『生きていくだけでも大変な世の中みたいだけど、 何とかなるよね。』二
「方仁である」
そうドヤ顔でふんぞり返るおっさんの名前が、役名なのか芸名なのか・・・参った。知んない。
そんなボクの様子が判ったのか、顔を知らなかった時以上の、愕然とした表情をされてしまった。
「まさか宮中に居りし者で、我が諱を聞いて判らぬ者が居ろうとは…」
ヨロリといった感じによろめくおっさん。大げさな芝居がかった動きだ。やっぱり役者さんだな、これは。
てか、キってなんだろう。
「む、忌み名の事である…判らぬのか。」
あらやだ、この子無知ね。そんな空気をだすおっさん。
イミナって忌み名かな。いやまさか、まだ生きてる自分の名乗りに忌み名なんて使わないだろう。
・・・・・・まてよ。ボクの勘違いというか、知識が足りないだけなんだろうか。忌み名に他の使い方があるのかもしれない。忌み名以外のイミナなんて言葉わかんないや。
いや、ボクのせいじゃない!これはあれだ、「ゆ○り教育」が悪いんだ!
「正親町、これならばそちにも理解出来よう。」
流石に判るよね?って顔で言われ、その表情になんだかイラッときた。でもまあ、やっとおっさんが解った。
む、おっさんを解るって、なんかヤだな。
まあとにかく、おっさんは正親町。
たしか、安土桃山時代の天皇様のお名前だ。お公家さん役にされた時に、撮影のスタッフさんや、女官役のおばちゃん達に教えて貰ったから覚えている。
台本と同時に無料配布された、参考用にと資料が入れられたノートパソコンの中に入ってる資料には目を通していないので、正確にはわからないけど。
かなり古い中古とはいえ、ボクのようなお金に余裕の無い人間にはありがたかったなぁ、パソコン配布。
てかおっさん、大層な名前を名乗ったもんだなぁ。
とりあえず、今は乗っとこう。
「これは、天皇陛下!ご無礼致しました。」
そう言って頭を下げた。最敬礼である。
「天皇、陛下・・・」と首を傾げるおっさん。
あ、そうか。呼び方が当時と違うのか。
安土桃山時代の天皇様の呼び方なんてわかんないよ・・・。
めんどくさいな、おっさん。
ん~、適当でいいか。
ええと、みかど・・・だっけか。「帝、ご無礼の段、ひらに~」と適当な軽いノリで言い直す。
「ふむ、ようやっと判ったか。諱まで教えてやったというにわからなんだ折は、流石に気が滅入るかと思うたぞ。まぁよいよい、身なりの割に物知らずなのは解せんが、許す。面を上げよ」
お、帝であってたみたい。
ボクの態度に気を悪くした風も無く、偉そうな言葉遣いの割りに鷹揚で気安い感じのおっさんの言葉に従って、顔を上げる。
「さきほどより気になっておったが。童子よ、えろう濡れておるではないか。それもかような刻限に。如何したのじゃ。」
えー。気になってたんなら、さっさと拭くものとか貸してくれてもいいのに。
「それがボクにも何がなにやら。気づいたら、そこの池の畔で目が覚めまして…」
外廊にもなっている露台に腰を下ろしたおっさんの問いに、そう答える。実際、それしか答えようが無かったり。
「ふむ…その池とな。おかしいのう、左様な場所に人が居れば、内舎人の者共が気づこうものじゃが。」
腕を組みながら、はてと首を傾げ、
「そも、目を覚ます前はどうしておったのじゃ。」
「はい。セットの一つで、台本のおさらいをしている所までは覚えているのですが、そこからの記憶が…。この建物、そのセットとは別のもののようですし、わけがわかんない状況で。」
居眠りこいていたとは言わないでおこう。
「せっと?せっととはなんじゃ。」
「え、あー…(指導の一環かもしれないけど、つくづくめんどくさいなー)『大掛かりな舞台』、です?」
