、それに子供って、なんか臭いじゃない」
「……薄いミルクみたいな、いい匂いしません?」
「牛乳ふいたあとの雑巾て、すごく嫌な臭いじゃない」
アイリーンにかかれば、子供の香りも、牛乳拭いた雑巾の臭いもいっしょくたにされる。
キオは、驚いたように黙ったあと、破顔した。
「それ、新しい発想ですね」
「おいしーい」
「こんなおいしいの食べたことない」
「やるじゃん、おばさん」
誰だ、今おばさんって言ったの。
アイリーンは、きつい視線を走らせたが、すぐに表情を和らげた。絶賛されて、悪い気はしない。あまりお菓子を食べる機会がないのか、子供たちは焼きあがったマドレーヌを大事そうに、少しずつ齧っている。
紙に包んだそれを、少女たちが外に持っていった。ガラス戸ごしに眺めていると、大きなウサギの着ぐるみが、それをおそるおそる受け取っていた。シートを敷いた日向にいるペーズリーも、もらっている。別の少女に手を引かれた金髪の男が現れ、シートに座らせられたのが見えた。
子供に囲まれた彼らは、アイリーンの目からみても――。
おっと、あぶない。
アイリーンは、頭を振った。
幸せそうに見えた、だなんて考えを、意識から吹き飛ばしたかったのだ。