前奏 女神のアリア
今作品中に、犯罪について不適切な表現がありますが、犯罪を軽視・増長・擁護する目的は一切ございません。
ご了承ください。
その他の注意事項は、後書きにて、ご確認頂ければ幸いです。
あるところに キオ・コッローディという少年がいました。
少年は、とても心優しく、善良で、生まれてから今まで一度もウソをついたことがない正直者でした。
そんなキオに、ある夜、不思議なことが起こりました。
彼の前に、青い衣の美しい女神様があらわれたのです。
キオ・コッローディは、洗面用具一式をかかえたまま、「部屋を間違えたのだろうか」と思案した。戸惑いながら、静かに廊下に出て、部屋番号のプレートを確認する。
ここは、デュッセルオーヴのクラーク街12番地で、青の教会内にある修道士用の寮で、東棟201号室で……うん、やはり、あっている。
ここは、間違いなく自分の部屋だ。
キオは、改めてドアを開いた。
使い込まれた机とベッドと小さな棚しかない、見慣れた部屋に、見知らぬ女性がいる。
女性は、キオのベッドに腰掛けたまま、銀色の刀剣に顎をのせて、見るからに退屈そうにしていた。
ぼーっと宙を見ていた女性の視線が、ふと戸口のキオにとまる。
「お、やっと帰ってきましたね?ずいぶん長いこと部屋を空けていたじゃないですか。歯茎から血が出るまで歯磨きでもしていたのですか?」
どうやら、キオのことを待っていたらしい。
「え?あの、ど、どこのどちら様で……?」
女性は、柔らかい微笑みを浮かべ、音もなく立ち上がると、首筋をゴキゴキ鳴らした。
「やれやれ、ワタクシが誰か分からないのですか、キオ・コッローディ」
そう言われ、キオは相手を上から下まで眺めた。
背後の窓から、月光が差し込み、彼女の白磁の肌を滑り落ちていく。
星の輝く銀色の冠に、水流を思わせる深く青い衣。
月光を紡いだ銀髪の下から覗く、伏せがちの目は凍る北の海の色。
地の底から泉がわくように、彼女の全身から冷気のような威圧感が感じられる。
その気品、荘厳さ、見つめられれば鳥肌のたつ完璧な美貌。
彼女の緩やかなまばたきで、時間の流れさえも足を止め、見惚れてしまうに違いない。
姿勢を正した彼女は、さきほどまでの不審者なイメージとは打って変わって、神聖な絵画の一枚を思わせた。
そして、その姿は、見覚えがあるどころか、キオの毎日見ているもの。
目の前の女性は、キオの信仰するコバルティアラピス系カラード教のカラード・ヴォロメアル3柱神のひとり――青の女神シアンの姿に、あまりにも酷似していた。
青の女神とは、理性や節制を意味する、清純にして厳格な正義の女神である。
左手に銀の天秤を持ち、右手に細い刀剣を携えている姿は、あらゆる神話のなかに描かれており、敬虔な青の教徒キオは、聖典で何度もそれを見たことがあった。
「……あ、あの……もしかして青の女神様……?」
しばらく固まったあと、キオはようやく言葉をひねり出した。
「いかにも」
そんな、まさか……どこぞの賢人ならともかく、なぜ自分なんかの前に女神様が現れるんだろう。
キオの困惑した様子に、女神(今のところ自称)は、ゆったり手を組んだ。
「信じていないようですね……まぁ、普通はそうでしょう。でも、ワタクシは本物です。その証拠に、あなたのことはなんでもお見通しですよ」
女神が手をかざすと、手品のように青いファイルが現れた。魔法じみた所作で取り出したわりには、ごく普通の事務で使いそうなファイルだ。
「はい、これがあなたの全資料です。入信したのは、千年暦142年5月43日ですね。ナンバーはC−250326で、今は修道士見習いですか」
ファイルのページを指先でめくる。
「ふんふん、全体的に評価は悪くないですね。善良で、心優しく……まぁ、今まで一度もウソをついたことがないんですか!どうりで、ぼやーっとした損な役回りっぽい顔してると思いました!」
それは、褒めてくださってるんですか、女神様。
「ふーん、見た目どおりというか……10歳のとき、道に迷ったおばあさんを案内していて、自分も迷子になっていますね?泣きながら、警察官に教会までつれて帰ってもらったんですって?」
なぜ、それを。
「それに、底なしのお人好しで、毎度振り込め詐欺にひっかかっていますね。相手の真っ赤なウソの身の上話で、泣きすぎて気持ち悪くなって脱水症状を起こして、救急車で運ばれていったんですか、へー」
そんなことまで。
「ちょっぴり臆病なところもあるんですね。近所の子供から怖い話を聞かされて、怖くてトイレに行けず、一晩中『僕はトイレを我慢していない』と自己暗示をかけていたでしょう」
女神は、そこで、ふっと含み笑う。
「でも、あなた14歳にもなって、オネショはちょっと……」
「分かりました!もう分かりましたから!」
キオは、ちょっと泣きそうになりながら、女神の言葉をさえぎった。
こんなに、キオ自身でさえも忘れたいハプニングを事細かに知っているということは、本物の女神様なのかもしれない。
だけど、なぜ自分のところに女神様が来たんだろう。
「安心しなさい。あなたとワタクシのうれしはずかし同居生活なんて、始まりませんから」
「……はあ」
女神は、ファイルをしまい、再びキオに向き直った。
「今日は、あなたに大事な用があって来たのです。いわゆる神の啓示というやつです」
「啓示!?」
神が人間に教え示す啓示を、まさか自分がもらえるなんて……!