この例えでいいのかわかんないけど、これしか思いつかない。なので思わず疑問系。
もうちょっと日本語の勉強しないとだめだなー。日本人なのに。
「舞台とな。」
おっ、という顔になるおっさん。
「ほうほう。でわ童子よ。其のほう、猿楽か能にたずさわる者であるか。ならば咄嗟に朕の事わからぬのも、その衣の事も納得がいくものよのう。」
なんか知らないけど、納得してくれた。
このままだと話が進まないところだったので、ありがたい事である。
「して、いずこかの舞台に居った筈が、いつの間にやらそこの池に居ったとな。」
それはまたおかしきことよなぁ、なんて首を傾げつつ。
「それでここがどこか解らず困ってまして。ここはどの辺りになるんでしょうか。」
大きさ的に○○町のセットかな。暗くて全体は見えないけど、でもこんなセット、見たことないしなー。知らない内に、また建てられたんだろか。
「ここがいずことな?ここは内裏の中でも一番奥まった処、紫宸殿じゃ。ち…ええい面倒くさい。わしの寝所のすぐそばじゃわい。」
おおう。とうとうおっさんも、面倒になって成り切りをやめよった。その割に内裏とかなんとか設定を残してるけど。
素の言葉遣いは所謂「歳相応に近所のおっさん」な感じなのに、雰囲気は上品さがあって、なんだか不思議。
「え、ここに住んでいるんですか。」
「そうじゃよ。この棟は寝床につかっとる。」
腰を下ろして落ち着けながら、後ろを示す。
「怒られませんか。」スタッフさんに。
「わしのもんじゃからな。誰にも文句を言われる筋はないの。何度も言うが、わし、帝じゃし。」
「え、わしのもん、ですか。」帝を強調してくるな。
このおっさんが実は浮浪・・・エヴリデイ・アウトドアな方で、勝手に住みついてる、って可能性はない。この地域一帯にそういう類の方々は棲んでいないから。冬は雪が厳しくて、とてもじゃないけど外で生活とかできないもの。わざわざ越冬の為に県境を越えてまた戻ってくるような行動力がある人なら、そういう生活はしてないだろうし。
てことは、役者さんで出資者ってことかな。
「今は、じゃがな。」
今は、ってどゆことだろ。あー、お金出して建てたけど、まだ撮影用に寄付とかしてないってことか。
まあいいや、気にするのめんどくさい。
とにかく、おっさんの住居兼いずれは撮影セットって感じの建物なんだろうな。
こんな真っ暗ってことは間違いなく深夜だろうし、バスは動いてないだろう。朝までどっか部屋貸して貰えないか頼んでみようかな。
「あのー、ちょっとしたお願いがあるのですが。」
ご近所付き合いで鍛えられたてへへ笑いを駆使しつつ、一晩泊めて欲しいと素直に言ってみる。でへへじゃないとこが味噌だ。
「なんじゃ、そんなことか。」
おっさんはそう言って、あっさりとOKを出してくれた。
こんな真夜中に、どうやら迷子でしかも濡れ鼠の子供を、無碍に放り出す訳もなかろうと、逆に呆れられたり。
とにかくも、なんとかちゃんとした寝床が確保出来たみたい。平和な日本万歳。
実際の歳よりも若く見えることも幸いしたかな。こういう時は便利だ。こういう時は。・・・空しくなる、考えるのはよそう。
よし、これでバス停留所のベンチとかで夜明かししなくてすんだ。
ん?そういえば、池のなかで寝てたっぽいのに、まだ眠気がきっちりあるとは。
我ながらどんだけ・・・いや、気にすまい。気にしたら何かに負ける気がする。内舎人の者を呼んで説明がどうとかのおっさんの独り言も気にしない。
ボクも、スタッフさん呼ばれて面倒な事になるのは避けたいし。朝になったらさっさと穏便に去りたい。
