第2楽章 輪舞曲
華々しく幕を開けたカリギュラの誕生祭は、ちょうど油をさしたばかりの火のように燃え上がっていた。
大きな広間は、とりどりの花飾りで、すみまで飾り立てられており、こちらでは小歌劇、あちらでは大道芸とどこにいても楽しめるよう工夫がこらされている。
部屋のそこここでは、あらゆる料理がテーブルをうならせていた。銀皿にのった丸焼きには、リボンがかけられており、赤いソースが映える鴨や牛、羊のローストにも、魚介類のマリネにも、パーティーらしい手間のかかった葉飾りが添えられている。
コックが取り分ける、湯気も温かな14種類ものスープにシチュー、高杯には、甘い匂いを放つ果実の盛り合わせ、その隣に、宝石のような可愛らしい洋菓子が並ぶ。
集まった招待客は、それぞれ小さな集まりを作り、ひそやかな声で話していた。
客の間を、カナッペやシャンパンのグラスを携えた、給仕人たちが礼儀正しく回っていく。
一般公開とは銘打たれているが、もちろん庶民らしい人影はない。
ワイナリー楽団の演奏が始まると、人垣がわれ、中央に空間ができた。
彼らお得意の「コレッジオ輪舞曲」である。
数人がパートナーと踊り始めたなか、目をひく二人連れがいた。
「あら、見かけない方がいるわ?」
目ざとく見つけた婦人が、隣の女性に耳打ちする。
「あぁ、あの方?えぇと、ロゼの系列の……どちらの方だったかしら」
それに、ロゼの人は黒髪だと思っていたけれど……でも、あの殿方は目も覚めるような金髪だし、あんなに目立つのに、どうしてか名前が出てこないわ。
「素敵な方ねぇ、ダンスもお上手だし……お連れのひとは奥様?」
ゆったりとした音楽をしなやかに受ける銀髪の女性は美しいけれど、奥方には見えない。
貴婦人たちは、首を傾げた。誰もなにも言わない。
みんな、それ以上の情報を持たなかったのだ。それは、とても不思議なことだった。閉鎖的な貴族の世界では、どんな些細な噂もたちまち広まる。なのに、名の知れた大貴族の系列者が、既婚者かどうかも分からないなんて。
まるで、その存在が突然ふってわいたようではないか。
奇妙に静まった場を和らげるように、一人が声をかける。
「ねぇ、見てごらんなさいよ。まだ夕暮れなのに花火だわ」
洋窓に身体をあずけていた貴婦人が、空を見る。
合図が打ちあがった。
金髪の男と連れの女は、ごく自然に別れ、ごく自然に消えた。
「お、おなかすいた……」
キオは、身体を丸めたまま、へたりこんでいた。本当は座っているのもつらいけれど、床に寝転がっていると、冷たい石の床に体温を奪われてしまうので、もっとつらいのだ。
「こんなことなら、断食修行も経験しとくんだった……」
夜の向こうから、華やかな音楽が聞こえる。
領主の誕生パーティーは、さぞ美味しい料理が出るんだろう。
想像すると、腹の虫が情けない鳴き声をあげた。
「キオ」
あぁ、なんか食べたいなぁ。
三食キチンと食べられていた自分は、改めて恵まれていると思う。
「キオ!」
ほら、おなかがすきすぎて幻聴まで聞こえてきた。
成長期なのに丸一日なにも食べてないもんなぁ。
トルネ、帰ってきてくれないかなぁ。
「キオ・コッローディ!」
「はぃぃいいい!」
耳元で叫ばれ、キオは反射的に立ち上がった。
「……なに一人でブツブツ言ってるの。気持ち悪いわね」
白いドレスも麗しい灰色の髪の美女が、呆れたようにこちらを見下ろしている。
キオは、口をあんぐり開け、牢の格子にしがみついた。
「アイリーン!ど、どうして、ここに?」
