終結
俺は反射的に自分の顔の前に手を差し出していた。
「くっ」
歪む視界が中央から広がるように、明瞭になっていく。
爽快な音が聞こえて、手のひら全体に衝撃を受ける。
『ウホ?』
間抜けな声がして、ゴリラが視界から消えた。その変わりに、五十嵐の足が視界の横から生えた。
『人間風情が』
塀に埋まったゴリラが顔を顰めて、青筋を立て、俺らを睨んだ。
ゴリラが両手を大きく上に挙げて、塀が弾けた。
『殺す』
完全に怒っている。
俺と五十嵐は顔を見合わせて、頷く。
『ウホォォッ!』
ゴリラが此方に向かって来る。
俺たちは地面を蹴って、空に留まる暗黒に身を包ませる。冷徹な風が四方八方から吹く。
『ウホォォォォォッ!』
それにゴリラがついてくる。
「理性を失った者ほど滑稽なものはないね」
五十嵐が苦笑しながら言う。
「そうだな」
俺たちの並ぶゴリラ――しかし、俺はその後方。
街の風景に釘付けだった。
向こうに見えるビルの光に照らせれているように錯覚してしまう。
住宅街の中で活発に溌剌と動く点たちは皆、生きている。
闘っている。
鳥肌が立った。
『ウホォォォォォ!』
ゴリラの拳。
俺は空中で身を屈めた。
ビュオオオオ――風が俺を避ける音が耳に響く。
そして、俺は拳をゴリラの腹に放った。
ゴリラは今迄のように吹っ飛ばず――信じられないことに、裂けて腸が俺の反対側に飛び出した。
「うおおっ! なんかヌルヌルする」
「ちょっと待って! 翔――もう地め」
※
俺と五十嵐とゴリラの死骸は地面に無慈悲に打ち付けられた。
「いっつー」
血が服に飛び散った。
二人とも同じ所――腰を押えて、立ち上がる。
何だかその姿が実に滑稽で、笑いがこみ上げてきて、口元で爆発した。それにつられたのか、五十嵐も笑いだす。
しかし、すぐに翔平さんの姿が目に入り、笑いは薄れていった。
「翔平さん!」
駆け寄ったが、どうしたらいいか分からない。
「翔平さん!」
もう一度、呼ぶ。
しかし、返事はない。
まだ、生きてるのか?
俺は翔平さんに付いている神の名を知らない。
「翔平さんが大変なんだ! 来てくれ!」
俺は取り合えず、空に向かってそう叫ぶ。
すると。
遠くから、先程の女装をした男が現れた。
※
翔平さんは眩しそうに目を細めた。
「なんだこれ」
「日の出です」
「あれ? 俺の手が治ってるってことは――」
「私よダーリン」
「あ、あはは――有難う、マイハニー」
虚空に何人もの神が飛んでいる。
白い翼が日の光に照らされて、透き通り神々しい光になる。
「終わったのか?」
「あれ? 言わなかったっけ? 今、倒したのはボスでさ。この集団はボスを倒すと、皆の力が弱まるらしいんだ。この集団の場合、禁忌魔術がボスを基本にかけられていたんだろうね――あ、ごめん。禁忌魔術ってのはね――いや、そもそも集団の話からかな?」
たじろく五十嵐にもう、知ってるよ、声を掛けて、日の光を見た。
終わったんだ。
俺は生きている。
※
家に帰ると、ユリカが居た。
玄関に。
「おお、ユリカ。あれ? リンは?」
「リンは? じゃないよ! なんか、変なことはなかっただろうね?」
ユリカが速足でこちらに寄ってきたので、自然と俺の体は後ずさりする。俺の家に帰ったら寛ごうという希望は一瞬のうちに打ち砕かれ、背と扉が密着してしまった。
「な、なかったよ」
「本当だろうね」
「うん」
どうしたんだ?
ユリカは俺からゆっくりと背を向けると、歩みだした。
「いや、悪かったね」
そして、振り向いてそんなことを言った。
何が何だか分からないけど、追及しては駄目な気がして、黙ってそれについていった。
※
「あれ、リンは?」
「リンは一度、天界に戻ったよ」
「よく、戻ったな」
あれ程、戻りたくないと言っていたのに。
「すぐに此処に戻ってくるだろうさ」
ユリカは少し不機嫌そうに言う。
「なんで?」
「そりゃあ、新しい死人に付くためさ。リンの要望が大神の判断によって、特別に尊重されたんだ。まあ、泣かないとき以外は有能らしいからね」
「あれ、大神って脳だけなんじゃ?」
「大神の脳の信号をキャッチして、特殊な言語表示装置に映し出すんだよ。大神は自分を能力を制限されている上に、自分にかけるような能力は相当、無くなってきているからね。あと一千年したら完全に自分に対する能力は消えると予想されている」
「ふぅん」
「まあ、こっちにも色々な事情があるわけだ」
「死人って結構な割合で出てくるのか? 結構、人死んでいると思うけど」
「君みたいに作り治せる範囲だったら、まだいいさ。でも、復元できない状態だと死人にするのは不可能だね。魂だけ取り出して、霊界に放す」
「魂ね」
「なんだよ。訊いたわりには、興味なさそうだな」
「興味ないもの――わりぃ、ちょっと眠いわ。寝るから昼頃起こしてくれ」
「了解した」
「いいか? 変なことするなよ?」
ベットの中に入ってくるとか、な。
ベットに就くと、すぐに瞼が落ちてきて、眠りの世界へと誘われた。