『生きていくだけでも大変な世の中みたいだけど、 何とかなるよね。』 一
ん~~~。
冷たい…なんだろ。
水・・・かな?
なんか、耳元でちゃぷちゃぷいってる。うん、水だね。
ん?あれ、もしかして、ボク水に浸かってる?
いやこれ、浸かってるよ!
訳がわからないまま、跳ね起きる。
やっぱり水に浸かっていたみたい。目の前に水面があり、未だ半身は水のなかだ。
おー・・・なんだこれ。状況がわかんない。
暗いぞ。真っ暗だ。
寝ていたのかな。水の中で?
考えのまとまらないぼーっとした頭で、とりあえず、冷たいので水の中から立ち上がる。
どうやら浅い池の端みたいで、足首まで水に浸かっている。
着ている服が水を存分に吸っていて、肌に纏わりついている上にやたらと重い。
見下ろすと、暗いながらも着ている物がぼんやり見える。見えなくとも、ある程度は着心地でもわかる。
普段着ているタンクトップにジーパンじゃない。
これは、和服だ。
それも、所謂「着物」というのとは違い、平安時代の貴族が着ていそうなやつである。
・・・なんぞ?
などと思ったのも少しだけ。
着ている物を見ていて、働かない頭でもはたと色々思い出す。
これはあれ、エキストラで参加していた時代劇物の衣装だ。
ま、時代劇とかその辺の詳しい話は今は置いておくとして。
今着ているこれは、その役の為の衣装。
地元特産特殊織りの綿の白い内着に、若草色に染められた総絹仕立ての上掛けの羽織が目にやさしく、それでいて鮮やか。の、はず。
暗くて今は見えないけれど、昼間に見たときはそうだった。
って、回想に耽りそうになったけど、衣装の事も、それにまつわる事もどうでもいい。ほんと、どうでもいい。
今は、この状況だ。
なんで池の中なんかで寝入ってたんだろ。
思い出せる記憶では、たしか衣装に着替えさせられて、台本読みながら出番待ちしていたはず。
それも、撮影の為に立てられた本格的な木造家屋の端っこで。
まぁ正確には、台本読もうとして居心地良さそうな部屋に入ったものの、気持ちよくなって居眠りこいてた気がするけど。
例えそこで居眠りこいたとはいえ、いや、だからこそ池の中に入る要素がない。
まさか、寝ている所をスタッフの悪戯で池の中に・・・?
いやいやいや。
そんなの無いだろうし、もしそうだとしてもこの状況はおかしい。
周囲に誰も居ない。人の気配がまったくないんだもの。
それに水の中にいれられて、即起きない程鈍いなどとは思いたくない。
で、あるならば、だ。
あるならば・・・なんだろう。
というか、そもそも、撮影機材がどこにも見えない。ある程度シーン撮りが済んで片したのだとしても、一切の機材が見える範囲にないなんて変だ。
照明用スタンドや、機材用のテントなんかもないのだから。
どこを見渡しても、街灯の灯りのかけらも見えない。
この辺りは撮影に影響されて街灯が増設された地域だ。いくら田舎ったって、灯りが見えないなんてそんなのありえないし。
気温はどうやら高いみたいだけど、水に浸かってたせいで体温が下がってて、ちょっと寒い。
いやはや、まったくわかんない。
そう口に出して、今更ながら池から出た。
すると裸足の足先に柔らかいものがあたる。目を向けると、影になった塊が。
しゃがんで手にとってみる。
これはもしや。
明かりの無い中、手探りでまさぐる。
手触りは、慣れ親しんだボクのデイバッグだ。
突然の雨だろうが、朝から降り積もる雪だろうがなんのその。田舎の若者の必需品。防水性抜群でしかも耐久に優れた特別製の帆布デイバッグである。
ボタンを外し、ジッパーを引き下ろし、中に手を突っ込む。
がさごそと中を手探りで漁り、月明かりのなか引っ張り出して確認する。
タオルが二枚。そして携帯式ウォシュレット(田舎のトイレにウォシュレットなんて期待しちゃダメ!)。愛用のスマートフォン(中古)にかなり型の古いノートパソコン(もちろん中古)。ワイヤレスイヤフォン。ソーラー兼ダイナモ充電式万能バッテリー(結構重い)。財布にノート一冊と小さなメモ帳が一つと、筆箱などの文房具。
うん、全部ある。
あえて言えば、台本だけがないけども。
一応念の為、財布の中身も・・・うん、あるね。小銭しか入ってない現実は無視。
よし、身一つでほったらかしにされた訳じゃなさそうだ。
そうとなったら、とりあえず人を探そう。
池から離れ、足裏にやさしい土の上を、一番近い建物へと向かって進む。
10m程も歩けば辿りつけたが、目線の高さ以上の位置に露台があり、とてものぼれそうにない。
こんなに高床のセット、あったかなぁ。
記憶に無いそのつくりに首をかしげつつ、とりあえずその縁にそって、あがれそうな所をさがしてみる。
しばらく歩くと、階段状になった部分があった。
早速あがろうとして、ふと立ち止まる。
綺麗に磨かれている筈の木材の建材の床に、この姿であがるのはどうか?