そんなことより、
「あの、ちょっと上に着てるものとか脱いでいいですか。暖かいといっても、このままだと風邪ひきそうで。」
「おぉ、そうじゃったな。かまわん、かまわん。わしのことは気にせずともよい。好きにいたせ。」
いきなり脱ぎ出したらさすがに失礼だもんね。てか、なんだこいつって引かれても嫌だし。
一言断りを入れて、水分をたっぷり吸った着物を脱いでいく。
肌にへばりつくものが無くなって開放感に包まれる。
身を包んでいたものが無くなる事によって包まれる感覚が生まれるとか、日本語の表現って面白いな。
芯まで冷やされてた体が温かい空気に触れたせいかやってきた悪寒に、一瞬身震い。でもすぐに暖気による心地よさに。
タンクトップに短パンという姿になって、一心地。
あー、このかっこはやっぱり気楽でいい。
「童子、其の方…禿かと思うておったが。」
着物を脱いで身軽になったボクを見て、おっさんが何か言いかけてやめた。
さすがに初対面でいきなりこのカッコはまずかったかな。
「ふむ、わしが勘違いしておったようじゃ。許せ。」
え、なにを?てか勘違い?まさかボクが想像してたより更に年少に見られてたとかじゃないよね。れっきとした十代だぞ!
「わしは気にするような歳ではないが、その姿はさすがにちと障りがあろう。しばし待つがよい。」
そう言って、おっさんは建物の中へと入って行った。手になにやら持ってすぐに戻ってくる。
「これを羽織るがよい。」
そういって差し出されたのは、白い羽織だ。
・・・おっさんが気にしないって言うから脱いだのに、気にしてんじゃん。そんな気を使わなくていいのに。
まあ、いくら暖かいとはいえ、まだ体の奥は冷えている感はあるので、お礼を言ってありがたくお借りする。
「湯桶のひとつも供してやりたいとこじゃが、この時分ではの。」
「いえいえ、お風呂は明日うちに戻ってから入りますので、お構いなく。」
「風呂・・・?」
なぜそこで首を捻るのか。まさか、安土時代設定はしつこく生きてて、その時代にお風呂って言葉はなかったからとか。
・・・お風呂って無かったのかな?
「泊めてもらえるだけで、ほんと助かりますので。どうぞお構いなくです。」
「ふむ。そうじゃな。はよう暖めてやらんと、体に障るやもしれんしの。童、寝床はこっちじゃ、来るがよい。」
手招くおっさんを横目に、欄干に着物を干し掛けてからついていく。朝には乾いてるだろう。
床を足裏についた土で汚してそうで気が咎めるけど、あとで掃除してお詫びすればいいかと思うことにする。
それにしても・・・家具が全然ないな。
建物の中にお邪魔してから、目に付くものが全然ない。
ほぼ真っ暗な建物の中、かすかに見える範囲だけでもがらんとしていて、住んでるというわりには、部屋を区切る障子以外に本当になにもない。室内には畳も敷いてなくて、総板間だ。
すぐにセットとして提供する為なんだろうな。
外廊から数えて、三つ目の部屋に入る。
そこには灯りとなる、行灯だっけか、がある。
それと、何かが敷いてあるのも見えて、その敷いてあるものを囲むように、微妙に向こうが透けて見える位のすだれみたいなのが掛かったものがいくつか。
時代劇でよくみるアレらがある。ていうか、それらしか無い。ほんとに何もないな。
「別の部屋に寝床を用意してやりたいが、さすがにこの刻限に女房を起こすのも忍びないでの。ここを使ってくれるか。」
そう指し示された床に敷かれた物。
だだっ広い部屋の中に、畳らしきものが八畳分。
その上に、白い布団っぽいものが2畳分ほど。
布団っぽいものの上には小さな何かの台に、端に寄せられた・・・着物かな。うん、着物だ。それがある。
