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時が涯てても恋してる。  作者: トグサマリ
第二部  時涯てた後
33/41

    対峙する者 三-2



 それは、これまでで一番、困難を極めた戦いだった。

 ヴェルフェンの強さは、想像を絶していた。いままで接してきたヴァルドウなんて、赤子のようだ。いま戦っている相手が、自分に甘く微笑んでくれたあのヴェルフェンと同一人物だとは思えない。

 本人が言っていたとおり、攻撃にはまったく容赦がなかった。摑んだ弱点は決して見逃さず、怪我を負った場所ばかりを狙って冷酷に攻めたててくる。

 身を翻すヴェルフェンは、まるで舞のように鮮やかな動きではるかを翻弄する。

 一方はるかは、ただただ振りまわされるばかりだ。

 触れることすらできない。

 拳で殴りかかるも、彼の腕がひらめくただそれだけで軽くかわされる。正面を取ったかと思えば背後にまわられていたり、彼に一歩を踏みこまれたと思った瞬間には膝蹴りを受けて倒されている。

 大鎌を奪うどころか、高木に近付かせないよう阻むだけで精一杯だった。

 表情を僅かも変えることなく、ヴェルフェンは高木に近付くために足を踏み出す。彼はただ、それだけをしている。

 ただ、歩んでいるだけなのだ。

 初めて彼に会ったときの印象が胸によみがえる。野生の一匹狼。孤高の中にあって、決して妥協することなくただひとつの目的を遂行する。

 美しいとすら感じた。

 これが、ヴェルフェンの本来の姿なのか。怜悧な眼差し。僅かもぶれない表情。隙のない身のこなし。この姿を、ヴェルフェンは秘めていたのか。

(でも)

 相手が誰でも、どれだけ強くても、関係ない。

 負けるわけにはいかなかった。

 無茶でもいい。無謀でもいい。

 目の前にいるのは、愛するヴェルフェンではない。ひとの命を狩る、憎むべき死神(ヴァルドウ)だ。

 はるかは執拗に食い下がる。腕を振り上げ、背後から首筋を狙う。

 だが、ゆらりとヴェルフェンの身体が揺らめいたかと思うと、正面を取られていた。目の前に振り落とされる、鈍い色の(やいば)

「ッ!」

 大鎌の刃を胸元で受け止め、次いで繰り出される殴打を足を踏ん張って堪える。踏ん張る足が、ずるずると滑っていく。

 いったい、どれだけ対峙しているのだろう。

 時間の感覚は既にない。ただでさえ力は回復しておらず、気力だけで持ちこたえているようなものだった。その気力すら、いつまでもつのか自分でも判らない。

 踏ん張っていた足が、膝から崩れそうになる。

 歯を食いしばって、懸命に足に力をこめる。

 判らない。いつまで続くのだろう。

 時間が、遠すぎる。遠すぎるのに、一瞬一瞬は濃く、すべての瞬間が勝負の分かれ目で、僅かも気は抜けない。

 いつまで続く?

 ―――判らない。

 はるかの身体から刃をえぐるように引き抜くヴェルフェン。離れゆく大鎌をはるかの手が弱く追いかける。柄に触れ―――摑んだ。悲鳴をあげる身体を叱咤し、摑んだ場所にぶら下がるようにして、ヴェルフェンの身体に蹴りを見舞う。

 ―――入った。

 初めて、ヴェルフェンに一矢を報いた。

 口元が緩む。

 大丈夫。いける。

 どれだけ力に差があろうと、反撃はできる。勝てないとは限らない。

 この気力がいつまで続くのか、そんなの、判らなくていい。

 ただ―――ただいまは、このヴァルドウを祓えればいいのだから。



 最初こそ一方的に劣勢だった戦いだったが、次第にはるかの抵抗も功を奏し、ヴェルフェンの表情に苛立ちが表れてきた。

 宙をかくヴェルフェンの蹴り。フェイントに気付いていたはるかはその前面をとり、無防備になった彼の胸に拳を叩き込んだ。拳は素早く払われ、逆に肩を鋭く突かれる。たたらを踏みながらも体勢を整え、再度拳を振り上げる。