キオは、大急ぎでノートとペンを準備した。あまりにも慌てたため、啓示を受ける用意が整う頃には、床中に洗面用具やら筆記用具やらが散乱していた。
なにか、思い描いていた啓示の図と違うような……。
洗面用具を適当にかき集めながら、小さく呟くキオ。
「さて」
準備ができたのを見て、女神はベッドから腰を浮かせた。
「女神様じきじきの啓示です。謹んで受け取りなさい、愚民」
やっぱり想像とずいぶん違う……こんなに一言も二言も多い女神様だったのか。
キオは、神話に描かれている青の女神のイメージを、大切にすることにした。
「明日、この教会に一通の手紙が届きます。その手紙の指定場所に行くと、ある人間たちに出会うはずです。あなたを、その人間たちの導き手に任命します」
「導き手って……僕がですか!?そんな大役を自分に!?」
導き手というのは、その名のとおり、人々がよりよい方向へ進んでいけるよう指し示す、宗教的な案内人のことだ。預言者や洗礼者も、導き手の一種だとされており、ピンからキリまであるとはいえ、導き手というのは結構な大役であると分かる。
なにせ、他人の運命の一部を負う人生のアドバイザーにして、迷いを取り除くカウンセラーでもあるのだから。
キオは、首を振り、手を振り、全身で思いつく限りの拒否を表した。
「導き手なんて無理ですよ、僕なんか!その手紙の人は、教会に来られないんですか?修道士見習いの僕より、司祭様に直接ご教示頂いたほうがずっといいと思うんですけど……」
「あなたゴチャゴチャとうるさいですね。女神の啓示になにか問題でもあるんですか」
女神が、まるで威嚇するように、突然刀剣でバッティングを始める。
キオは、ぶんぶんと振り回される剣におののき、頬を引きつらせた。
「も、問題っていうか……なんで僕が導き手なんて大それた……自信ないです!せっかく僕を選んで啓示してくださったのは、うれしいんですけど……人に教えられるほど立派な人間じゃないですから!」
「キオ・コッローデイ、あなたはまだ聖名をもらっていない見習いでしょう?ここらで一発デカイ善行をしてみようと思いませんか?思うでしょう、思うはずです。女神からの啓示で、導き手になったとしたら、そらもうスゴイことですよ?その可能性をみすみす逃がすつもりですか?別に見習いのあなただったら、もしものことがあっても教会的に打撃が少ない、とかそういうイヤラシイ思惑は全然ないですから、安心しなさい」
えぇ〜……逆に不安になります、女神様。
キオの表情が複雑になったのを、素早く察した女神は、ごまかすように咳払いした。
「それに、もし、あなたが、その連中をうまいことよい方向に導けたら、なにかひとつだけ願いごとを叶えてあげましょう。特別おひとり様限定恩恵です」
「本当ですか!?」
「女神とインド人はウソなんかつきません。約束しましょう」
なぜインド人。
「迷える子羊……もとい血に飢えた狼たちを、うまいこと導くのです」
さらりと言われたセリフに、キオはすばやく反応した。
「どういう意味ですか!?僕が導きに行くのは、そんなケダモノみたいな人なんですか!?一体その人たちは、どういう方なんです?」
女神様は笑顔のままで、答えた。
「職業は、リョーキサツジンキです」
「は?」
「全員が全員ともリョーキサツジンキです」
言葉の変換が追いつかない。
リョーキサツジンキ。
猟奇サツジンキ。
猟奇殺人鬼……え?猟奇殺人鬼?
「猟奇殺人鬼いいいいいい!?」
これが、キオ・コッローディの不幸のはじまり。
もう少し言うなら、キオ・コッローディが、悪名高い6人の猟奇殺人鬼の「教育係」を引き受けてしまった、事の顛末なのである。
はじめまして、三月と申します。
しゃべるウンコみたいなものだと、ご認識頂ければ結構でございます。
柔すぎず、硬すぎず、若い読者様にも読みやすいお話が書けるようがんばります。
「猟奇殺人鬼の交響曲」を、どうぞ楽しんでいってくださいませ。