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戯れる宵  作者: 葉月 叶
3/10

亡き大陸にて


大きな、争いがあった。

たくさんの命と、建物と、自然と、それから国家が堕ちていった。

滅ぼした国と、滅ぼされた国。

前者には、「鬼神」と呼ばれた黒騎士が存在していた。

勝利の際には幾人もをその手に掛け、崇め奉られたというその一人の兵士は。



十七になったばかりの、少年だった。





***





少年は漆黒の髪に漆黒の瞳、さらに装束、刀まで黒に塗り固められた、まさに「黒騎士」に相応しい容貌をしていた。

怜悧な表情には何も浮かんではおらず、ただ命令を遂行するだけの毎日だった。

振るう刃には、迷いも情も存在しない。

生まれ落ちたその日から、少年はそういうふうに育てられてきた。


しかし、その境遇に対して特に不満を言うでもなく、少年は黙々と指令に従い続けた。

兵の多くはそんな少年を畏怖と尊敬の眼差しで見つめていた。

国王は、自らがそう育てた少年を満足げな笑いで見つめていた。


やがて大きな争いが起こり、それは大戦へと形を変えていった。

今はもう、両の国家は存在していない。

度重なる戦の中、少年を戦いに置き去りにしたまま、滅んでいった。



戦いの無くなった国に、少年の居場所は無かった。

少年は既に青年になり、その歳は二十を数えていた。


















「……そこの男。大丈夫か?」



荒れ果てた大地に座り込み、立てた膝に顔を埋めていた青年に、声を掛ける者がいた。

「………」

何も答えない青年に、男は怒る様子も見せずに再度問う。

「戦いは、終わったのだろう? なぜこんな場所にいる?」

荒廃し、最早人の住む地ではなくなったかつての国家。

見渡す限り、瓦礫の山である。

そんな場所に人がいるとは思わなかったのか、男は不思議そうな声色で問う。

かくいうその男も、こんな所に来るとは酔狂なものだ、と青年はうっすら思った。

求めたものはなく、求める心すら失う前に持っていない。

どうすればいいのかも分からぬまま、ここで朽ちるも良しと思っていた矢先であった。



「このままここにいれば、餓死してしまうだろう」

「……もとより戦いに捧げた身。惜しくはない」



初めて返ってきた返答に、男は一瞬息を呑んだようだった。

「きみは、いくつだ? どこの軍の所属だ?」

問いに、数字とかつては勝利した国の名前を呟くと、男は青年の目線まで屈み、視線を合わせた。

「では、『黒騎士』とは君のことなのか?」

もう随分昔に聴いたような呼称。

確かに自分はそれで呼ばれていた。けれどもう、遠い昔のことに思えてしまう。

軽く頷くと、目の前の男は少し考え込んだようだった。



「……どこへなりとも突き出せばいい。あれだけ殺せば、ずいぶんな額になっているのだろう」

沈黙がどことなく苦しく、青年は吐き捨てるように呟いた。

強い将の首をとれば、それなりの額は出るものだ。

その報償を出す国が、今存在しているかどうかはまた別問題ではあるが。

「見たところ、高貴なお方のようだ。私産の足しにするがよかろう」

上質な絹の装束をちらりと見て、青年は再度促した。

自害することすら、億劫だった。

漆黒に塗られた剣は、いくら血潮を斬ってもその色を深くすることはない。

けれど、その重さは段々と増しているように思えた。




「そうだな、私が君を引き取ろう」



暫くして、男はそう明言した。

ああ、これでやっと、死ねるのだろうか。

顔を上げると、立ち上がったのか上にある男の目と視線が合わさった。


「殺さぬよ」


さらりと言われた言葉に、硬直する。

「なぜ」

本心からの問いかけに、男は軽く笑った。

「この戦は、私には何の関係も無い。私は部外者であり、傍観者でもあった。関わる気もない」

そして、と男は微笑む。


「私は、君の正体を知らないのだから」


自分から聞き出しておいて、全て聞かなかったことにするらしい。

呆れるより先に、その真意を掴めなくて青年は疑念の表情を浮かべた。

「……また、戦があるのか?」

「いや、私のいる国にはそんな気配は無いがね。ただ」

「ただ?」



男は、その笑みを深く、けれど鋭い瞳に変えて。







「護って欲しい、者がいる」







それは、支配者の目だった。




「………どこの国だ」

直接の疑問を言葉にはせず、了承の意味を込めて青年は立ち上がった。

この目に付いていっても、信用しても、きっと大丈夫なのだという妙な確信があった。

居場所を用意してくれるというのだから、従わない気も無い。

「さあ。着いてからのお楽しみだ」


そう言って、男は先導するように歩き出した。


「そうだ、そなた、名は?」
















「―――ヘキ? 泣いてるの?」


王女の言葉に、男はふと視線を上げた。

いつの間にか昔の記憶に浸っていたのだろうか、突然引き戻された思考にぼんやりとしてしまった。

しかし、泣いている?

「私がでしょうか」

「ええ。違ったらごめんなさいね」

だけど、とクランベリーは続ける。

「いつも無表情なのはわかるんだけど、でも……どうしてかしら」

かなしいことでもあったの、と覗き込んでくる碧眼に、あの日の空を思い出す。

荒廃した大地には不似合いなほど、鮮やかな快晴の日であった。



感傷に浸っている暇などなかったあの頃。

人を愛することを、知らなかったあの頃。


なんの因果か、連れられて辿り着いたのは、海を越えた豊かな大地だった。




あれから、幾つの夜をすごしただろう。



忘れることのない記憶と、新たに書き加えられた記憶は、自分の中に仕切りを持たず存在している。

生きる価値を、与えてくれた。

愛する意味を、与えてくれた。

温かい熱と、知らなかった幸福と。

いつも変わらず向けられる微笑みと。



「気のせいでしょう」

「そう?」

「ええ。泣いていると言えば、姫の方こそ、喉の方は大丈夫でしょうか」

「は? 喉?」

「は、少々啼かせすぎたかと」

「泣く? ………、………だからそんなことをさらりと口に出すなと言っているでしょう!」

「申し訳ございません」



そして、知らなかった微笑み方を教わった。



そして青年は、新たな大陸にて、今日も変わらずその漆黒を翻す。




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