初雪の大祭
静かに舞うのは、風花。
大祭の折、どこか浮き足立つ王都の街。
「……初雪、ね」
「は」
空を見上げて小さく呟いた王女の言葉に、男もまた小さく声を返した。
***
息が白く凍る、氷点下の季節が来る。
「クランベリー、街へ降りてこないか」
突然の父王の言葉に、王女は目つきを胡乱げなものに変えた。
「どうなさったのです、突然」
「それなんだが、明日は何の日か知っておるか?」
「……いえ、存じ上げませんが」
首を傾げた娘に満足げに微笑むと、国王は内緒話をするかのように声を潜めた。
「一年に一度の、玉屑祭が王都で催されるのだよ」
「……ギョクセツ祭?」
聞き慣れない単語に再度首を捻る。
呆れたように娘を見ると、国王は彼女の斜め後ろに直立不動で立つ男に目を向けた。
「何だ、知らんのか。――――碧」
「は」
「クランベリーに付いて城下へ。玉屑祭をお忍びで視察してきてほしいのだよ」
どうしても離れられない会議が入ったのでな、と苦笑して、国王は王女を促した。
「ほら、あとの説明は碧に任せる。準備をしなさい」
「ちょ、お父様?」
「行った行った」
ばたん、と私室を閉め出され、クランベリーは呆然と立ち尽くした。
何だったのだろう、と自問しても分からないものは分からない。
考えるのを早々に放棄して、自分のボディーガードを降り仰ぐ。
「ヘキ」
「は。ご説明させていただきますので、お部屋へ。ここに居ては風邪を召されます」
本当に王女の身体を心配しているのだろう、ヘキはいつもよりも強引に王女の背を押した。
「風邪って」
「今宵は冷えます。風に、雪の香りが混じっております故」
「雪の香り?」
「は。さ、お部屋に」
なおも促され、クランベリーはそこで話を中断せざるをえなかった。
「―――、だいたい理解したわ。つまり、初雪を祝う年中行事ね」
「そのようなものです」
「……姫、ロマンティックな乙女心を持ち合わせてはおられないのですか」
淡泊な主従の会話に口を挟んだのは、唯一二人の事情を知る侍女のレイだ。
「碧様もです。祭りの主旨だけ説明してどうするのです。姫、玉屑祭には別の意味もあるのですよ」
「あら、そうなの?」
「はい。碧様はご自分の用意をなさってください。私は姫の明日の装いを試しますので」
ここまで王女とそのボディーガードにものを言えるのは、どこを捜しても彼女だけである。
ハキハキと喋ってヘキを部屋の外に追い出すと、侍女はにこりと微笑んで王女に向き直った。
「姫、私が教えたということは内緒ですよ。下町の娘達の好む言い伝えですからね」
翌日、太陽が真上に昇る時刻。
もっとも、今にも降り出しそうに灰色に染まった空にその姿は見えないが。
例によって使用人達の見送りを受け、二人は城を出た。
クランベリーにとっては二度目の外出である。
まだ見慣れない城壁の外の景色は、以前も同じ男の横で見たものだ。
あの時は青く繁り、生命力を全開にしていた木々も、今はただ花咲く季節を待って眠る。
風が吹いても、揺れる葉を持たない森は、いつにも増して静かだった。
「寒……」
「大丈夫ですか」
「ええ、平気よ」
にこりと笑って、クランベリーは足を速めた。
「楽しみだわ!結局昨夜も雪は降らなかったもの」
喋るたびに白い息が一瞬漂い、融ける。
「姫は雪が」
「ええ、好きよ!」
いつにも増して楽しそうに笑う王女を、ヘキは無表情の漆黒で見つめた。
その視線に気付いているのかいないのか、クランベリーは弾むように前進する。
いつもは王女としての責任を考えているのか、王女自身も無表情に近い。
微笑みも完璧に創り上げられたものに過ぎず、彼女の仮面を剥ぐことは困難なのだ。
――――ヘキを、除いて。
自分の前だけで素直に微笑むことを知っているからこそ、尚愛しい。
「参りましょう。祭りはもう始まっております、……クランベリー」
その言葉に、王女は一瞬瞠目してから笑みを深くした。
ヘキ以外の誰も知らない……彼のためだけの、鮮やかで魅力的な微笑みだった。
街は大いに賑わっていた。
以前の喧噪とは比べものにならないそれに、クランベリーは唖然とする。
前回も隙を作らぬようにと言い聞かせたのだが、その努力は一切無に帰してしまっていた。
果物を売る民、駆ける子供、物乞い。
色とりどりの旗と、どこからか聞こえる響く音律。
それはクランベリーが初めて触れる「祭」だった。
「クランベリー」
「……なあに」
「前を向いて歩いてください。ぶつかります」
「……ん」
「クランベリー」
「……えー?」
「そちらの路地には入られない方がよろしいかと」
「……んー」
そんな会話が延々と続き、周囲が薄暗くなった頃。
「……クランベリー」
「なあに……って、え!?」
痺れを切らしたのか、ヘキの声が低くなった。
それと同時に、クランベリーの身体が傾ぐ。
「……ヘキ、手」
「こうしておかないと貴女は危険です」
「でも」
「大丈夫です。誰も気にいたしません」
指を絡めると、二人の間の距離が少しだけ縮まった。
「ねえヘキ」
「何でしょうかクランベリー」
「ドキドキ、するね」
「左様ですか」
いつも通りの端的な受け答えに、僅かな喜色を王女は感じ取る。
無表情の奥に隠れた彼自身が、何に対してそれを感じているのかはわからなかったけれど。
(それでも)
互いの片手に灯る温もりに、すこしでも喜びを感じてくれたら。
「……あ」
ちらり、ちらり。
舞うのは風花。
「……初雪、ね」
「は」
「………きれい」
空を見上げて、「少女」は微笑む。
同じ微笑みを傍らの男に向けると、珍しく微かな微笑みが返ってきた。
普段何も感情を移さない漆黒の瞳が、笑みの形を象る。
「……っ」
それにどうしようもなくはやる鼓動を押さえて、クランベリーは再び雪を見つめた。
「きれい」
もう一度呟いて、こて、と頭をヘキの上腕に預ける。
「冷えて参りました」
小さく呟かれて、一度手を解かれ、男が羽織っていた漆黒の外套で包まれる。
「ありがとう」
「いえ」
そのまま離れるのかと思っていたが、ヘキはもう一度白く細い指に、自分の指を絡めた。
軽く握られて、握り返して。
繋いでいない方の手が伸びて、王女の顎に掛かった。
「――――――」
一瞬で離れた唇は、寒さのせいか、氷のようだったけれど。
「後は城に帰って、ゆっくりと」
「……珍しいわね、そんなこと言うの」
「祭りですから」
「……そう」
昨日、レイに教えられた言い伝えが胸を過ぎる。
『玉屑祭に降った初雪の下で恋人と手を絡めて口づけると、永遠の幸せが約束されるそうですよ』
そして夜は更ける。
夜の帷を照らす、雪の結晶。
いつの間にか現れた月の光を反射して、ぼんやりと浮き上がった白。
それはまるで、恋人達の幸を歓ぶように。




