歓喜
ユリカの唇の感触が消えた瞬間、それに伴うように、痛みがすぅと消えた。
「え? は?」
「まあ、神と死人の絆ってやつだな」
「すげえ」
先ほど、あった痛みが嘘のようである。
「いや、待てよ。青空がここにあるってことは」
恐る恐る、下を見る。
「高えええええええええええええ」
学校が小さく見えて、街が一望できる
「楽しくない? 空の旅」
「楽しいとか、楽しくないとかじゃなくて、怖さが圧倒的に勝ってるんだよ!」
俺は今、神の手に掴まれているのである。つまり、神の気分次第で、もう一度死ねるということだ。
こいつに限って、そんなことしないと思うけど――一応、気を付けなければ。
雲がいつもより、近くにある。
「うおおおおお、やべええええっ」
地面の感触が足元に感じられないという、新鮮な感覚。
このまま、空を軽快なステップで歩けそうだ。
「どうだった?」
「どうだったって?」
「いや、悪魔のことに決まってるじゃないか。それ以外、何を訊く?」
憎たらしい口だなぁ。
「いや、怖かった」
「正直だな」
「こんなところで強がって何になる」
「そういう男、嫌いじゃないぞ」
「おい! 変なこと言うな」
なんで俺は茶化されて顔を真っ赤にしているんだ。
「あ、そうだ。学校に神らしき奴が居たぞ」
「え?」
「俺のこと死人って言ってたから、多分、神だと思う」
「ふぅん。見に行かなきゃいけないな」
※
俺たちは屋上に降りて、二階の資料室――少女がロッカーに入っていた部屋に向かう。
「ここか?」
「ここだよ」
ユリカがなぜかゆっくりと扉を開けた。そして、顔だけを中に入れてきょろきょろと首を動かす。
「そんな警戒する必要ないだろ」
「まあ、大丈夫か。神の姿をした悪魔なんてありえないしね」
しかし、まだいるだろうか。
本棚の合間を通って、奥へと進んでいく。
居た。
「すぅすぅ」
気持ち良さそうに寝ている。
日光が丁度、少女を抱擁して、心地が良いんだろうなぁ。俺も寝ていないから、寝たいなぁ。
「起きてくれー。おーい」
ユリカが呼びかけるが、顔を顰めてむにゃむにゃ、と言うだけで少女が起きることはなかった。
「お前は声が駄目なんだよ。俺にやらせてみ」
「君、失礼な事を言うね。いいよ、やってみてくれよ」
「すみません。起きてください」
「はっ。私は寝てしまったのか」
「なっ! いや、偶然だろ。私の声によって起きる寸前だったのが、君の声が丁度、とどめを刺しただけであって、何も君の声の実力ではないと思う。ゲームに喩えるのなら、モンハ――」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。私こそ見苦しい姿を見せてしまってすまない」
後方で唸り声が聞こえた気がするが、気のせいだろう――無視、無視。
「私は泣くと――その、素というわけではないんだが――何と言うのか、素では決してないんだぞ! 断じて」
「分かってます」
俺は空気を読んで、適当に返事をする。
「で、君の名はなんと言うんだ。因みに、私はユリカと言う」
「ああ、神仲間か。私の名はリンだ。宜しく」
予想が見事に的中した名前で、少し驚く。
「宜しく」
「あ、俺の名前は本田翔です。宜しくお願いします」
「ああ、敬語とかはやめてほしい。何故だろう。こっちが恥ずかしくなる」
「ああ、すみません」
「翔、敬語」
「分かってるよ――で、リンさ――リンは何をしていたんで――だ?」
何故だろう。凛々しい雰囲気に流されて、敬語になってしまう。それに初対面の恥ずかしさが混じって、気分はもう最高だ。
これは相当、苦戦するだろう。
「私は昨日、ここに死人と来たのだが、死人が殺されてしまったんだ。だから、どうしたらいいのか分からなくなって、ここに閉じこもってたんだ」
「どうしたらいいか、分からない? 死人が消滅してしまった場合は、天界に一旦帰って、大神の判断で天界に残るか、新たな死人に付くか決まるだろう」
「ああ、言葉を間違えた。単刀直入に言おう、私は天界に戻りたくないのだ」
堂々としているけど、とてもおかしなことを言ってるんじゃないか?
「別に虐められているとかそんなわけじゃないんだが――何と言うのだろう。私ってなくと少し、少しばかりおかしくなるだろ?」
少しばかりというのはかなり謙虚だな。
「だから、それで可愛いと言われるのが厭なんだ。恥ずかしいよな? 可愛いと言われるのは?」
リンがユリカの肩に掴みかかる。
「いや、一般的に見れば嬉しいんじゃないか?」
「そうか? 本当にそうか? 私は可愛いか? 翔はどう思う?」
「えっ。いや」
なんと答えればいい?
「いや、失礼。少し興奮してしまった」
「兎に角、君は天界には戻りたくないと?」
「いや、そんな恥ずかしいだけの理由ではないんだ。何より、日本の本は素晴らしい。文字だけで、人をワクワクすることができる。絵だけで、人の悲しませたり、楽しませたりできる」
「よし、分かった。私が天界に行って、大神に話をしてこようじゃないか」
「え? いいのか?」
リンが驚いた顔で、ユリカを見る。
「それぐらいお安い御用さ」
「あ、あ、有難う」
「しかし、翔帰ってくるのは明日の朝になるだろうから、リンを宜しくな。君に限って、ないだろうけど、変な気は起こすなよ」
「起こさないよ」
俺が? 変なことを? そんな度胸、何処を見たってあるわけないじゃないか。
「あと、最後に――」
まだ、何かあるのか。
「翔よ。私は可愛い思うか?」
は?
まだ何も言っていないのに、顔が熱くなるのが分かった。
「答えてくれよ」
神は無邪気に笑った。
「か、か、可愛いと思う――一般的には」
「ふ――嬉しいじゃないか」
そう言い残して、ユリカは部屋を退出していった。




