第3楽章 笛吹き男の夜想曲
オイラは透明人間。
誰にも姿が見えない。
夕暮れのダリ街は、とても綺麗だ。ルベルコンティから一番近い街ダリ・ボジョレ。お洒落なカフェが軒を連ねる古い街は、今ちょうど明かりが灯り始めたばかりだった。帰り支度をした人々が、一日の疲れを少しずつ下ろしながら、思い思いの方向に歩いていく。
そんなダリ街の小広場に、奇妙な道化師がいた。
道化師は、なにか芸を見せるわけでもなく、噴水周りのベンチにぼんやりと腰掛けている。
ツバ広な羽飾りのついた帽子。やはり羽飾りに覆われた派手な衣装。
丸い赤鼻をつけているが、これは単なる変装。
何人かの通行人が、道化師の足元にコインを放り投げていくが、ほとんどは見向きもしない。
それを見つめながら、ディーン・クレンペラーは、帽子に隠されて見えない金色の目を、うっそりと細めた。
ベンチの上に立って、思いきり金切り声をあげてやろうか。
この穏やかな夕暮れの風景を壊すのには、多分それで十分だ。
地面を見て歩いている連中は、驚いて顔を上げるだろう。角で談笑している女たちは、気味悪がってそそくさ離れるだろう。
想像したら楽しくなった。
住み慣れた街に、異質なキチガイがいるぞ!ほら、ここに!
しかし、ディーンは想像するだけに留めておいた。
だって、今のオイラは透明人間なんだもんね。
「あ、こんなところにいた!」
ふいに届いた聞き慣れた声に、ぎくりと肩が跳ね上がる。ツバ広帽子の下で、ディーンの目がパチパチ瞬く。
「キオ」
「キオじゃないでしょ!明日は施設訪問でまる一日出かけるから、今日のうちに溜まった宿題を片付ける予定だったでしょう?ビデオ見たあとで、やる約束だったじゃないですか」
宿題。
毎日指定される聖典の節を読んで、感想を書くだけの宿題だ。一節一節は短いが、彼はサボり気味なせいで、もう一週間分はたまっている。
ディーンは、唇を尖らせてベンチに沈み込んだ。
「だってぇ」
「だってじゃありませんよ。ほら、もう寒いから帰りましょう」
優しい調子で声をかけても、ディーンは動かない。視線の先は、腰掛けているベンチのちょうどまん前にあるケーキ屋。ケーキ屋からは、母子が手をつないで出てきたところだった。
視線を追ったキオは、帽子の下を覗き込む。
「ケーキ、欲しいんですか?」
「今日のビデオに出てた」
その日、キオが借りてきたアニメでは、悪者はやっつけられなかった。正義の味方と、星の国から来たお姫様と一緒に、ケーキを食べていた。星のお姫様をさらったくせに、ちゃっかりパーティーでケーキを食べるなんてズルイなぁ。
「ケーキ、ダメ?」
「しょうがないなぁ……ひとつだけですよ?」
なんだか、今日のキオは優しい。夕飯の前に、買い食いはしちゃだめなのに。
歯を見せて、ちょっと困ったように笑うキオは、いつもと同じだけど違うようにも見える。
ケーキ屋の店員たちは、現れた客を見てそろって目を丸くした。
だって修道士と道化師の並んだ図は、きっとひどく不釣合い。
「僕たちの分だけじゃ、すねちゃうよね。みんなのケーキ、どれにしようかな」
キオは、時間をかけてケーキを選んでいる。家族連れが入ってきて、出て行ってもまだ選んでいる。ようやく6個のケーキが決まった頃には、もう閉店時間間際だった。
ジルには、とろりとココアシロップがかかったティラミス。
(ジルって、甘い物食べられるんだっけ?ま、いいや)
リジーには、ブルーベリーがたっぷり乗ったまぁるいタルト。
(これ、あとで一口食べさせてもらお)
アイリーンには、てらてら糖蜜が光るチーズケーキ。
(だいえっと、とかしてないよね、きっと)
ペーズリーには、アーモンドクリームの香りが甘いアップルパイ。
(ペーズリーは絶対リンゴを全部はがしてから、食べるだろうな)
グランには、果物がどっさりトッピングされた色鮮やかなフルーツケーキ。
(さくらんぼは、オイラがいただきます)
オイラは、定番のイチゴと生クリームのショートケーキ。
いろいろな種類のケーキ。
ディーンは、箱を覗き込んでつぶやいた。
「ケーキ、いっぱいだ」
狭い箱のなかで、肩を寄せ合って並んでいる小さなケーキたち。
「よし!僕はコレにしよ」
黄色い栗がのったモンブランが、仲間入り。
ディーンは、再び箱を覗き込む。
今までは一人分だった。
どんなにたくさんのケーキを買ったって、食べるのは自分だけ。
だから箱のなかには、いくつものイチゴのケーキだけだった。
でも今は違う。
「ケーキ、仲良しだね」
ディーンは、顔をあげた。キオが笑っている。
どうしてキオには、自分の考えていることが分かるんだろう!
