第3楽章 青髭公の夜想曲2番
「ジルに会いたがってる子がいましたよ。よかったですね、友達ができて」
キオにそう言われたのは、多分金曜日だ。先々週の。
あの施設に行って、次の日に言われたから。
「会いたいって、だれが?」
「『太陽の園』の女の子ですよ。昨日行った施設の」
「今日も行ったのか?」
「子供が増えちゃったから、シーツ縫うお手伝いしてるんですよ。今度、バザーもやるから準備が必要だし、あと聖夜祭の計画立てたり、他にもいろいろ」
「それは、忙しいことで」
「バザーでは、焼き菓子を作って売ろうってことになったんですよ。でも、結構難しくって……手芸作品よりは簡単だと思ってたんですけどね。去年は、手作りのポストカードだったんですよ。でも、子供たちは売り子より、バザーのお店を見てばっかり」
「だろうな」
あんまりキオが嬉しそうに言うものだから、ついつられて笑ってしまう。
いつだったかアイリーンも言っていたが、キオは本当にいつも楽しそうだ。
どうかしてる。
思わず自嘲する。
なにを思い出してるんだ、自分は。
避け続けていたくせに、今更。
キオは、何度も私を、あの施設に連れ出そうとしたろう。
誘いを断り続けていたのは、自分だろう。
キオが目を腫らし、帰ってきたのは、つい数時間前のことだ。
掠れた声で、マリアが死んだ、とだけ聞かされた。
「少し前から調子が悪かったから……気付いたときには手遅れだったって」
オウゼ感染症は、免疫力が極端に低下する。普通の風邪でも命に関わるというが、それにしてもこんなに早く死んでしまうものなのか。
彼女が、まだ小さな子供だったからか、それとも、十分な治療ができなかったからか。それは分からない。分かっているのは、死んだということだけ。
「死んだのか」
もう、死んでしまった。
あっけない。
こんなにもあっけない。
「……じゃあ、もうあそこにはいないんだな」
当たり前だ。
死んだのだからいるわけない。
もういないんだから。
世界中探したって、もうどこにもいないんだから。
ふと、キオは、持っていたカバンを探った。
「これ、ジルにって、預かってきました」
手渡されたのは、折りたたまれた紙。
そこには、桃色のドレスを着た少女と金髪の男が描かれていた。
子供独特の描きようでか、花も太陽も鳥も笑っている。
色の足りない虹はこすれているが、空はどこまでも青い。
そして、少女も男も幸せそうだった。
……私は、もっと足が長いぞ。
思いながら、紙をまともに見られない。なぜなのかは分からない。
あの安っぽい指輪は、どうなったろう。
「……もらってやればよかったな」
「え?」
「なんでもない。ちょっと気分が悪い」
以前なら、もっとうまい言い訳が思いついたろうに。
そう言って、逃げるように部屋に戻ってしまった。
『猟奇殺人鬼は、過去を振り返らない』
これは誰の台詞だったか。
「……猟奇殺人鬼は過去を振り返らない」
口の中で、小さくつぶやく。
一拍遅れて、誰もいないはずの談話室で、少女の声が後を継いだ。
「未来に希望を持ったりもしない」
暖炉の明かりが届かない先に、赤いフードを着た影がちらついた。
「……デジャヴだな」
初めて会ったときも、突然だった。
ロンダリング公国のウィラにいた頃だから、2年前か。
いつの間にやら、部屋の影に、赤い死神がいたのだ。ちょうど今のように。
死神は、長椅子に寝そべったまま無言を守るジルに対し、少なくともこちらは初対面であるにも関わらず、顔見知りのような気安さで声をかけてきた。
「やぁ青髭公、黒髪も似合うな」
一言めから不愉快な奴だ。
「なんの用だ」
「おやおや、それがレディに対する態度か」
「なら少しは淑女らしく振舞ったらどうだ」
「なるほど、一理ある」
死神は、ニヤリと笑った。ますます不愉快な客だ。
部屋には明かりひとつなく、相手の纏う深紅だけが、淡い暗がりに浮かび上がっている。
ジルには、それも目障りだった。
女の悲鳴や柔肌の余韻は、暗闇でこそ、生々しく思い描けるというもの。
「ところで青髭、あの女はどこだ?」
「あの女?」
「あの黒髪の連れだ。どこにやった」
ジルは、片方の眉を綺麗に吊り上げた。
「あぁ、お前の獲物だったのか……」
やはり、知らない土地で蒐集品を探すのはよくないな。