全身ずぶ濡れで、足は土で汚れた裸足である。
セットを汚せば、怒られた上に掃除をさせられるのは確実だろう。かなり躊躇われる。
タオルで拭けば・・・うーん、ここまで汚れてる足を、100均とはいえお気に入りのフェイスタオルで拭くのはなんか嫌だ。
さてどうしよう、と考えていると、ふと人の気配とでもいうべきものを感じて顔を上げた。
見上げた露台の上に、おっさんが一人。
なんと言えばいいのか。
月明かりに浮かぶ顔は、これぞ由緒正しき日本人、といえばいいのか、そんな顔立ち。
30後半から40過ぎかな?
白い寝巻きっぽい和装を着て、僕を見下ろしている。
「あの、今晩は。すいません。少しお聞きしたいことが…」
「童子、如何にした?」
ん?
とりあえず挨拶して、この撮影場所に関して色々訊こうとしたら、かぶせるようにおっさんが喋った。
にしても、「ワラワ、イカニシタ」とはこれ如何に?
あ、如何にか。
ワラワ?このおっさん、まさかのオネエで、女王様的な一人称とか?
まさかね。
「直答さし許す。とく答えよ。」
こたえあぐねていると、重ねて声がふってきた。
ここで何となく察した。
所謂、時代劇言葉だ。
衣装からして、おっさんなりきってる。
てことはあれかな。ワラワは、子供とかの童かな。
にしても、おっさん言葉がたりないよー。
それと、こっち挨拶してんだから、挨拶で返してよ。お母さんに教えられなかったのかな、まったく。
「えーと、如何にときかれても、何を問われてるのかがわからないんですが。こんな所で何をしているのかという事なら、ボクにも実はわからないんです」
とりあえず正直にそう答えると、おっさんはおやっという表情で覗き込むようにしてくる。
「その衣を見るに、昇殿ゆるされておる者の身内であろう。いずこの者か。」
昇殿。たしか、宮中への出入りができることだっけ。やたら豪勢な衣装だから貴族身分の役柄と思われたんだな。
にしても、正直、おっさんが成りきり過ぎてて、面倒くさい。
「あ、○○の四方のハルといいます」
地元では四方の苗字がそこそこ多い。というか、四方以外でも同じ苗字のご家庭が多いので、市内では「○○の」と町名を自己紹介の時につけるのがならわしだ。
ちなみに、四方と書いて「よつのかた」。
ご先祖が、四方を山に囲まれた村落に住んでた事から、明治の頃村に来た役人に名簿にそう載せられたらしい。読み方は、当時の村長が格好いい呼び方がいいとかなんとかで、こんな読み方に。
それはともかく、折角名乗ったのにおっさんは首を傾げるばかり。
あ、この名乗り方を知らなさそうって事はもしかして、他県とかの本物の役者さんかな。演技指導でたまに請われて来るから、そうかも。
だとしたら、この成りきりぶりも理解できる。
「ところで、失礼ですが、どちら様でしょうか。」
そう訊ね直したところ、何とも言えない顔をされた。
「朕を知らぬとな?それなりの位階の家の者であると思うたが」
おっさんを知らない事に驚かれてしまった。
そんなに有名な役者さんだったのかな。これはかなり失礼したかも。
てか、若干言葉遣いが変わったね。
ん、まって。
今、なんてった。
チン?
名前かな…中華系のひと?うーん、文脈的にそりゃないか。だったら一人称?
日本語で一人称のチンなんて誰が使う言葉かは知っている。
最近映画で使われてるとこ観たし。面白かったな、終戦の皇帝。
てことは、天皇役か宮中言葉の指導に来た人なのかな。
「朕は方仁である」
これで流石にわかるだろ、的な感じで名乗られた。
うん、流石役者さん。いいドヤ顔である。
毎日投稿してる方々、凄いわー。
改めて実感しました。