別れ 一-2
「はるか」
どれくらい泣いただろう。いいかげん泣き疲れたはるかに、プオルスタヤはそっと声をかけた。
ずっと、そばで見守ってくれていたのだ。
彼女は、膝をついてはるかを覗き込む。穏やかではあるが眼差しは真剣で、けれど言葉を探すようにためらいながら口を開いた。
「―――陛下からの、伝言があるの」
はるかの眼は絶望にまみれていた。プオルスタヤの表情が僅かに曇る。
「あなたにはふたつの道がある。好きなほうを選びなさい。―――人間として転生する道か、陛下から出された条件を満たした後、正式なプオルスタヤになる道。このふたつの道が、陛下からあなたに提示されたわ」
はるかはじっとプオルスタヤを見つめ返す。こちらに向けられたふたつの目の向こうに答えがあるわけでもないのに、ただ静かにその瞳の底を見つめる。
「転生の道を選べば、すべてを忘れられる。ヴェルフェンを失った悲しみもね。苦しいのなら転生の道を―――輪廻の環に還るほうがいいでしょう。新しい生が待っているわ。ふさわしい出会いもあるでしょう。本当に疲れたのなら、このほうがいいのかもしれない。―――いいえ。人間だからこそ、輪廻の環に戻るべきでしょうね」
でもね、とプオルスタヤの仄かな笑みが僅かに揺れる。
「陛下の示してくれたもう一方の道のことも、考えて欲しいの。三三三回の奇跡を重ねて、わたしたちの仲間になるという道。戦鎚だけは、正式なプオルスタヤでないと手にはできないけれど、いままでのような制限もなくなるから、ずいぶん有利になるはず。ただ、わたしたちにはヴァルドウに殺されても転生の道はないわ。彼らにやられたらすべてが終わり。消えて無くなってしまう。ヴァルドウの宝珠を経ない死は消滅を意味するの。人間だったあなたには辛すぎるかもしれない。でも、わたしたちはあなたを歓迎している。だって、あのヴェルフェンから大鎌を奪ったんですもの」
「……」
なんの反応も示さないはるかを、プオルスタヤは辛抱強く待った。
肩を僅かに失くした月が、傾いていく。
長い沈黙の後、はるかは力なく首を振った。
「はるか……」
プオルスタヤはどこか請うように彼女の名を漏らす。
「あなたにならできると思うの」
「なんの意味があるんですか」
「―――」
「慈悲の、つもりですか? そんな言葉が欲しくてヴェルフェンと戦ったんじゃない……。なにが、評価された、よ。なにがふたつの道よ。なんにも判ってない」
はるかは唇をきつく噛み締めた。
情けなかった。
自分の下した決断を踏みにじるような言葉だった。
「あたしは、ヴェルフェンと戦った。戦ったんです」
プオルスタヤは、涙を浮かべる彼女の瞳の奥に、命を守る者の強い意志を見た。ヴェルフェンが見た、あの揺るぎない眼差し。
それが、答えだった。
プオルスタヤは、ひとつ頷いた。
「あなたを歓迎するわ」
「もっと、莫迦だったら……」
食いしばった歯の間から、どうすることのできない思いが漏れる。頭を抱え込む手には、ぎゅっと強く力がこめられていた。
ヴァルドウに狩られる命を犠牲にすれば、一緒にいられた。もっと愚かであれば、彼を失わずに済んだ。もっと甘ければ、打ちのめされるのは自分だけで済んだのに。
望まない結果しか残らなかった。
たったひとり残された。
もうどこにも、愛するヴェルフェンはいない。
どこにも。
彼は処分され、消えてしまった。
彼を殺したのは、この自分。
それを背負い、自分の求めた思いをしっかりと胸に抱き、ひとの命をひとつでも多く助けていくしかない。
それが、自分が殺してしまったヴェルフェンへの罪滅ぼしの形だった。
最後に見たヴェルフェンの悄然とした表情が、脳裏をよぎった。
「―――あの」
険しい顔で沈黙していたはるかの声には、覚悟した響きがあった。プオルスタヤの表情が窺うように揺れる。
「ヴェルフェンの最期は、どうだったんですか? 苦しんだんですか?」
プオルスタヤは目を軽く伏せた。
「たぶん……、苦しかったでしょうね。陛下は、容赦のない御方だから」
胸が締めつけられた。
「―――そう、ですか……」
ヴェルフェンの苦しみを、せめてこの身に受けたかった。この身に受けることで、ほんの僅かでも心安く逝けるのなら。
「彼は立派だったわ。陛下に処分を言い渡されたときも、醜く騒ぐこともなくまっすぐ前を見据えていたもの」
孤高の、野生の一匹狼。
ヴェルフェンは、そういう男だ。
ヴェルフェンがひどく愛おしい。逢いたくて抱き締めたくてならなかった。
枯れ果てたはずの涙が滂沱と流れる。嗚咽を抑えることが、できなかった。
身を引き裂く苦しみに悶えるはるかの肩を、プオルスタヤは、優しく抱き寄せた。