「たまたま誕生祭に来て、たまたまアンタを見つけたの」
アイリーンは、ヘアピンなんて可愛らしい言い方ができない怪しげな器具を駆使し、ものの数分で牢を開錠した。
「あの、他のみんなは?」
「外」
なんとも簡潔な答えだ。
「ひょっとして、僕のこと助けに来てく」
「殺すわよ」
なんで怒られるんだろう。
「……すいません」
それでも、とりあえず謝るキオである。
階段を上がる先の廊下を、走ってくる足音が聞こえる。
切羽詰ったような、歩幅の狭い走り方だ。
「あ、ちょっと急いで」
「え?」
「もう、見つかってるのよね。ここに来るまでに」
「こっそり侵入したんじゃないんですか!?」
「そうしようと思ったんだけど、アンタのいる牢の場所が分かんなくて、そこらへんの衛兵に聞いたのよ。で、そいつを気絶させて、そのままほっといたからバレちゃったみたい」
えぇ〜〜……そんな強引に侵入してたんですか。
アイリーンは、そのまま……特に急ぐこともなく、歩き出した。
空腹で倒れそうなキオも後に続くが、背後の足音がどんどん近づいてくる。
「な、なんで悠長に歩いてるんですか!?なんか、怖そうな人が、いっぱい追いかけてきてますけど!」
「問題ないわ。時間通りだもの」
なにが、どう時間通りなのか。キオが問う前に、答えが到着した。
歩く二人とすれ違う、真紅の旋風。
「リジー、任せたわ」
「じゃ、あとでね。アイリーン、キオ」
目にしみる真紅のマント。
ふたりを追ってきた衛兵たちは、突然現れたリジーをそのまま蹴散らそうとした。
「そこの子供!どけ!」
リジーは動かない。
そのかわり唇の端で笑った。
「この狩人たちは、わたしが誰か分からないらしいよ」
リジーは、真っ赤なフードを深く被って、指先でトランクを開いた。
衛兵たちに見えたのはそこまで。後は、銀色の残像がひらめくばかり。
銃剣を構えようとした上空を、赤い影が走りぬける。
「どうして、そんなに怒ってるの?」
トランクで、しばらく眠っていた銀色の三日月が、目を覚ます。
「どうして、そんなに怒鳴っているの?」
空気を裂く音が聞こえたが、あぁ、その速さ、どうして避けられるだろう。
「どうして、そんなに死に急ぐの?」
最後の質問は嘲るように。
目が合った衛兵に、リジーは、大きな瞳をくるりと回し、舌を出してみせた。
「独創的な悲鳴を、よろしく」
巨大な大鎌が、振り子のように一閃した。
「赤ずきん……?」
衛兵のひとりが呆然とつぶやいた。
気づいたって、もう遅い。
「みんな来てるんですね!」
「なんで嬉しそうなの。気持ち悪いわね」
また、気持ち悪いと言われてしまった。
ちょっぴり落ち込むキオの耳に、澄んだ音が届いた。楽器の音――笛の音色だ。パーティーの音楽が、ここにも聞こえてきているのだろうか。
空気を振るわせる笛の音に、アイリーンが笑った。
「さすが仕事がはやいわねぇ、猟奇殺人鬼が6人もいると」
歩く傍ら、窓を見ると屋根から屋根に飛ぶ人影が見えた。
「ディーン!」
「外の連中がうっとうしいから、ペーズリーとディーンに追い払ってもらったのよ」
うあぁ、ごめんなさい、無関係のお客さんたち……。
街全体が死んだように静かになりつつある。
「まさか、殺してませんよね!?」
「そこらへんは、個人の自由」
「そんな生徒の自主性に任せる、みたいな言い方やめてくださいよぉぉおお!!」
「冗談よ。ちゃんとできるだけ殺さないように言ってあるから」
冗談に聞こえない。
「さぁ、パーティーも、そろそろ終幕だわ」
笛の音が、やんだ。