対峙する者 三-3
―――それに気付いたのは、大鎌の刃を何度受けたときだったろう。
(身体で受ければ、奪えるじゃない……)
朦朧とする意識の中、はるかはぼんやり思い至る。
ヴェルフェンははるかの身体に沈めた大鎌を引き抜くとき、力を込めるせいか僅かに動きが鈍るのだ。
視界は暗く、ひどくかすんでいた。
もう幾度のチャンスもない。肉体のない身体でも、ないのは肉体という物体であって、痛覚は存在している。たとえそれが思い込みであっても、存在している以上そこには限界という状態が確かにあり、はるかの身体は既に限界を超えていた。
ヴェルフェンも、はるかの執拗な防御に苦戦していた。プオルスタヤとしては半人前のはるか。善戦するにしても、結局はレベルの差に負けることになるだろうと、たかをくくっていたのだが―――。
どういうことだ。
理解できなかった。
こんなひどい状態でここまで戦うプオルスタヤはいない。いたとしたら、それは先を見ない者だ。己を省みず、突っ走るだけ突っ走り、気付いたときには回復する力すら使い果たしている。よほどのことがない限り、そういった場合、消滅への時を待つだけとなる。
ぞっとした。
このままでは、はるかは消えてしまう。
なのに、判っていない。
はるかは虚ろな表情で、しぶとく高木を守っている。
見ず知らずの人間に対してどうしてそこまでできるのか理解できなかった。命を賭してまで守ろうとしているこの人間に、激しい嫉妬すら感じた。
彼女がなにを思っているのか、意識にどんな変化があったのか判らなかったが、当然ヴェルフェンも譲れなかった。
譲るわけにはいかないのだ。
はるかの身体のためにも、与えられたこの任務を早く果たさねば。
ヴェルフェンは大鎌を振り上げた。
(まただ)
これで何度目だろう、目の前にはるかが飛び込んできた。どう見ても故意に、自らその身体を投げ出している。
やめてくれ。お前の身体を傷付けたくはないんだ。そんな思いを抱えながらも、勢いに任せてはるかの胸元を貫いていく大鎌。苦痛に顔を歪める彼女から大鎌を引き抜くヴェルフェン。リストに載った人間は、すぐそこにいるのだ。一刻も早くこの莫迦げた抵抗を終わらせなければ。
だが。
―――直前で、大鎌の動きを封じられた。
目の前の光景に、息を、呑んだ。
刃に貫かれたまま、はるかは大鎌の柄に手を伸ばし、むんずとそれを摑んでいた。身体、両手、しっかりと踏み締めた両足で頑強に。
思いもよらない力だった。
虚ろだった彼女の眼に、まるで狂気の炎が揺らめく。
どこに残っていたのだ、こんな力が。
はるかは大鎌の自由を奪い、身体ごと振りきるようにしてそれをひったくった。
ヴェルフェンがはっとしたときには、もう遅かった。
ヴァルドウと高木を繋ぐ命の蔓が、しゅるりと実体化する。
はるかは奪い取った勢いのまま、己の身体から大鎌を引き抜いた。あまりの重さに腕はちぎれそうだ。
それでもいい。蔓を断ち切るまで持てばいいのだ。
急げ。
早く……!
全身全霊をこめて、はるかは蔓へと刃を走らせる。
「はるか!」
「うわあああぁぁぁッ!」
すぐ後ろに迫るヴァルドウの気配。伸ばされた手がはるかの―――。
―――鐘が鳴り響くような音がした。
目の前が、眩しい光に満たされたかのように明るくなる。
身の内側へと響いてくる清涼な音。それはまるで天上の音楽のように胸に沁み渡り、歓喜の思いを湧き立たせる。
命の蔓を断ち切ったときにだけ響く音。
それはなににも代えがたいほど、心地のよい音色だった。
「血圧八七戻りました。酸素飽和度九四」
状態が安定しだしたことを伝える看護師の声が、遠く耳に入った。
色を失ったヴェルフェンと視線が絡み合う。
(ふふ。せっかくのかっこいい顔が、台無しだよ……)
絶望すら窺わせるヴェルフェン。その表情に、重たい疲労に侵蝕される意識の中、はるかは思った。
ひどく、眠い。
もう、限界を超えている。連続した戦いで、すべてを使い果たしていた。
後悔は、ない。ただ、愛しさばかりが胸に溢れていた。
足が、床を踏みしめられない。惰性で立っているだけだった。
「ごめんね」
ヴェルフェンにもっとなにかを言いたかった。たくさんの言葉を、抱えきれないほどの感謝を、溢れんばかりの愛を伝えたい。
なのに視界が、意識が、黒や光で斑になっていく。「ごめんね」と言った唇は、ちゃんと動いていただろうか。
立ち尽くしているヴェルフェンの輪郭が滲んで、ぐにゃりと歪んだ。霞に紛れるように、ヴェルフェンが拡散していく───。
───そのまま、はるかは意識を手放した。
倒れる彼女を受け止めるヴェルフェン。小さな身体が、ぼろぼろに傷付いていて、そのあまりの酷さに目をそらしたくなる。ほとんどが自分のせいだけれど、この傷付きかたは尋常じゃない、ありえない。
どうしてここまで戦えるのか。どうしてここまで戦ったのか。どうして引かなかったのか。
莫迦だ。本当に、莫迦だ。
恨み言を言いたいのに、当の本人は意識を手放してしまって叶わない。
瀕死の状態で意識を失うプオルスタヤ。そのまま消えてしまったプオルスタヤを、たくさん知っている。
はるかが。
このままでは―――、このままでは、はるかが消えてしまう。
確実に、消えてしまう。
いやだ。
だめだ、許さない。消えるなんて。
「どうして……!」
きつく、彼女を胸に抱き締めた。伏せた目に、涙が浮かんだ。
これが、―――結果だ。
はるかの選んだ現実に、ヴェルフェンの胸は絞られるように痛む。
悔しく思う一方で、はるからしいとも、思う。彼女にどんな心境の変化があったのかもはや知る由もないが、生前生きることを模索し、死に恐怖し、泣いて喚いて苦しんだ彼女らしい選択だと。
自分が惹かれたはるからしい選択だと。
そう、思えた。
不思議なほど、彼女を誇らしいと。
無心にはるかを抱き締めるヴェルフェンの周囲に、やがて白い影が三つ現れた。
「大鎌を奪われたな」
声をかけられるまで気付かなかった。
重々しい男の声に、ヴェルフェンは静かに頭を上げる。襟の赤いローブをまとっている。ヴァルドウを監督する立場にある上位のヴァルドウだ。静かな眼差しが、それぞれヴェルフェンを射ている。
強い拒絶と絶望を眼差しに乗せ、ヴェルフェンははるかを抱く腕に力をこめた。
「はるかを。お願いだ、頼む。はるかを助けてくれ」
男たちは、言葉もなく凍りつくほどの冷たい表情を、ヴェルフェンに返すばかりだった。