 その脇の間に、大鎌の柄が差し込まれた。瞬間、腕は柄に絡められるようにねじり上げられ、バランスを崩し背中から倒れたはるかの上にヴェルフェンがのしかかる。

「!!」

 苦痛に歪む顔に更に勢いをつけた衝撃が落ちてきた。たまらず力を手放してしまう。途端、横っ腹に凄まじい痛みと大きな力がかかった。気付いたときには蹴り飛ばされていた。

 ヴェルフェンのローブに手を伸ばすも、指先は宙をかく。

「だめッ!」

 手術台の反対側に飛ばされ掠れた悲鳴をあげるが、これ幸いと大鎌を振り上げるヴェルフェンを阻むには至らない。

 慌てて宙を蹴り、まさに高木を貫かんと大鎌を振り下ろすヴェルフェンに体当たりを食らわせる。

 刃は高木の腹部すれすれの手術台に呑みこまれた。

 危なかった。

 振り返りざまのヴェルフェンの腕がはるかを薙ぎ払う。

 顎に当たった彼の腕の勢いに、首がもぎ取られたかと思った。飛ばされそうになる意識を懸命に抱え込み、がむしゃらに痛む手を伸ばした。

 今度は翻るローブの感触を摑めた。

 強硬に大鎌を振り上げるヴェルフェンの肘にしがみつき、後ろ側へ、背中へと引っ張って拘束を試みる。この腕をもぎ取ってでも、大鎌を奪ってやるのだ。

 ぎりぎりと渾身の力で締め上げていると、突然、ヴェルフェンは拘束されているその手を大鎌から離した。後方から強く引くはるかの力に任せるように、腕を後ろへと流したのだ。

 自分が引っ張っていた力のままに、腕を拘束していたはるかの手が滑るようにするりと外れ、力の行き先を失って足が乱れた。

 目論見どおりとばかり、そんなはるかを打撃が襲う。振り返りながらの蹴りが顎や肩、腹部に連続して打ち込まれ、だめ押しに大鎌が脇腹を切り裂いた。

「―――!」

 割れんばかりの凄まじい痛みが身体の芯から噴きあがる。

 ヴェルフェンは顔色ひとつ変えることなく、たったいま切り裂いたその傷口に更なる止めの蹴りを見舞わせる。

 危ういところではるかは身をよじって転がった。顔を上げて目が捉えた状況に、内心で快哉を叫ぶ。

(やった……)

 偶然にも、うまい具合に高木とヴェルフェンの間を取れた。

 これで仕切り直しだ。



 戦いを始めて、どれだけ経ったのだろう。

 感覚は鈍り、浴びせられる痛みは、すぐにどこかに消えていく。どこを攻撃されたのかも、既に判らなくなっていた。

 はるかは、ヴェルフェンと見合っていた。

 お互いに、強い疲労が現れている。

 ヴェルフェンの最初の余裕は、もはやどこにもない。彼も確実に、苦戦している。

 ヴェルフェンの拳ははるかに払われ、はるかの蹴りは大鎌に遮られた。激しく殴り合ったかと思えば、沈黙下で視線を戦わせて相手の出方を窺い、僅かなきっかけで激しい攻撃が始まる。その繰り返しだった。

 ヴェルフェンの大鎌が唸りをあげる。高木を背にして避けるわけにはいかない。受け止めようと上げた腕は、大鎌を捕らえそこなった。手のひらを滑った大鎌は、その勢いのまま、はるかの肩にめり込んだ。

「ッ!」

 刃に貫かれる痛みに、顔が歪む。

 ぐいと引き抜かれていく刃に、苦悶に喘ぐ自分の顔が映った。はるかはヴェルフェンの脇腹に、力一杯の蹴りを叩き込んだ。

 何度も同じ場所を攻撃されているヴェルフェンから、さすがに呻き声を漏れる。もう一度拳でも膝でも打ち込みたかったが、身体はひどく重たくて、言うことを聞いてくれない。

 燃えるようなヴェルフェンの眼が、痛みに堪えるはるかを(すく)みあがらせる。



 長い戦いとなっていた。

 機械の警告音とともに高木と向かい合う医師たちにさっと緊張が走った。脈圧が急に下がったのだ。体温も、(かんば)しくない。

 指示を飛ばす医師、その先を読んで的確に動く看護師。

「もってくれ」

 執刀医は思わず漏らした。

 医学はひとの生命力がなければ成り立たない。どんなに最高レベルの技術やスタッフを揃えても、患者の生命力がすべてを決める。所詮、医者は手助けしかできない無力な存在だ。

 血圧が戻らない。体温が回復しない。落ち着かない脈に止まらない血。処置をするそばから数値は悪く塗り替えられていく。

 だめだ。

 このままではだめだ。

 ―――死ぬな!

 医師たちは、看護師たちは、祈らずにはいられなかった。

 神に、霊に、すべてに。誰でもいい。なんでもいい。頼むから戻ってくれ。

「堪えろ……!」

 死なせてたまるか。生きて、手術室から出してやる。家族の、仲間のもとへ帰してやる。

 厳しい指示が飛ぶ。張り詰める緊張は空気さえも鋭くさせる。医師たちの声には疲労の色が濃い。しかしそれ以上に、高木を助けたいという願いが、眼差しにこめられていた。

 そんな執刀医の目の前に、はるかは飛ばされた。ヴェルフェンの蹴りが、倒れ込むはるかの腹部に激しく炸裂する。

 悲鳴など、とうに出ない。

 はるかは貪るようにヴェルフェンの足にしがみつき、その動きを懸命に阻む。

 かまわず高木へと振りかざされる大鎌。

 しがみついた腕に力をこめて身体を大きくひねり、はるかはヴェルフェンを引き倒す。

 だが、倒れない。小さくバランスを崩しただけだ。

 足を振り上げ、彼のもう一方の足へと叩きつける。倒せなかったが、高木を狙う大鎌をそらすことはできた。



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