喧嘩
リンは今、シャワーを使っている。
少女は今、シャワーを使っている。
俺の部屋で。
シャワーの音が響いている。
少女が口遊む鼻歌も聞こえる。
俺は自室にも関わらず、正座で待っていた。
駄目だ。この空間に居たら、死んでしまう。
昨日のユリカは、自分が死んだとか、学校での悪魔との戦闘とか、夢現のように感じられて、それ程気にならかったけど――今は違う。
俺の精神は通常運転だ。そして、だからこそ、危ない。
もう、限界だ。
俺は勢いよく立ち上がって、出る間際に少女に向かってちょっと出る、と伝えて、逃げるようにアパートから出た。
※
もうそろそろ、昼である。
学校を途中で抜け出してきてしまったけど、良かったのだろうか。しかし、クラス全員死にました、なんて言っても、頭のおかしくなった奴にしか見えない。誰も俺のクラスの連中を覚えている者はいない。
しかし、明日から学校とかはどうなるんだろう。
小さな公園が目の隅にとまった。
住宅街はしーん、と静まり返っている。
ここなら知っている人も来ないだろう。知っている人が来て、学校はどうしたの、なんて訊かれたら厄介だ。
住宅街の片隅にある本当に小さな公園である。
乗ったら壊れそうなブランコと、地面を蹴っても、動かなそうなシーソー。
実際はそんなことないんだろうけど、いつか本当に起こりそうで怖い。
しかし、ベンチだけはなぜか真新しく、座り心地が絶妙である。
ベンチの傍にある木の葉の合間から、日光が差し込んできて、とても心地が良い。
ここで少し休んで、頃合いを見計らって家に戻ろう。
そんな平和な事を考えていた。
※
「ンだ。こいつ、おい!」
暗闇の中から声が聞こえた。
「ああ?」
俺は薄っすらを目を開ける。
金色が見えた。
「おい、起きろっての!」
「ん? んん」
頭が朦朧としている。
視界が段々と明瞭になる。
そして、一瞬見えた光景に俺の意識は覚醒へと強制的に導かれた。
「てめえ、ここがなにか分かってんだろうなぁ?」
髪を金一色に染め上げた男が、目の前に居たのである。
「公園ですけど」
俺は答えた後、体の硬直と共に、自分の言ったことに後悔した。
やべえええ。
なんてことを言ってしまったんだ。
「ってめえ、ふざけてんのか! こらぁ」
「すみません」
怖い怖い怖い。
不良らしき人物は俺に顔をぐっと近づける。
「すみません、じゃねえんだよ。てめえ、よぉ」
ガキ。
鈍い音がして、頬に激痛が広がった。
普通に痛い。
「すみません。すみません」
なんでこんな奴に謝ってんだ。
情けない。
「すみませんって、ぶっ殺してやる」
せめて、日本語喋ってくれよ。そして、できれば、殴るのはもうやめてください。
金髪の男は拳を振り上げる。
「やめろよ」
「あ?」
「あのねえ、弱いものを虐めてなんになるの?」
爽やかな声。
金髪の男が少しずれて、後方に隠れていた声の主がちらりと見えた。
高校生だろうか、俺と同い年か――それとも、年下か。
「ンだ? こら」
「ここから消えろ」
「ンだ? お前、足、ぶるぶる震えてんじゃねえか。ギャッハッハッ!」
金髪の男は下品に笑って、公園の枠から出て、姿が見えぬ男に向かう。
「殴るよ?」
「おう、来いや」
そんな威勢のいい声が聞こえたかと思うと、俺の視界から金髪の男が消えて、声の主が完全に露になった。
上を見上げると、金髪の男が宙を舞っていた。
まさか。
前髪が少し長い男がいつの間にか目の前に居た。
「大丈夫?」
まさか。
どさり、と重々しい音がして、金髪の男が地面に落ちる。
「ああ、僕、少し武術を――」
「まさか」
「ん?」
「死人か?」
「え」
男は一瞬、呆けた顔をして、
「え、嘘だよね」
と言った。
※
「なんだよ、僕、引いてるのかと思って、嘘言っちゃったよ。恥ずかしいな」
男はベンチの横に座っていた。名を五十嵐輝と言う。高校二年生で、俺と同い年だそうだ。
それにしても、爽やかな声、爽やかな顔つき、相当女子にモテるんだろうな。本人はそれを否定していたが、そういうやつに限って、下駄箱を開けると愛の手紙が詰まっていたりするのだ
「いや、俺も吃驚した」
「まさか、こんなところで死人に会うなんてね」
「死人って結構、居るのかな?」
「うん。結構いるよ。この街でも――んー。半分もいかないけど、結構いるよ」
「へぇ」
「そういえば、こんなところで何してるの? 学校は?」
俺は、先ほど起こったことを話す。
「ああ、それは気の毒だね」
「五十嵐はそういう――周りの人を殺されたりしなかった?」
「したした。兄を殺されて」
「あ、ごめん」
「いや、大丈夫だよ。逆に兄の死を認識してくれる人がいてくれて、嬉しい」
五十嵐が此方に見せる笑顔は何処か哀愁に満ちていた。
そうか、悪魔に関する記憶は消されるんだ。
「おい」
ドスのきいた声が、爽やかな空間を搔き乱した。
声の方を見ると、袋を持った図体のでかい男が居た。
「白河!」
その男の目線は――俺たちの横――木に背中を預けている金髪の男に向いている。道路に放り出しておくのは流石に可哀想なので、そこに置いたのである。
どうやら、こいつはその仲間らしい。
「僕が行くよ」
「じゃあ、俺も」
「二人で行くのは駄目だ。僕、一人で十分だから」
「あ、ああ」
かっこいいな。やっぱり、こいつはモテるんだろうなぁ。
※
図体のでかい男の後ろには、五十嵐が寝そべっていて、びくともしない。
「弱っちいな。次はお前か?」
図体のでかい男は俺を見た。
どうする?
恐らく。
俺の予想が正しければ。
こいつは。
こいつは。
嘘だろ。
男の目が光った気がした。
男の口から牙のようなものが見えた気がした。
まさか。




