信頼の条件
城には様々な役職が有る。
兵であり、料理師であり、召使いであり。
彼らは時を追うごとに昇進し、入れ替わっていくのが常である。
しかしその中でも王女の傍に使える侍女には、ここ数年変化がないという。
***
王女クランベリーのボディーガードはヘキ。
そしてあまり知られてはいない彼女の侍女は、今年二十歳になるレイという女性だ。
メイド仲間は彼女のことを心から羨ましがるという。
何しろ、日がな一日美しい王女の世話をし、必要ならばこれまた美しいボディーガードと会話ができるのだ。
こんなに甘い蜜を吸える職が他に有ろうか、というのが彼女たちの意見である。
しかしそれは、とんでもない間違いで。
レイは日々、それはもう毎日のように戦っていた。
「姫っ!何ですかそれは!」
「虫」
宵に浸りかけた、緋色の空。
それを背景にそびえ立つ城の一角にある、王女にあてがわれた湯浴み場に侍女の声が響き渡った。
「虫、ではありません!私は毎日毎日あれほど節度をお考えくださいと……!」
「レイ、声が大きいわ。鼓膜が破れてしまうでしょう」
「反省してくださいお願いします……!」
れっとして虫のせいだと言い張るクランベリーの胸元に散る、紅。
それは胸元だけに留まらず、首筋から、はたまた太股にまで鬱血を広げていた。
「そんな虫がいるものですか!良いですか姫、明日着るドレスの事をお考えになってくださいませ」
「そこなのね、気にするところ」
「もう何も申し上げられませんわ!」
それが何の跡で、誰のせいなのかまで侍女は聞かない。
大体の察しはとうの昔に確信に変わっていたのだ。
それは彼女が初めてクランベリーに仕えた、三年前。
侍女として城に初めて仕えた、レイが十七の冬。
「……あの、クランベリー姫様。その胸元の跡は……」
「ああ、昨夜虫に刺されてしまったの。何でもないわ、気にしないでね」
身体を清める手伝いをしている途中に訪ねた新参者の侍女に、当時15だったクランベリーは笑った。
今思えば虫などという言葉は言い訳に過ぎなかったのだが、その時彼女は不審に思いながらも納得した。
何より、王女に対して口答えをする勇気がなかったのだ。
しかしその「跡」はその翌日も、その翌々日も続き、鈍かったレイもやがて真実を感じ始めた。
そして決定的な確信を持ったのは、彼女が配属されて三ヶ月ほどたった夜。
湯あみを手伝いながらも、やはり気になる。
「クランベリー様、やはりその跡は………」
「虫よ。」
「………でもそれってもしかしてキスマ」
「ああ、のぼせてしまいそうだわ。もう出るわね」
「えっ」
決死の覚悟で出そうとした単語を遮られて、レイは一瞬呆然とした。
しかし彼女の表情は、次の瞬間にさっと青ざめた。
裸のまま、タオルも持たず脱衣所に向かうクランベリー。
あの脱衣所には護衛の為にヘキが控えていたような。
「……きゃー!クランベリー様、お待ちください!そちらにはまだ碧様が!」
滑って転びそうになりつつも王女の元に駆け寄り、閉められた脱衣所との境界のドアを跳ね開けた。
「クランベリー様!おまちくだ………あれ?」
その場に広がっていた光景。
「なあに、レイ。騒がしいわよ。元気があるのは良いことだけどね」
夜着を身に付けながら振り返る王女と、平然とその傍に佇むボディーガード。
女の勘、というべきか。
その時レイは全てを悟った気がした。
そして3年後。
「……ですから姫、その虫ネタ、いつまでひきずるおつもりですか」
「ネタじゃないわよ。本当よ?まあ、結構大きな虫かもしれないけど」
「…………さようでございますか」
城には様々な役職が有る。
兵であり、料理師であり、召使いであり。
彼らは時を追うごとに昇進し、入れ替わっていくのが常である。
しかしその中でも王女の傍に使える侍女には、ここ数年変化がないという。
その理由は、侍女であるレイだけの胸の内にある。