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終章



 半年後、はるかは正式にプオルスタヤに任命された。

 冥王との謁見時、そこにヴェルフェンの姿はなかった。彼が顔を合わせないよう避けていたのか、もともとそういうものなのかは判らない。

 ヴェルフェンに課されていた条件もなくなったため、もうふたりを隔てる邪魔な取り決めはない。

 プオルスタヤという立場を得たいま、敵対する者同士だとはいえ、なんの(はばか)りもなく彼に逢うこともできれば、堂々と愛を育んでいくこともできる。

 しかし、ヴェルフェンが逢いに来ることはなかった。

 はるかも、彼のもとには行かなかった。

 きっと少しは喜んでくれている。そう判ってはいても、報告に行くことをためらってしまう。

「ヴェルフェンとは会わない約束をしたし」、「もう新しい相手がいるかもしれないし」と自分に言い訳を重ねている間に、いつしか会いに行かないことが当たり前になってしまっていた。

 そうしていつの間にか、正式なプオルスタヤとなって三年以上も過ぎてしまっていた。



 五月十五日。

 その日は、はるかの命日だった。

 はるかが生を終えたあの日とは逆に、明け方から降りだした雨は昼過ぎにはやみ、雲間から顔をちらりと覗かせた太陽はそのまま、綺麗に空を晴れ渡らせていった。


 見上げる夜空に、星が瞬いている。

 腰にプオルスタヤの象徴、戦鎚(ヴァサロイダ)を下げるはるかは、あの歩道橋の踊り場でその〝時〟を迎えていた。

 夜の八時過ぎ―――。

 事故の煽りによって命を亡くした瞬間は、何事もなく静かに過ぎていく。

 知らず、はるかは吐息を落としていた。

 長い長い時が過ぎていった。

 あれから十五年。生きていたら、三十四歳になっている。

 早紀たちはとうに結婚をし、子供たちは幼稚園や小学校に通っている。家族たちも、十三回忌を終えてからは、はるかを意識の外の存在として過ごしているようだ。

 家族がもう決して自分と交わらない道を歩んでいる現実に、すべてから切り離された気がして、身を切られるような猛烈な寂しさがある。けれど一方で、彼らが幸せな笑顔を浮かべているのを見ると、ほっとしもする。

 生を謳歌し続ける家族や友人たちに嫉妬する時期は、もう遠く過ぎ去っていた。

 事故現場の近辺は、急激ではないが少しずつ変化していた。コンビニが中古車屋になっていたり、書店がなくなっていたり。

 毎年訪れるたび、その変化にどこか虚しさを感じてしまう。

 今年は、道を一本入った場所にあった畑を潰して大型パチンコ店ができていた。眩しい光が歩道橋にも届いている。もしもあのとき、この光があったら事故は起きていただろうか。

 命を落としたあと、かなり経ってから知ったのだが、あの事故は、道に飛び出してきた犬だか猫だかを避けようとして、大型トレーラーの運転手が急ブレーキをかけたことがきっかけだったらしい。

 この光があれば、その動物はそちらに向かっていたかもしれない。運転手も、道を渡ろうとする存在にもっと早く気付いていたかもしれない。もっと早く、誰かが歩道橋に倒れるはるかに気付いてくれたかもしれない。

 ―――詮無いことと判っていながらも、つい考えてしまう。

 今日は、満月の集会がある。

 出るのは自由だが、行くのならば、もうそろそろここを離れなければならない。

(また、来年ね)

 歩道橋を軽く蹴り、はるかは空へと昇る。

 首筋にちりちりとした違和感があったのはすぐのこと。引かれるように振り返った。

 一瞬行きすぎたその視界に、白い影がよぎる。

 すぐにヴァルドウと認識できたのは、経験からだ。視線を返したはるかは、しかし目を瞠り、息を呑んだ。

 高い背丈、褐色の髪、少し額は広いけれど彫りの深い端正な顔。そこに輝く藍色の瞳。そうして、野生の一匹狼を思わせる、孤高の雰囲気。

 逢えなかった時間がどれだけ開いていても、見間違えるわけがない。

 ヴェルフェンだった。

 彼は、感情を抑えた眼差しでひたとはるかを見つめていた。

 間近にいるわけではないのに、表情のすべてがはっきりと目に映る。

 幾らかの距離を置いて、はるかはヴェルフェンと向かい合っていた。

 はっとして素早く周囲を検める。誰かが命を落とそうとしている様子は、ない。

(そうよ)

