隠顕
ぎょろりと動く目、細長い手に重量感のある槍。
「きゃっきゃっきゃ」
悪魔が不気味に笑った。
「びっくたぁ。窓ガラスがいきなり割れたぞ」
窓側の席の関川が立ち上がって、窓に近づく。
その行動は明らかに不自然だった。ここからじゃ、よく見えないが、関川が悪魔を見ていないのは確かである。
関川の足と窓の下の壁に悪魔が挟まれて、
「ぐきゅう」
と弱弱しい声を出した。
しかし、誰もその声に反応する者はいない。皆、関川を見据えている。
俺も立ち上がろうとした、刹那。
は?
身体が動かない。
顔が窓の方向に固定され、足も床にがっちりと付いている。
机上に置かれた、指の先々まで微動だにしない。
関川の腹辺りから、ぴょこっと悪魔の顔が出て、俺を見た。
「きゃっきゃっ」
悪魔が笑ったかと思うと、
「うがあああああああああ!」
耳を劈く(つんざ)ような叫び声が教室内に響いた。
関川の脹脛に槍が刺さっていた。
「どうした? 関川」
状況が把握できないのか、数学の佐藤が呑気に言う。
みんな、悪魔が見えてないのか?
「何、やってんだよ」
笑い声が何処かで聞こえた。
「きゃああああああっ!」
関川の隣の席の、渡辺が叫ぶ。
「え? どうしたの?」
数学の佐藤は少し焦った表情を見せた。
しかし、俺は動けない。
なんでだよ。
「きゃっきゃっきゃ。お前はそこでパーティーを見てろ」
悪魔が関川の足に刺さった槍を引き抜いて、押し倒した。
「やめろおおおお!」
俺は思わず叫ぶ。
クラスの皆が俺を見る。
渡辺もこちらを見ようとした。
瞬間。
鮮血が宙に舞った。
俺に横顔を向けたまま、渡辺の顔の表面が弾けた。
「ぎゃああああああ!」
誰かが叫ぶ。
「やめろ! やめろ!」
俺は声を張り上げるが、その声は誰の耳にも届いていないのだろう。
悪魔が視界から消えた。
※
体が動くようになり、俺は立ち上がって辺りを見渡す。
「ああっ! あああああああ!」
皆、死んでいる。
叫んだ。
涙も出ない。
逃げ出そうとしたのだろうか、扉周辺で死んでいる者も居た。
「嘘だ。嘘だ」
さっきまで生きていた。
さっきまで。
「あああああああっ」
動いていた。
「うえええええっ」
くそ。
くそ。
「きゃっきゃっきゃ。今、どんな気持ちだ?」
悪魔が俺の顔を覗き込む。
無意識のうちに俺の拳が悪魔に向かっていた。
「おっと」
悪魔は軽々と俺の拳を避けた。
「おいおい、ちょっと冷静になれよ。お前のクソみたいなスピードじゃ、俺に太刀打ちできねえよ。きゃっきゃっきゃ」
バリン。
また、窓硝子の割れる音がした。
「ふう、来てよかった。君だけだったら、ちと心配だったからね」
透き通るような白い翼。肩まで伸びた黒髪。その側面に結ってある小さな髪の束。
「ユリカ」
「おい! 逃げるぞ」
ユリカの指さす先を見ると、悪魔が生徒を飛び越えて、廊下に出たところだった。
「追いかけるぞ」
ユリカが走り出す。
俺は少し止まって、
「すまん」
とクラスの連中に謝って、駆けだした。
※
走りながら、他のクラスを覗いてみる。
先ほどの騒ぎが嘘のように、他の教室の中では日常が流れていた。
誰も走る俺の姿に気づいていないようである。
見えていないのだろう。
「なんで、俺たちの姿は見えないんだ?」
「大神が消してくれるんだよ。死人は生きている人間より魂が薄い。まあ、やろうと思えば普通の人間の姿を消すことも可能なんだが、それをやる必要はまったくもってない。しかし、死人が悪魔と闘っているという事実は、やはり極秘裏にやるべきだと思うんだ。だから、悪魔に関わった人間の記憶は消すし、悪魔と戦闘しているときの死人の姿は人間には視認できない。勿論、悪魔本体も、だ」
「脳だけで生活してるって言っても結構なんでもでき――あれ? どっち行った?」
南校舎と北校舎を繋ぐ廊下で悪魔を見失ってしまった。
南校舎に続く廊下はT字になっていて、どっちに行ったか、分からない。
「君が後で聞けば分かる話を今、しているからだよ」
「俺のせいかよ」
「君のせいだよ」
「違うね」
「違うくないよ」
なんだこの会話。
「ここは分担しようじゃないか」
「分担?」
「君が右で、私が左だ」
「了解」
「見つけたら、すぐ呼ぶから来てくれよ。神の点滴は悪魔なんだぞ」
「じゃあ、分担しなくてもよくね?」
「それじゃあ、効率が悪いだろう」
「ああ」
「神は人間同様、悪魔に殺されてしまうと生き返ることができないんだよ」
「怖いこと言うなよ。一緒に行こうぜ」
「大丈夫だって」
俺の言葉も聞かずに、ユリカは駆けだす。
なにを意地になっているのだろうか。
※
外に逃げたという可能性はないだろうか。
それだったら、もう居ないものを探す俺たちはただの阿呆である。
左に行くと、まずあるのは資料室である。
小さな扉を開けると、それに見合わない広い部屋が目に飛び込む。
白い本棚が、二列に整列している。その奥の方に机が見えた。
「うえぇ」
え?
何処からか、聞こえた。
「誰かいるんですか?」
「死んだぁ」
俺はその声を頼りに、本棚の間を通っていく。どうやら、奥の机の方らしい。
「戻りたくないよぉ」
「すみませーん」
恐る恐る、本棚の合間から脱して、机の空間に出る。
辺りを見渡すが、人の影はない。
「うぅぅぅううぅぅ」
うめき声が聞こえた。
ロッカーの中から。
マジかよ。




