乙女の祈り
百の空よ、千の星よ、どうか。
どうか、この恋を。
***
「姫、爪が」
給仕に来たメイドのレイの言葉に、クランベリーは自身の爪を顧みた。
いつもよりも少しだけ伸びた、白く長い爪。
「あら……ちょっと長くなりすぎてるわね、危ないわ」
つめきり、と目を泳がせると、
「姫! 爪のお手入れなら私が!」
レイが必死の形相で叫んだ。
一国の姫が爪切りなんて! という言わなくても分かる訴えが痛い。
ボディーガードであるヘキはそういうことに無頓着なので、ほとんど口出しはしない。
しないが、思ったことは八割方口に出さないので、意志疎通はとても難しい。
レイの言葉に、クランベリーはいつものことね、と笑った。
「ありがとう。頼んでも良いかしら」
「はい、姫」
あからさまにほっとした顔を隠さないメイドに苦笑しつつ、王女は白く細い腕を伸べた。
ぱちん、という音が室内に静かに響く。
切ったら形を整えて、磨いて、綺麗にしておくのだ。
王女が爪を色に染めることをを好まないので、レイは徹底的に磨き上げてくる。
仕上げが綺麗なので、クランベリーはその作業をレイにしか頼まない。
右手が終わり、左手を取られたタイミングで、クランベリーがふと眉を顰めて口を開く。
「……そうそう、レイ」
「なんでしょう?」
「左の小指は切らないでね。整えるだけ」
「どうしてです、危ないのでしょう?」
「あら、知らないの?左の小指の爪を7ミリ伸ばしたら、恋が叶うの」
「…………」
「…………」
室内に、ヘキとレイの微妙な沈黙が流れる。
「なあに、二人して黙り込んで」
「いえ」
ヘキの興味無さげな返事とは裏腹に、レイは楽しそうに笑った。
もう少しだけこの美しい王女の想いを深堀したくなってしまった。
「姫、恋でもなさってるんですか?」
「ええ。決して叶わない恋を」
「あら、どうしてです?」
「ふふ、内緒。月や星に、手が届かないのと同じよ」
クランベリーは17、レイは20。
密やかに交わされる会話は、少女独特の雰囲気を秘める。
くすくすと笑いながらも、レイはクランベリーの左手をぐっと引き寄せた。
「では、切ってしまいましょう」
「えっ!?」
思いもしなかったレイの態度に、クランベリーは瞠目した。
「や、やめてっ! お願いっ」
「だめですよ。危ないでしょう?」
自分で言った言葉を反復され、ぐっと詰まる。
そしてその一瞬の隙。
ぱちん。
「きゃあ! もう、ダメだって言ったじゃない。折角あと1ミリだったのに」
いつもの冷静な態度から一変、本気で拗ねる王女に、レイは苦笑した。
「全くもう。いくつですか貴女は。碧様からも何か仰ってください」
話を振られて、ヘキがふと顔を上げる。
「姫。それは何かのまじないですか」
「もう……ちがうわよ、ただの願掛け」
「でしたらもう手遅れかと思われますが」
えらくあっさりと言ってくれる。
「……………」
「姫?お顔が赤いですよ。もう、碧様も昼間からきわどい発言しないでください」
「………レイ」
「はい?」
「何を勘ぐっているのかしら」
「さあ」
「…………そう、ならいいけど」
「いいじゃないですか。姫の恋は叶ってるどころか、痛いぐらい愛されちゃってるでしょう?」
悪戯っぽく付け足された侍女の言葉に、クランベリーは白旗を揚げた。