桜の木の下、猫の墓
H氏の家の裏山には、桜の木が何本も生えている。
毎年春になると、ふわふわした雲のように山の一部がピンク色に覆われる。
しかし、季節は夏の終わり。
木々は濃い緑色をした葉が茂って、周りと溶け込んでいる。
山を挟んだ反対側にある道がアスファルトで舗装され、遠くから人がやってくるようになった。
山の向こう側なので、自動車の騒音に悩ませることもないが、時々こうやって見回りをしていた。日が暮れかけて、辺りは暗くなろうとしている。この時間帯でもまだ暑さが残り、体から汗がにじみ出る。
「何をやっているんですか、ここは私有地ですよ」
知らない中年の男が、桜の木の根元で穴を掘っているではないか。
H氏は男に向かって注意した。
H氏は、桜の木を盗むために掘り返しているのか、それとも粗大ごみの不法投棄なのかと考えていた。
「穴を掘っているのだ」
男は不愛想に返事をした。
「なぜうちの山の桜の木の根元を掘っているのか、と聞いているんです」
H氏が問い詰めると、男は感情のこもっていない声でぽつりと言った。
「死体を埋めるんだよ。桜の木の下よりふさわしい場所が思いつかなかった」
H氏は驚いた。
男は確かに死体と言った。
殺人犯に出くわしてしまったのかと焦った。
ブーンと蝿の飛ぶ音と、何かが腐りかけて嫌なにおいがする。
蝿の止まった先を見ると、茶色い毛の塊が落ちていた。
よく見ると猫の死骸のようだ。
「この猫の死骸は、あんたのペットだった猫かね?
だったら、こんな人の家の山になんか埋めずに、ちゃんと手厚く葬ってやったらいいじゃないか」
「俺の飼い猫ではない。
きっと名前もないような野良猫だ」
男はどうやら道で死んでいた野良猫を、わざわざ桜の木の根元にまで埋めに来たみたいだ。
最近はどこもかしこもアスファルトで舗装され、公園も勝手に穴を掘ったりできないようになっている。
市役所に処理させるよりも、桜の木の根元に埋めるというのは、男なりの供養の仕方なのかもしれない。
H氏はそう思った。
「そろそろあたりも暗くなる。
私はもう帰るけど、今回限りにしてくれよ。
それと、猫の死骸を埋めたら、穴はしっかりと土をかぶせておいてくれ。
他の動物に掘り返されないようにね」
H氏はそう一方的に告げると、来た道を帰っていった。
H氏がいなくなるのを待って、男は道路の方へと歩き出した。
青いビニールシートにくるまれたものを重そうに運んでいる。
深く掘った穴にビニールシートの中身を落として、土をかける。
地表から一メートルほどまで穴に土をかけたあたりで猫の死体を入れて、残った土をかぶせた。
穴を完全に埋めて、手頃な大きさの石をその上に乗せた。
「ああ驚いた。
見つかった時はどうしようかと思った。
誤魔化そうにも、とっさに言葉が出なかった。
偶然、猫の死骸が転がっていてくれたおかげで、勝手に勘違いしてくれたみたいだ。助かった。
もう一人分、穴を掘らなくちゃいけないところだった」
来年、この桜はきっと鮮やかに花を咲かせるだろう。