 死のリストに、この時間このあたりでの死は記載されていなかったはず。

 では何故、彼が。

 どうしてこの場所に。

 彼のテリトリーは、基本日本ではないはずなのに。

 ヴェルフェンはじっと、藍色の瞳ではるかを見つめ続けている。

 そんな眼で見ないで。はるかの胸に熱いものがこみ上げてきたとき。

 彼の眼差しが、包み込むように優しくまろやかになった。

「元気か」

 別れたときと変わらない、彼の声が届く。

 一瞬にして、横たわっていた空白の時間が霧散する。

 どこか含みを否めないにしても、それくらい以前と変わらない声だった。

「どうし……、どうして、ここに?」

「たまに来るんだ。はるかも、なのか?」

「……今日は、命日、だから」

「ああ……、今日だったか」

 思い出すようにヴェルフェン。ヴァルドウである彼には、はるかが死んだ日がいつなのかは重要ではないのだろう。

 ヴェルフェンは「今日だったのか」と呟きを落とすと、気まずそうに口を閉ざしてしまった。そんな彼に向かって自分の気持ちが溢れていくのを、はるかは感じていた。

 やっぱり、好きだ。

 あんな別れ方をした手前、想いを伝えるのは身勝手だ。伝えるべきではない。それに、彼にはもう、誰かいるのかもしれない。きっと、すごくもてるから。

 彼へと一気に流れ出す自分の想いを、はるかは懸命に抑えつける。

「ヴェル―――マレクは、元気だった?」

 だから、当たり障りのない言葉をかけた。

 声が震えそうになっているのには、気付かれていないはず。

 仄かに笑みを浮かべたヴェルフェンは、小さく頷いた。

「ああ。階級も元に戻ったし、仕事量も少なくなってだいぶ楽になったよ。―――はるかは?」

「え」

「ちゃんとやってるか?」

「あ……、ん。前みたいにがむしゃらに突っ込むようなことは……ないと、思う。まわりを多少は見ることができるようになったと思うの」

 だから以前のようにひどい怪我を負うことはなくなったし、勝率も上がっている。

「無茶はするなよ。はるかになにかあったら、どうすればいいのか判らなくなる」

「……」

 胸を、熱い痺れが駆け抜ける。

 思わせぶりな台詞に、どう答えたらいいのか言葉に詰まった。

 ヴェルフェンは小さく俯いてしまったはるかに、眼差しを深くする。

「振り返らなかったら、声は、かけないつもりだった」

「ヴェ……マレク」

「ヴェルフェンで、いい」

 強い意志のこめられた声だった。

「ヴェルフェンでいい」

「……」

(どうしよう……)

