第2楽章 輪舞曲2番
たどりついたホールは、惨状の極みであった。料理は残らずぶちまかれ、燭台が倒れたのか小さな火が燻っていた。あちこちにできた累々たる人間の山は、哀れな貴族の成れの果てだ。キオは、近くに倒れていた男の首筋に手をあてた。
よかった、生きてる。
腹がゆるく上下してるのを見ると、他の者も気を失っているだけらしかった。
「あぁ、戻ってたのか」
ジルが、大きな皮袋の口を緩めつつ笑う。
「な、なんなんですか、それ……?」
「あそこにいる人のお子さん」
一段高いところに陣取った席に、呆然自失状態のカリギュラが固まっていた。
キオたちが到着する数分前。
ホールは騒然となっていた。
突然、大きなクマの着ぐるみが現れたところまでは、覚えている。
誰もが余興のひとつだと思っていた。
そうしたら、どこからか笛の音が聞こえた。楽団の音楽とは外れた音程で。
これも余興だろうか、と見回していると、誰ともなく叫び声をあげた。クマの着ぐるみが内側から裂け始めていたからだ。そこから腕が、肩が、包帯に覆われた頭が現れた。
そんなはずはない。
グラン・ジンジャー・ボーデン?
立ちすくむ衛兵が、グランの太い腕に跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられる。
包帯の隙間から、手負いの獣でさえ震え上がるような太い咆哮。
数人は、それだけで腰を抜かした。気の弱い貴婦人は、床にくずおれた。控えていた警備兵も現れたが、止めるどころか倒れる人間が増えるばかり。
笛の音がやんだ頃、金髪の男が妙にふくらんだ皮袋を引きずってやってきた。そのすぐ後に、女と少年が――自分が昨日捕まえた小僧が出てきた。
それで……今、あの男はなんと言った?あの皮袋が、わしの子供?
ジルが、皮袋を投げ出すと、変にぐったりしたトルネが転がり出てきた。まるで、死人のような青白さで、以前の生意気さは欠片もない。
「ト、トルネ!」
へたりこんだまま動かない息子に、カリギュラは駆け寄った。
「貴様ら、トルネに何を……!」
「別になにも?以前よりイイ子になったんだから、感謝してほしいくらいだ」
転がっている人間を足でどけながら、ジルはなんでもなさそうに言う。
「トルネ君がねぇ、どうしても外に遊びに出たいから、うちのキオに代役をお願いしたんですって。たまたまアタシたちと会ったものだから、昨日は一晩楽しくおしゃべりさせてもらったわ。でも下僕がいないと、いろいろ困るの。悪いんだけど、キオを返して頂くわね」
アイリーンに、いつの間にか下僕認定されてるキオ。
頭に血が上ったまま、カリギュラは唾を飛ばして怒鳴り散らす。自分の今の状況が分かっていないほど、彼は興奮していた。いきなり現れた変な集団が、自分の誕生祭をめちゃくちゃにした挙句、様子のおかしい息子を皮袋から放り出せばそうなっても仕方ない。だが、彼はもう少し冷静になるべきだった。
「なにをワケの分からんことを……!どうせ、そこの薄汚いガキが、トルネをそそのかしたんだろう!一体なんなんだ、貴様らは!わしに命令する奴も刃向かう奴も、どいつもこいつも首を刎ねてくれる!」
逆らう人間には、そういう制裁を加えてきた。『恐れられるなら、憎まれてもいい』という彼の信条はここでも発揮されようとしたが……いかんせん相手が悪すぎた。
「……そうか」
ジルが鷹揚に頷いた。
「なら、首を刎ねられる前に、殺すとしよう」
青髭公の言葉に、猟奇殺人鬼たちは中央のカリギュラ親子に視線をうつす。
屈辱で赤くなっていたカリギュラの顔が、恐怖で白くなる。
上がっていた血が急激な速さで足元まで下りてくる。
「お、おい!だれかいないのか!」
「みんな、逃げちゃったんじゃない?領主様が怖いから」
灰かぶりが、赤い唇を吊り上げる。
じりじりと後ろに下がっていた、カリギュラの服に鎌の刃が突き立てられる。衛兵をどう片付けたのか、赤頭巾がニヤニヤ笑っている。
「その悪いことしか言えない口は、縫ったほうがいいみたいだねぇ?」
「縫う前に、静かになってもらっちゃおうか!」
飛び跳ね回っているディーンがグランをつつくと、彼はベルトから鉈をスラリと引き出した。人の腕ほどもある大振りの鉈だ。キオの目が大きく見開かれる。
カリギュラの頭蓋を一太刀で割ろうと、それを思い切り振りかざし――。
「グラン!!」
……振り下ろさなかった。
グランの足元では、カリギュラが白目を剥いている。
「カリギュラパパ、気絶しちゃった!」
リジーが、鎌を振り回しながら、うひゃうひゃと喜ぶ。
「じゃ、今のうちに」
「そうね」
アイリーンが、ペーズリーから松明を奪い取る。
「焼きましょう」
「って、オイ!!ちょっと待ったぁぁあああああ!!」
キオが慌てて割って入る。
「なぁに?アンタが点火したいの?しょうがないわねぇ」
「違いますよ!なんで、そんなにいい笑顔なんですか!」
なぜか満面の笑みを浮かべるアイリーンから、松明を取り上げる。
「みんな、怖いですよ!目がマジですよ!焼きましょうってなに!?」
「だって、こいつらムカつくじゃん!血祭りにあげなきゃ!」
彼らは正義の味方ではないから、気絶してようがなんだろうがトドメはきっちりさす気らしい。生き生きした表情で、調理法を話しあう彼らを、キオは全力で止める。
「ダメ、ダメ!かわいそうじゃないですか!それに、忘れたんですか!みんな呪いにかかっていて、悪いことしたら心臓が鉛になっちゃうでしょ!?」
「今更ひとりくらい殺したって、ひどくならないかもしれないよ?50人くらい殺したら一気に鉛になっちゃうかもしれないけどさ」
「セメテ ウデ イッポン」
「首欲しい!子供のとセットで欲しい!」
ブーイングの嵐だ。
みんな、せっかくの獲物を無傷で逃すのは惜しいらしい。
「……分かりました、懲らしめればいいんですよね……じゃあ、こうしましょう」
キオの打開策に、わっとその場が沸いた。
冷たい朝日が、上から下へ滑り落ちる。
石畳はもやで湿り、静かに佇んでいる街は、昨夜の喧騒が嘘のようだ。
領主カリギュラは、女の悲鳴で目が覚めた。
「生首ぃぃいいい!!領主様の生首がぁぁぁああ!!」
ぎょっとして周りを見ると、やけに自分の視界が低い。おまけに身体が動かず、首から下が見えないよう、顔の周りに造花が敷き詰められていた。
なんだ、これは!どうなってる?
ふと見渡すと、大勢の人間が遠巻きに自分を見下ろしているのが分かった。みんな背丈が異常に高い。まるで、小人にでもなった気分だ。
「お、おい貴様ら!見てないで、なんとかせんか!」
カリギュラは自分の状態を知らなかった。
哀れな領主は、首だけを出した状態で、広場に埋められていたのである。
それは傍から見ると、首だけが転がっているように見えたわけで……。
「ひぃ!な、生首が!」
「しゃべったぁぁあああ!!」
再び始まった悲鳴と奇声の重奏に、カリギュラは真っ赤になって「生きている!」と叫ぶ羽目になった。隣で同じように埋められていたトルネが、死んだ魚のような目をしていた。