ジルが、ボトルから直接ワインを飲み下すと、白いシャツに赤い染みが広がった。
「もう殺した」
面白くもなさそうに、無造作に。
しかし、ジルの台詞に相手は驚きもしない。相手も同業者だからだ。
「そうか」
「何かに使いたかったのか」
「あの黒髪を水の流れに見立てて、作品の添え物にしたかったんだ。まぁ、別のを探すか」
こいつの言うことはよく分からない。別に分かりたくもないが。
客人は、出窓を開くと、身を乗り出した。その背を見るともなしに声をかける。
「……私を、殺していかないのか」
「殺して欲しいのか?」
頭巾の下で、唇が笑みの形に引きあがる。
「同業者のよしみさ」
「ふぅん、意外に心が広いんだな」
「次は殺すけど」
「黒髪を狙わなければいいだろう。あれは私のだ」
ジルの横柄な態度に、赤い頭巾を被った死神は、声をたてて笑った。
「なんで、そう黒髪の女が好きなのかねぇ?」
黙り込んだジルに関係なく、彼女は実に楽しげだ。
「あぁ、それとも」 少女の言葉は続く。
「黒髪の女が――」
パチリと火が弾け、その拍子にジルは薄く目を開いた。
炎が、暖炉の中で穏やかに燃えている。
「なぁ、リジー。あのとき、お前はなんて言ったんだっけ?」
ジルが視線を向けた先には、まだ赤い影が――リジー・ドットが佇んでいる。
馴染まないと自分でも思った。
今はキオがいないのに、赤ずきんを『リジー』と名前で呼ぶなんて違和感がある。
「あのときって、どのとき?」
気配で分かる。相手は、あまり機嫌がよろしくないようだ。
「初めて会ったときだから、2年前かな。ロンドにいた頃だ」
「覚えてないな。それより夜中にガサガサとクズ入れなんて探って、何してた?」
「いや、別に」
「様子を見にきたら、天下の青髭公が、なにやら物思いに耽ってるじゃないか。何してる?」
「だから、まぁ、その」
暖炉の火に、ジルの指が光った。
「それは?」
リジーは、ジルの左手に目を向けた。装飾品を付けるのを好まないオトモダチの指で、金色の光が反射している。ジルは、少々ばつが悪そうにリジーをねめつけた。
「別になんだっていいだろ」
「なんか、いいものか?」
ジルの態度に、ますます興味をそそられたらしい。リジーの視線は、右手に隠された左手から外れない。教えるまで、張り付いていそうな様子だ。
ジルは、観念し、手の甲をリジーに示した。
「つい先日、プロポーズされてね」
リジーは、物珍しそうに寄ってきたが、目当ての左手中指を見て首をかしげた。
「そのときの婚約指輪だ」
ジルの言葉に、不思議でたまらないという顔でリジーが問う。
「……この金モールが?」
ジルは笑ったまま、なんとも答えなかった。
声が詰まって、答えられなかった。
いつもなら断る施設訪問についてきてしまったのは、どういう気持ちの変化だろう。
まったく……なにもかもに感傷的になってしまっているな。
ジルは、小さく息をつくと、以前も入った部屋――マリアに出会った部屋に入った。
あのときと同じ部屋の様子。
あのときと同じ子供の群れ。
あのときと同じ――「あ、おじちゃーん!」――マリア。
「………は?」
ジルは、足元に寄ってくる少女を素早くかわすと、隣で手を振るキオに詰め寄った。
「ちょっと来い!」
キオの襟元を捕まえて、物陰に引きずってくる。
「おい、どういうことだ!?生きてるじゃないか!」
キオは、きょとんと目を丸くした。
「生きてるって……誰が?」
「マリアが!お前もさっき見ただろ!?」
「マリアちゃん?……えぇと、どういうことですか?」
「どういうことですかってなんだよ!つい昨日『マリアが死んだ』って言ってたじゃないか、お前!」
キオは、思い当たるふしがあったのか、あぁ!と手を打った。
「ひょっとして金魚のマリアのことですか?」
「き……」
金魚?
「マリアちゃんが、去年のバザーでもらったから自分の名前をつけてたんですよ。でも、死んじゃって……多分寿命だろうとは思うんですけど……僕も世話してたから、悲しくって」
キオは、持ってきたハンカチで鼻をかんだ。
軽い目眩を覚え、ジルは額を押さえた。
「なら……なんでお前が、マリアの絵を預かってきたんだ?金魚が死んだ日に」
あのタイミングで渡されたら誰だってマリア(人間の方)が死んだと思うだろう!