 彼のまっすぐな眼差しに、してはいけないと判っていても期待をしてしまう。希望を抱いてしまう。そんなこと、許されるはずもないのに。

 はるかのためらいをどう受け取ったのか、ヴェルフェンの表情が陰る。

「そんな顔をするな。もう、おれ行くから」

「え?」

「集会、あるんだろ? 満月の。元気そうで良かったよ。―――じゃあな」

「え、―――ま、待って」

 そそくさと去ろうとするヴェルフェンの腕を、はるかは飛び込んではっしと摑んだ。久しぶりに触れたヴェルフェンに、たったそれだけで気持ちは満たされていく。

 ぎくりとヴェルフェンは振り返る。警戒とも怯えともとれるその眼差しに、問いかけずにはいられなかった。

「また、逢える……?」

 偶然でいい。積極的なものでなくていい。こうして顔を合わせて、言葉を交わすことができるなら。

 それだけでいいから、繋がりが欲しかった。このまま別れて、会えなくなるのは嫌だった。

 必死な表情を向けてくるはるか。そんな彼女を窺うように見つめ返していたヴェルフェンだったが、やがてふっと観念するかのように表情を和ませた。

「ああ。はるかが望んでくれるのなら。いつでも」

 自分でも、顔が晴れていくのが判った。それを見てヴェルフェンは、改めて向き直る。ひとつ息を吐き、今度はまっすぐに、はるかから眼差しを逃さない。

「―――おれは、莫迦だった。自分のことしか考えてなかった」

 ヴェルフェンの眼は先程のものとはうってかわって、覚悟を決めた強い意志に満ちていた。

「お前は、プオルスタヤになるべき存在なんだ。なのに、あんなひどいことをおれは」

 あのとき、はるかの目指す先にともに行くことはできないと、確かに彼は言った。そのことを言っているのだろう。

 ヴェルフェンの様子が、変化している? この何年かで、気持ちを変化させるなにかがあったのだろうか。

 ひやりとした。

 もしかして、付き合っている相手の影響かもしれない。

 胸をよぎった不安な思いが顔に出たのか、問うより先にヴェルフェンは言葉を続けた。

「この前、はるかを見たよ。ヴァルドウと戦ってるはるかを」

「え」

 思いがけない言葉だった。

 はるかは目を(しばたた)かせる。

 避けられているとばかり思っていた。見てくれていただなんて。

「ヴァルドウを追い返したときの表情。信じられなかった。あんなにも神々しく輝いてたなんて。おれが言うのも不謹慎だけど、心が洗われるようだった。―――おれは、はるかの魂に惹かれて禁を犯したのに、お前から輝きを奪おうとしていた」

「奪う……?」

「プオルスタヤになるなと言ったことだ」

「だって、戦いで傷付いて欲しくなかったからでしょう? あたしのことを思ってくれたからでしょう?」

 だからこそ、彼の別離も受け入れようと。

 ヴェルフェンは小さく首を振る。

「はるかを失う恐怖より、はるかがいる、その喜びを、感謝すべきだったんだ。おれの存在意義がとかはるかの使命とか、そんなの、どうだってよかった」

 まっすぐにはるかの瞳の底を見つめるヴェルフェン。甘やかさ以上に熱い情熱が、とめどなく流れ込んでくる。

「諦められない。はるかを諦めることが、どうしてもできない」

 やり直すことはできないだろうか。

 そう、ヴェルフェンは続けた。

 はるかは口を薄く開けたまま、瞬きも忘れて身を固まらせる。

 これは。

(ゆめ……?)

 ヴァルドウとの戦いでまた怪我を負って、知らない間に眠りについているのだろうか。

 思考も停止したはるかの耳に、突然、がしゃんという大きな音が飛び込んできた。

 我に返って足元を見下ろすと、道路で出合い頭にぶつかった車同士があった。一台はパチンコ店から出てきたものらしい。

 ぶつかった音はかなり大きかったが、事故自体はたいしたことはないはずだ。死のリストにはなにも載っていなかったのだから。

 理性と自分の目でそれを確認していたはるかは、はっとヴェルフェンを見上げる。

 彼は事故の音に気をとられることもなく、ただまっすぐにはるかを見ていた。不安の中に希望を探そうとする、呑まれそうになるほど深い真摯な眼差しだった。暗い夜空の中にあってもなお深い、藍色の透明な瞳。

 聞き間違い、では、なさそうだ。

「ヴァルドウのおれと、もう一度、また。最初から」

 ヴェルフェンに、新しい彼女は、いない―――ということ?

 だから、こうして待ち望んでいた言葉をくれるのだろうか。

 まさか。

 ひたとはるかを見つめ続けているヴェルフェン。

 まさか。

 彼に熱く見つめられて、平静でいられるはずがない。

 自ら逃したはずの機会が、目の前にある。かつて背を向けた道が、目の前に開かれている。

 ヴェルフェンと、ともに―――?

