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戯れる宵  作者: 葉月 叶
6/10

冷夜の熱


新たなる始まりに、希望を願う。



願わずにはいられない。 ―――どうかいつまでも、いつまでもそばに。




***



それはもう、その年が終わろうとしている日。



「あら……もうこんな時間」



開いていた本を閉じて、クランベリーは顔を上げた。

窓から見上げる空はすでに薄暗く、灯りをつけようと立ち上がって――よろけた。


「え」


ぐらりと反転した視界が一瞬真っ白に瞬き、次に見たのは自分のボディーガードの漆黒の瞳だった。

傍にいたヘキに支えられたことに気づくのに、なぜかいつもよりも時間がかかる。


「姫、いかがされましたか」

「え……、どうしたって」

立ち上がったら、立ちくらみがしてしまった。

長い間座っていたからだろうか。

考え込むクランベリーを受け止めたまま、ヘキはしばらく黙って彼女の顔を見つめていた。

それからおもむろに、先ほどまで彼女が座っていた椅子にクランベリーを促した。


「ちょ……ヘキ? どうしたの?」


「失礼」


戸惑う王女を気にせず、ヘキは手を伸ばした。

両手はクランベリーの首筋を覆うようにして首を支え、額をあわせる。

「え、え? 何?」

突然縮まった距離にわずかに頬を染め、クランベリーはあわててヘキを引き剥がした。

数年前に比べれば、随分な譲歩である。以前なら引き剥がすどころか頬を張っていただろう。

妙なことを考えている時点でおかしいことに気づくべきなのだが、クランベリーはそちらにも気が回らない。



「姫」


「だから、何なのさっきから」


「熱いです」


「……は?」





ヘキの言葉が要領を得ないというか、端的なのはいつものことだが。

「どういうこと?」

「熱があります。風邪を召されたのではありませんか」

「最初にそれを言ってもらえれば助かるんだけど」

「は」

つまりは、とクランベリーは考える。

自分の思考がどうも冴えないのは、熱のせいなのか。

自慢ではないが、ここ数年は大きく体調を崩したこともなければ、熱を出して寝込んだこともない。

何か感染症でも流行っていただろうかと思い起こすが、心当たりは無い。


「申し訳ございません」

「もういいわよ。言いたいことは一息に言ってもらえると助かるだけ」

「ではなく」


そこで、クランベリーは気づく。

目の前で膝立ちになり、椅子に座る自分の顔に手を添えている男。

ヘキの言葉は、危うい。

「昨夜は冷え込みましたゆえ、お体を冷やされたのは私の所為かと」

「もういいから! そうね! そうかもしれないわね!」

慌ててその口を塞ぐも、時すでに遅かった。


「………碧様? あれほど姫に無理をさせるなと私、言いませんでした……?」

部屋の隅では、レイが花瓶に花を活けていた。

先ほどまでのやり取りは見て見ぬ振りをしていたようだが、ここを無視することはできなかったらしい。

背後に漂うオーラに、クランベリーは息を呑んだ。


「無理などさせておりませんが」

「その言い訳は聞き飽きました。まったく、姫も姫ですよ! あれほど碧様に気を許さないように申し上げましたのに!」

「……何のことかしら」

「それも聞き飽きました! いいですか、大体………、姫? ちょ、姫!」

「姫!」


レイの説教が次第に遠ざかる。ヘキが呼ぶ声も、薄らいでいく。

ぼんやりとしていた思考にさらに霧が掛かり、クランベリーは身を預けていた椅子に凭れた。

そのまま意識までが薄くなる。

その先のことを、余りよく覚えていない。
















初めに目に入ったのは、視界の端を陣取る黒い色彩だった。

あまりにも見慣れすぎたその色は、クランベリーに覚醒を促す。


「う……」


はっとしたように影が動いて、クランベリーが重い瞼を押し開けた時には、目の前にヘキの顔があった。

いつもの無表情がどこか翳って見えるのは、気のせいだろうか。

そういえば、ヘキが来てからはあまり重い病についたことが無かった気がする。



「姫、どこか痛むところは」


「……ない、わ」


「苦しいなどは」


「……すこしだけ」



起き掛けなのになぜか質問攻めに遭い、クランベリーは内心で首を傾げた。

ヘキは、ここまで饒舌だっただろうか。

時によってはよく話す男だが、あまりこちらの領域を侵そうとはしてこない。

そこまでぼんやりと認識してから、クランベリーはある考えにいきついた。


(まさか)


心配、しているのだろうか。

彼が今まで生きてきた環境を、直接本人に聞いたことは無い。

けれど、想像することは幼いながらも聡かったクランベリーには容易かった。


人の死を、当たり前に見てきた瞳。


戦の中を、生きてきた独特の空気。


傷による高熱で死した者もいただろう。重い病に倒れた者も、いただろう。

過去を探ろうとは思わないが、その中でヘキが近しい者の弱る姿を見たことがなかったとしたら。

ただ、その消えゆくものと隣り合わせに生きていたのだとしたら。

たった、独りだったとしたら。


「姫」


「大丈夫、だから」


手を伸ばす。


身動きしない男の頬に、掌を添える。

ぬくもりを、伝えるように。

生きているのだと、伝えたかった。

「ね、大丈夫。………こんな熱に、負けないわ」

悪戯っぽく笑って見せると、ヘキはやっと表情を改めた。

どこかほっとしたようなそれに、クランベリー自身も安心した。

壊れてしまいそうな男を、見ているのは嫌だった。


「は。それでは、医師を呼んで参ります」


身を起こす前に一瞬クランベリーの額を唇が掠めて、声が遠ざかる。

相変わらず気障な男だ、と苦笑して、クランベリーはもう一度瞳を閉じた。





「姫。姫は、羨ましいくらいに愛されておられるのですね」

レイの声が聞こえて、もう一度ゆっくり目を開ける。

ベッドの端に座る気配がして、冷たい手が瞼を閉じさせた。

「眠っていてください。これは、わたしの独り言です」

「………?」


「碧様、今までにないくらい慌てていらっしゃいました。あの人の表情が変わるなんて、初めて見ましたわ」


「姫が意識を失った瞬間に血相を変えて、死ぬのかと聞くのですもの。失礼ながら、笑ってしまいました」


「敬語まで忘れてしまうくらい、姫のことしか頭に無かったのでしょうね」






「姫、どうか、いつまでも二人ご一緒に………」





瞼に触れる手の冷たさが、火照った肌にひどく心地よくて。



その先の言葉を、クランベリーは知らない。





厳かな鐘が、城下に響く。

旧年の終焉と、新たな年の境界を示す音色は、静かな夜のとばりに落ちた。

その鐘に願う者を、包み込むように。




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