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戯れる宵  作者: 葉月 叶
2/10

水面に棘

届いたのは、大輪の薔薇が300ほど。



***



ずっしりと重そうな花束を抱えて、男は頑丈なドアをノックした。

無駄なく筋肉の付いた長身に靡くのは漆黒の髪、鋭いのは漆黒の瞳。

今年18になるこの国の王女、クランベリー・R・リアレスト。

麗しき姫のボディーガードを勤める、ただ一人の男。



名を、ヘキ。

異国の文字で、「碧」と書く。






「……だれ?」

かすかに聞こえた主の声に答えて、男は一言「私です」と呟く。


その声に反応するように、「いいわよ」と部屋から声がした。

鈴を転がすようでも、ハスキーな声色でもない。

ただどこまでも透き通った、触れただけで穢れてしまいそうなほどに澄んだ声。

花束を片手に抱え直して、男は重い扉をいとも容易く押し開けた。




「………なに、それ」

「花束です」

「見れば分かるわよ。誰?」

「隣国のヤマト王子からです」

「……今度は何て?」

「97回目のプロポーズだそうです」




部屋に沈黙が満ちる。

元々お互いに口数が多いわけでもないので、こういった沈黙は少なくない。

特にヘキは端的に言葉を発するために、クランベリーはたまに意地で喋り続けることもあるほどなのだ。


けれどもやはり、気まずいものはある。

そもそもなぜボディーガードがここまでしているかというと、他の人材を姫自身が求めないからだ。

一度有能な者を雇ってしまったために、他では物足りなくなった。

取りあえずそういう理由を彼女は通しているが、真相は不明である。

しかし確かに、他の者達は下手に結婚を薦めたり、意見が噛みあわなかったり、つまり自分と意志疎通の出来ない者ばかりなのだ。

彼女は特に婚約を持ちかけてくる王子達を斬ったりはしないが、かといって結婚する気もない。

放っておけばいい、そう思っているだけだ。



「姫」

「なあに」

「お部屋にお飾りしましょうか」

「その薔薇?すごい量ね。……あの男のくれた物なんて飾りたくないんだけど」

ぼそりと本音を漏らして、ヘキを見上げる。

有ったのは、いつもと変わらない無表情。

「お捨てになりますか?」

「それも勿体ないわよね」


うーん、と考え込む。


「では姫」




自分からはいつも喋らないヘキが、珍しく口を開いた。

「提案?」

「はい。妙案かと」

「あら、めずらしい。自信たっぷりね」


いつもは見せない笑みのようなものを僅かに口の端に浮かべて、ヘキはおもむろに薔薇を一本取る。

棘がささったが、訓練を重ねた手は細いようでしかし頑丈なので、出血はない。


真紅の花は、正直クランベリーには似合わない。

シルバーブロンドに、透き通るように深い碧眼。華奢な身体に、真っ白な肌。

真紅は情熱の色だ。

しかし彼女に、それは合わない。



クランベリーは黙ったまま、ヘキの動向を見つめている。

日は傾き、部屋には影が長く落ちた。


無駄のない動作で、ヘキは花を自分の口元に寄せた。

そして、静かに唇を落とす。

愛おしむ様なその動作に、クランベリーはかるく苦笑した。――嫉妬、したかも。

たかが花。


けれども彼の寵愛を受ける、その存在が。

けれども彼を傷つける、その棘が。






「姫」

俯いていたヘキが急に顔を上げたので、2人の視線はぴたりと絡んだ。

「……なんの真似かしら」

「これでこの花は、ヤマト王子からのものではありません」

「は?」


一輪の、愛の花。



「私から、姫へ」


そう呟くように口に乗せて、ヘキは手に持った薔薇をクランベリーの髪に挿した。

耳の真上、丁度こめかみの位置。


「……鏡が無いのが残念ね」

「鏡など見なくとも、充分にお美しいですよ」

「あなた、言っていて歯が浮かない?」

「なぜでしょう」


黙ったクランベリーをそのままに、ヘキは花束を持ったまま窓辺に寄った。

防犯のために、窓の外は湖になっている。

そこに、彼は躊躇なく薔薇の山を放った。

「……思い切ったことするわね」

「一本で充分でしょう」

それに捨てたのではなく、窓の外の景色を飾っただけです。

言葉を綴るヘキに、クランベリーは内心で「それを捨てたと言うのよ」と反論したが――、

「そもそも、姫に差し上げる花から棘をとっておかないなど、それだけで腹立たしい」

めずらしくぼそりと呟かれた本音が聞こえてしまえば、口を閉じて顔を俯けるしかなかった。



窓辺に自分も寄って、水面を覗き込む。

もう日が落ちて、散っている筈の大輪達は輪郭がぼんやりと見えるだけだ。

「見えないじゃない。日が昇らないと……」

言いかけて、クランベリーはふと顔を上げた。

ふわりと、身体を包む熱。



「ヘキ?」


「もう、夜ですから」


「……そうね」



後ろから伸びた長い腕が、静かに窓を閉める。

やがて訪れる宵を予感させる凪いだ瞳が、クランベリーを見つめていた。

















次の朝、水面を覗いても、花は一輪も浮いていなかった。

「……片づけたわね」

起きたときに隣に居ないのは常だが、寝ているうちに掃除してしまったらしい。

「まあ、いいか」


呟いて微笑んだ彼女の視線の先には、クリスタルの細身の花瓶に生けられた、一輪の薔薇があった。






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