 浮かれそうになるはるかの胸を、しかし小さな怯えが待ったをかける。

 これは、本当に本当の現実なんだろうか。

 こんな都合のいいこと、起こるはずがない。

 命日に見せられた、自分勝手な夢、幻なのかもしれない。

 きっと、聞き間違いだ。なにかきっと、どんでん返しがある。きっと、そう。

 酷くヴェルフェンを傷付けた自分が、こんな簡単に許されていいはずがないのだから。

「そんなの……急に言われて、『はい』って、すぐ答えられるわけ、ないよ」

「―――は。そう、だよな」

「そうだよ……」

 本当は、ヴェルフェンの胸に飛び込みたくてたまらない。彼の想いに、こんなにも胸は躍っている。浮き足立っている。

 けれど、すんなり信じることができなかった。あまりにもこいねがっていた展開に、信じた瞬間、夢から覚めてしまいそうで。

 ヴェルフェンから避けられている現実を突きつけられそうで。

 だから逆に、少しでもこうして、一瞬でも長く、幻であってもヴェルフェンと一緒にいたい気持ちもある。

「いいヤツでも、いるのか? なんて言ったっけ、仲のいいプオルスタヤがいるって聞いた。カウリ……といったか」

「!」

 なんでもないふうを装いながらも、彼の口は仲間の名を紡ぐ。

 胸を突かれた。

 ヴァルドウがプオルスタヤの名を、またプオルスタヤもヴァルドウの名を認識している場合があるが、決して多くはない。だから、まさかそのような意味合いでカウリの名が知られているとは思わなかった。

 彼は、本当に、もしかして本当にずっと意識していてくれた……?

 期待をしても、いいの、だろうか……?

 許されて、いる?

 はるかの気持ちがざわつきだす。

「カウリさんは、そんなんじゃないよ。全然、違う」

「向こうは、そうじゃないかも。はるかに惹かれない男はいない」

「そんなわけ……。って、なに言うのよ、からかわないで」

「本気だ」

 真摯な眼差しのままヴェルフェン。はるか指先は、彼に縋りつきたくて震えてしまう。

「夢なんでしょう? 夢だからあたしの欲しい言葉をくれるんでしょう?」

 訊かずにはいられなかった。

 どこから夢なのか。それともまだあのときのまま、目覚めていないのか。夢ならば覚めないでと、このまま夢の中にいさせてと、強く祈った。

「あたしあんなにも酷いことしたのに、全然、なんとも思わないの? なんで(なじ)らないの」

「それを含めてのはるかだろう? おれが欲しいのは、そういうはるかだ」

「やめてよ……。なんでそんなこと言うの。なんで。信じたとたんに、いなくなっちゃうとか、嘘だったとか、そんなの」

 突然ぐらりと視界が揺れた。軽い衝撃のあと、身体が強く締めつけられる。

「!」

 さらわれるようにヴェルフェンに抱き締められていた。熱く抑えきれない声が、耳元に囁き込まれる。

「夢じゃないよ。判るか? おれの胸の中にいるのが判るか? 夢じゃないだろう? ちゃんと、おれを感じてるだろ?」

 ぞくぞくとした。

「確かにあのときは苦しかった。憎みもした。だけど、おれたちに抵抗せずにいられないはるかを好きになったんだ。はるかでなきゃだめなんだ。はるかでないと、だめなんだよ」

 背中にきつくまわされるヴェルフェンの腕。髪の間に荒々しく差し込まれ、頭をかき抱く大きな手。その力強さに、激しい抱擁に、夢ではないのだという実感が胸の底から全身へと広がっていく。指の先、爪の先にまで解き放たれるような喜びが溢れ、諦めようとした自分の想いが隅々にまで沁み渡る。