えーっと。
「わしもここで寝るが、童が気にせぬならわしも気にせぬ。好きに使うがよい。」
どっかと敷物の上に座りながらの、おっさんの言である。
うーん、板の上に直接寝るのは地味に避けたいから、泊めてもらう立場だし、否応もないけども。
それにしても、いくら夏場だからって、こんな寝具とも呼べないもんで寝泊りしてるのか、おっさん。
上品そうな見た目に反して、大雑把というか、ワイルドだな。
っていうか、女房って。他に人いたんかい。てか結婚してるんかい。それよりも奥さんまでここで生活しとんのかい。
なんて思ったりしつつ、それらの突っ込みいれるとか面倒なので、ばっちりスルー。
持っていた鞄を床に下ろして、とりあえず敷いてある畳っぽいものの端に腰を下ろす。
うん、今更だけど畳だね。やたら分厚くてごつい気もするけど、やっぱり畳だ。3段重ねで敷いてある。
そして敷き布団かと思いきや、厚みとかまったく無くて、いっそ気持ちいいくらいに薄い白い布。
見ていると、おっさんがのそのそと寝転び、端に寄せてあった着物を手繰り寄せる。
小さな台に頭を載せ、着物で体を覆い隠した。
あー、なるほど。これが枕に掛け布団なのか。うん、たしかに、時代劇とかで見たことがある光景だ。
って、おっさん設定に忠実すぎんでしょ!完全に役になりきって生活してんじゃん!ここまでやられると感心するけど、でもやっぱりドン引きだ!
もちろん口には出さないけどさ!
ふう、心の中で自己完結。これがボクの処世術。今日もばっちりだ。
「ほれ、遠慮はいらん。余っとるそれを好きに使うがよい。わしに稚児を好む趣向はない故に、心配せずともよいぞ。」
そう声をかけてくれるおっさん。
おう、ありがたい申し出である。しかし、稚児って。
何度でも言うけど、そこまで幼くは見えないと思うんだけど。いや、思いたい。
でもこの場合、それ位幼く見られてるからこその親切かもしれな・・・よそう。考えると色々くるものがある。
「では、遠慮なく。拝借?お邪魔?いたします。」
そう声を掛けて、白布の端っこをお借りして横になることにする。
色んな意味で雑魚寝には慣れた身の上、ついさっき会ったばかりの中年のおっさんのすぐ傍でも平気で寝れちゃう。
育ちの悪さも悪くない。
おっさんが、いかにも上品そうで善人オーラを出してるからってのもあるけどね。
ふむ、布団に比べれば勿論硬いけど、全然寝れるね。日本が誇る畳様、素晴らしい。
余ってた着物を一枚手繰り寄せ、体に被る。あらやだわ奥様、意外と快適。奥様って誰だよ、なんて一人ボケ突っ込みなんて真似はしない。ボケたらボケっぱなし、それが中途半端ボッチ。ふふ、自分が恐ろしい。
なんだか物足りなくて、鞄も手繰り寄せ、頭の下へ。うん、中々いい高さだ。若干のごつごつ具合は気にしない。高さが大事だ。
さて準備は万端。
「おっさ…みかど、おやす─って、もう寝てんのかい!」
思わず漏れでそうになったものを言い直しながら振り返って、おやすみの挨拶しようと思ったら明らかな寝息が。寝つきはえーな、おっさん。
見も知らない子供を泊めた上同衾させといて、警戒感とか緊張感とかそういったのがなさすぎるだろ。
あ、同衾とか言ってみちゃった、てへぺろ。
うん、…てへぺろとかないわー。
いくら心の中での独り言とはいえ、我ながらないわー。
反省しよう…。
一人で若干落ち込みながら、おっさんを見習ってさっさと寝ようと体勢を整え、顔を隠すように頭まで着物を被り直し、目を瞑った。
いつの間にか意識を手放したのは、すぐ後のことだった。
11/29 清涼殿→紫宸殿へ修正しました。