キオは、ハンカチをしまい込みながら、心底不思議そうに眉を下げた。
「え?あれは、たまたまというか……絵が完成したけどジルが来ないから、かわりに渡してくれって頼まれたんですよ。だって、いくら誘ってもジルが来ないから。あれ?僕そう言いませんでした?」
言ってない。いや、さっさと自室に引きこもったジルが聞かなかっただけだ。
「そんなこと、全然一言も……おかげで俺は、お前……」
彼らしくもなくしゃがみこんで、なにやら口の中でつぶやくジルを、キオは覗き込む。
「……ジル、ひょっとしてマリアちゃんに、なにかあったと思って、ショック受け」
「黙れ」
間髪入れずに、一言。
……なんで嬉しそうなんだ、お前。
恨めしげに見上げると、キオがなぜか顔を輝かせている。キオは、不良息子が初めて親孝行したときの母親みたいな顔で、ジルの傍にしゃがみこんだ。
「僕の言葉が足りなくってすみません。でも、ジルが心配してくれたって知ったら」
「心配なんてしてない」
「きっとマリアちゃん喜び」
「言うなよ絶対」
「……ねぇねぇ、ナイショの話?」
なんで子供は人が話してるときに、横から顔突っ込んで、混ざろうとしてくるんだろう!
「マリアちゃん、あのね、ジルおじちゃんがね」
「キオ!!」
帰ってきてからも、ジルの機嫌は最悪だった。憮然とした表情のまま、キッチンの一角に陣取っている。その後姿に、声がかかった。
「ねぇ、聞いたよ、ジル」
青い瞳が、冷ややかにリジーを見る。普通の人間なら、傍に寄るのも躊躇うだろうが、リジーはまったく意に介さないようだ。そのあとを、ペーズリーがやって来る。
「聞いたって、なにがだ」
「ついに開けちゃいけない扉を開けたって」
「なんの話だ?」
「小児愛好は犯罪だよ」
リジーは、人の傷口を抉るのがとても上手い。
そういえば、昔から、初めて会ったときから、上手かった。
「……誤解だ」
「まぁまぁ、いいんじゃない?恋は障害があるほど燃えるっていうし。ね、ペーズリー?」
ストローでジュースをすすっていたペーズリーは、仮面の奥でパチパチとまばたきした。
「コドモ スキ ジル ハンザイシャ」
それだけ告げ、ジュースを持ったまま、ぺたぺたと退室していく。
残されたリジーは、猟奇殺人鬼赤ずきんの顔で、ジルを振り返った。
「婚約指輪ねぇ。なるほど、ノロケだったわけだ」
「誤解だと言ってるだろう」
「神妙な顔して、何を悩んでいるのかと思えば、愛しの彼女が死んだことを憂いてたんだね。いや、泣かせるじゃないか」
「だから、そうじゃなくて……」
「で、なんだっけ?その彼女は、えーと、金魚なんだっけ?」
この野郎……。
ジルは、もう、ぐうの音も出ない。
羞恥心で顔が熱くなる。
昨夜の自分の憔悴振りを、よりにもよって、リジーに見つかるなんて。あまつさえ、こんな悪魔みたいなサディストに、一時の気の迷いとはいえ、心を許しそうになるなんて。
確かに、あのときは無防備だった。
たかが、子供ひとり死んだくらいで、取り乱し……いやいやいや、そんなはずがない。
取り乱した?私が?数多の女を手玉にとって、言葉どおり思うまま支配してきた。少し気のある台詞を吐くだけで、一晩限りでさえ望んで伽に上がる女は数知れず。
猟奇殺人鬼『青髭公』として相手にした女たちも、なんなく落とし、無論私が選んだわけだから標準を高く上回る獲物だったが、まったく惜しまず殺せた。
……だというのに、昨夜の失態はなんだろう!
あんなガキが死んだ程度で、屋敷中の心当たりのある屑物入れをひっくり返し、金モールの指輪を探し回ったなんて……しかも、赤頭巾の前で……うああ、思い出したくない!
ジルは、元々自己愛と自尊心の塊のような高慢極まりない男だ。他人に弱みを見せるなんて、もってのほか。相手を見下すのは彼のごく自然な姿勢。そして、自分は常に完璧でなければならないと思っている――身だしなみも、立ち振る舞いも、獲物の殺害方法でさえ。
静かになったジルの肩を、トドメを刺した張本人リジーが、軽く叩いた。
「愛は、種族の壁も、年齢の壁も越えるってわけか。見せ付けてくれるな、色男」
リジーは、冷蔵庫から牛乳を取り出し、そのままキッチンを出て行こうとする。
背を向けたまま手を振り、最後のスパイスも忘れずに。
「結婚式には是非呼んでくれ、青髭」
キッチンの隅でうずくまった青髭公は、静かに決心した。
とりあえず、呪いがとけ次第、キオと赤頭巾は抹殺しよう、と。
正直、しばらくは誰とも会いたくないジルだった。
「ジル カッコワルイ」(ペーズリー談)