「―――ヴェルフェン……!」

 はるかはその腕を、ヴェルフェンの背に伸ばした。

 その、確かな感触。

 夢ではない。彼はここに、ここにいる。彼の、想いとともに。

「ホントに……? 本当に?」

 求めてくれている。なにも、変わらずに。

 ヴェルフェンははるかをかき抱きながら、熱い想いを唇に乗せる。

「やり直したい。はるか。もう一度最初から始めよう?」

「いいの? あたし、もう、新しい彼女がいると思ってたし」

「お前以外の誰がいるっていうんだ。はるか。どうなの? おれはまた振られるのか?」

 力いっぱい、はるかは首を振る。

「そんなわけない! そんなわけないよ! あたしだって、ずっとヴェルフェンだけが好きだった、ヴェルフェンしかいない、ヴェルフェンじゃなきゃヤだよ」

 ヴェルフェンの背を、ぎゅっとその手に引き寄せる。

「ごめんね。ごめんね、あのとき、本当に」

 頬に当たる厚い胸板。髪に埋められる彼の顔。この感触。夢なんかじゃない。

 どれほど、こいねがっただろう。どれほど求めただろう。

 そっと身を離したヴェルフェンに、はるかは甘く見つめられる。端正な顔が、静かに近付いてくる。

 唇へと落とされる、キス。

 壊さないよう、優しくくちづけられる。それは確かな感触だった。

 何度も夢に見た。ヴェルフェンに逢うこと、触れること―――くちづけを交わすこと。

 でも、もう夢ではない。幻でもない。

 本物の、現実のキスだ。

 ここに、腕の中にヴェルフェンがいる。ヴェルフェンの腕の中に、自分がいる。

 名残惜しげに顔を離した彼は嬉しそうで、どこか照れくさそうでもあった。

「辛い思いをさせた。寂しい思いをさせた」

「ううん。だってあたしのせいだし」

 ヴェルフェンは首を振って、はるかの頭をそっと撫でる。その優しく甘い感触が、くすぐったい。

 ヴェルフェンは腕の中にはるかを囲うようにして、もう一度(ついば)むようにくちづけをする。

「もう離したりなんかしない」

「ん」

「はるかだ。本当に、はるかだ」

 くしゃりとなる笑顔。懐かしい表情だった。その頬に手を添わせて、ああ、彼がそばにいるのは現実なんだとあらためて胸はいっぱいになる。間近から見上げる彼の顔は本当に嬉しそうで、見ているこっちが恥ずかしいくらいだけれど、胸は湧き立ち、自然笑顔になる。

「ね。いままで、どうしてたの? そうだ。戦ってるあたしを見たって言ったよね? どんな感じだった?」

「どんな感じって。もう、ハラハラしてキツかった」

 ヴェルフェンの空気が、からりと和んだものになる。

「そんなにも危なっかしい?」

「ああ。見ていられない。まだまだヒヨッコだよ。あんなんじゃ他のプオルスタヤも苦労するだろうな」

「えー、なによそれ」

「戦ってるとき戦鎚(ヴァサロイダ)落としただろ? あれ、何回もやってるんじゃない?」

「え。どどどうして判るの」

 確かに、戦いの最中戦鎚をよく手から滑り落としている。そのたびに毎回他のプオルスタヤから溜息をつかれるので、セスに頼んで、使用する際、細く編んだ紐状のもので腰からぶら下げられるよう改良してもらっていた。

「戦鎚を腰からぶら下げて戦ってるプオルスタヤなんて見たことないからな。お前なりの工夫だったんだろ? 普通は落とさないよな」

「な慣れてないだけよ。慣れればきっと、たぶんすごく上手に使いこなせるし」

「ということにしておこう」

「ちょ、ひどい。もう」

 ぷぅと頬を膨らませるはるか。お互い見合って、どちらからともなく笑みがこぼれた。

 他愛のない会話ができることがこんなにも幸せだとは、知らなかった。

 微笑みを浮かべたまま、唇を重ねるふたり。

 これからは、もうひとりではない。隣にヴェルフェンがいてくれる。

 ようやく、一番最初に望んだふたりになれた。

 逢えなかった間のことを話しだすふたりの足元に、サイレンの音を響かせてパトカーが到着し、すぐに救急車もやって来た。車内でその到着を待っていた女性は血の止まらない額を押さえ、担架に乗せられ救急車に運ばれていく。

 喧嘩ごしに睨み合う双方の運転手と静観する警察官に、それを取り巻く野次馬たち。野次馬たちの横を車は何事もなかったかのように流れ、道の向こうへと消えていく。

 その先にあるのは、数年前に開発された郊外型の団地だった。家並みの窓は家族の団欒の優しい光に溢れ、静かな夜の時間を迎えている。

 宙空で寄り添い合うふたりの話は、終わらない。

 昇った月はいつしか中天を過ぎ、傾きだしている。

 満月の集会には、出られそうもない。





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