もうすっかり日の落ちたダリ街を、丸い街灯が静かに照らす。
「なんかディーン、静かだね。どうかした?」
キオは、ディーンより背が低い。
でも、帽子の下の顔は、キオでさえ見たことがなかった。
「キオってさぁ、ひょっとして魔法使い?」
「どうして?」
「だって、オイラの考えていること、すぐ分かるじゃん!カレーが食べたいなと思ったら作ってくれるしー、遊びに行きたいなと思ったら聖典の勉強減らしてくれるしー」
なるほど、とキオは笑った。
「それは、魔法じゃないよ」
「人の心を読んでるんじゃないの?」
「読んでるっていうか……相手が僕に、こうしてもらいたいな、と思ってることをやってあげてるだけ」
「それ、オイラもできるかな」
「できるよ。あのね、自分がやって欲しいことを、相手にしてあげればいいの。例えば、ディーンが荷物をたくさん持ってるとき、誰かに持って欲しいと思わない?」
ディーンは、考えてみた。たくさんの荷物を持ってる自分の姿。
「思う!重いもん!」
「そうだよね。ディーンが誰かに手伝って欲しいと思うように、重い荷物を持った人は、みんなそう思ってるかもしれないでしょ?だから、重そうな荷物持った人は手伝ってあげるの」
「重いかどうか分かんないときは?」
「聞けばいいよ。その荷物重くないですか?よかったらお手伝いしましょうか?って」
「手伝ったら、なんかくれるかな」
「くれるかもしれないし、くれないかもしれないし……でも、喜んでもらえるよ?」
「それだけ?なんかいい物くれればいいのに」
「喜ばれるだけでも、嬉しくない?」
「うぅん……よく分かんないや」
キオが、フランチャコルタでのお礼を言ったとき、ディーンはきょとんとしていた。
何を言われているか、よく分かっていなかったのだろうか。
「ディーンのこと、少し聞いてもいい?」
「いいよ」
「子供のときのこと覚えてる?」
「あんまり。なんで?」
ひとつの小石を器用に蹴り飛ばしながら、ディーンは帽子の下で目を瞬かせた。
「ディーンが、どういう子供だったのかなと思って」
「どういう?うーん、オイラ、自分は透明人間なんじゃないかと思ってたよ」
「透明人間?どうして?」
「だれもオイラを見ないから」
物心がついたときから、自分は透明人間なんじゃないかと思ってきた。
誰も自分を見ないから。
だから、自分の姿が見えないんだろうかと思ったのだ。
「それは……ずっとそうだったの?」
「ずっとじゃないよ。時々は見えてたみたい。急に見えたらビックリするみたいで、よく棒で叩かれたよ。なんか食べようと思ったら絶対見えちゃうんだよ。不思議だよね」
「……だれに叩かれたの?」
「いろんな人だよ。お店の人とか、道歩いてる人とか」
お父さんと、お母さんは?
キオは、そう聞けなかった。
「ねぇ、透明人間は、ゴミ捨て場で生まれるって知ってる?」
「え?」
「オイラがそうだったから、絶対そうだよ。きっとゴミのカガクヘンカだね」
注目が欲しい。
派手な服と羽飾りの下には、ひとりぽっちの透明人間。
「見てキオ!流れ星だ!」
白い尻尾をつけた星が、すっと線を描く。ディーンは、流れ星を指差すやいなや、変な形で手を組んだ。お願い事をしようとしているらしい。
「今日はシチューがいいです今日はシチューが」
キオが、苦笑する。
「夕飯、シチューがいいの?」
「キオすごい!なんで分かったの?やっぱり魔法使い?」
「ディーン、おもいっきり自分で言ってたよ」
なーんだ聞こえてたか、とディーンは舌を出した。
「材料あるから、シチューにしよっか」
「ホント?ねぇ、ニンジンは入れないでね」
「入れます」
えー!とディーンが大袈裟にのけぞる。
「星型に切ってあげるから。ニンジン流れ星だよ」
「なら食べる」
ニンジンは嫌いだけど、我慢しよう。せっかくキオが流れ星にしてくれるんだし。
「じゃあ、早く帰ろう!走って帰ろう!」
帰ろうだって。
自分で言ってることなのに、とても不思議な感じがする。
昔は帰るところどころか、居場所もなかったのに。
後ろを振り返ると、ケーキが崩れないように変なポーズで追いかけてくるキオが見えた。
夜の街を賑やかに走る道化師と、後に続く修道士。
ディーンは、こっそり笑った。
もうオイラ、透明人間じゃないね。