亡き大陸にて
大きな、争いがあった。
たくさんの命と、建物と、自然と、それから国家が堕ちていった。
滅ぼした国と、滅ぼされた国。
前者には、「鬼神」と呼ばれた黒騎士が存在していた。
勝利の際には幾人もをその手に掛け、崇め奉られたというその一人の兵士は。
十七になったばかりの、少年だった。
***
少年は漆黒の髪に漆黒の瞳、さらに装束、刀まで黒に塗り固められた、まさに「黒騎士」に相応しい容貌をしていた。
怜悧な表情には何も浮かんではおらず、ただ命令を遂行するだけの毎日だった。
振るう刃には、迷いも情も存在しない。
生まれ落ちたその日から、少年はそういうふうに育てられてきた。
しかし、その境遇に対して特に不満を言うでもなく、少年は黙々と指令に従い続けた。
兵の多くはそんな少年を畏怖と尊敬の眼差しで見つめていた。
国王は、自らがそう育てた少年を満足げな笑いで見つめていた。
やがて大きな争いが起こり、それは大戦へと形を変えていった。
今はもう、両の国家は存在していない。
度重なる戦の中、少年を戦いに置き去りにしたまま、滅んでいった。
戦いの無くなった国に、少年の居場所は無かった。
少年は既に青年になり、その歳は二十を数えていた。
「……そこの男。大丈夫か?」
荒れ果てた大地に座り込み、立てた膝に顔を埋めていた青年に、声を掛ける者がいた。
「………」
何も答えない青年に、男は怒る様子も見せずに再度問う。
「戦いは、終わったのだろう? なぜこんな場所にいる?」
荒廃し、最早人の住む地ではなくなったかつての国家。
見渡す限り、瓦礫の山である。
そんな場所に人がいるとは思わなかったのか、男は不思議そうな声色で問う。
かくいうその男も、こんな所に来るとは酔狂なものだ、と青年はうっすら思った。
求めたものはなく、求める心すら失う前に持っていない。
どうすればいいのかも分からぬまま、ここで朽ちるも良しと思っていた矢先であった。
「このままここにいれば、餓死してしまうだろう」
「……もとより戦いに捧げた身。惜しくはない」
初めて返ってきた返答に、男は一瞬息を呑んだようだった。
「きみは、いくつだ? どこの軍の所属だ?」
問いに、数字とかつては勝利した国の名前を呟くと、男は青年の目線まで屈み、視線を合わせた。
「では、『黒騎士』とは君のことなのか?」
もう随分昔に聴いたような呼称。
確かに自分はそれで呼ばれていた。けれどもう、遠い昔のことに思えてしまう。
軽く頷くと、目の前の男は少し考え込んだようだった。
「……どこへなりとも突き出せばいい。あれだけ殺せば、ずいぶんな額になっているのだろう」
沈黙がどことなく苦しく、青年は吐き捨てるように呟いた。
強い将の首をとれば、それなりの額は出るものだ。
その報償を出す国が、今存在しているかどうかはまた別問題ではあるが。
「見たところ、高貴なお方のようだ。私産の足しにするがよかろう」
上質な絹の装束をちらりと見て、青年は再度促した。
自害することすら、億劫だった。
漆黒に塗られた剣は、いくら血潮を斬ってもその色を深くすることはない。
けれど、その重さは段々と増しているように思えた。
「そうだな、私が君を引き取ろう」
暫くして、男はそう明言した。
ああ、これでやっと、死ねるのだろうか。
顔を上げると、立ち上がったのか上にある男の目と視線が合わさった。
「殺さぬよ」
さらりと言われた言葉に、硬直する。
「なぜ」
本心からの問いかけに、男は軽く笑った。
「この戦は、私には何の関係も無い。私は部外者であり、傍観者でもあった。関わる気もない」
そして、と男は微笑む。
「私は、君の正体を知らないのだから」
自分から聞き出しておいて、全て聞かなかったことにするらしい。
呆れるより先に、その真意を掴めなくて青年は疑念の表情を浮かべた。
「……また、戦があるのか?」
「いや、私のいる国にはそんな気配は無いがね。ただ」
「ただ?」
男は、その笑みを深く、けれど鋭い瞳に変えて。
「護って欲しい、者がいる」
それは、支配者の目だった。
「………どこの国だ」
直接の疑問を言葉にはせず、了承の意味を込めて青年は立ち上がった。
この目に付いていっても、信用しても、きっと大丈夫なのだという妙な確信があった。
居場所を用意してくれるというのだから、従わない気も無い。
「さあ。着いてからのお楽しみだ」
そう言って、男は先導するように歩き出した。
「そうだ、そなた、名は?」
「―――ヘキ? 泣いてるの?」
王女の言葉に、男はふと視線を上げた。
いつの間にか昔の記憶に浸っていたのだろうか、突然引き戻された思考にぼんやりとしてしまった。
しかし、泣いている?
「私がでしょうか」
「ええ。違ったらごめんなさいね」
だけど、とクランベリーは続ける。
「いつも無表情なのはわかるんだけど、でも……どうしてかしら」
かなしいことでもあったの、と覗き込んでくる碧眼に、あの日の空を思い出す。
荒廃した大地には不似合いなほど、鮮やかな快晴の日であった。
感傷に浸っている暇などなかったあの頃。
人を愛することを、知らなかったあの頃。
なんの因果か、連れられて辿り着いたのは、海を越えた豊かな大地だった。
あれから、幾つの夜をすごしただろう。
忘れることのない記憶と、新たに書き加えられた記憶は、自分の中に仕切りを持たず存在している。
生きる価値を、与えてくれた。
愛する意味を、与えてくれた。
温かい熱と、知らなかった幸福と。
いつも変わらず向けられる微笑みと。
「気のせいでしょう」
「そう?」
「ええ。泣いていると言えば、姫の方こそ、喉の方は大丈夫でしょうか」
「は? 喉?」
「は、少々啼かせすぎたかと」
「泣く? ………、………だからそんなことをさらりと口に出すなと言っているでしょう!」
「申し訳ございません」
そして、知らなかった微笑み方を教わった。
そして青年は、新たな大陸にて、今日も変わらずその漆黒を翻す。